「夢を叶えるために一番必要なことは、『自分自身を信じること』だと思います。もちろん簡単なことではありません。毎日少しでもいいので、自分の夢、なりたいもの、やりたいことなどをイメージして、思い描いてみるだけでもいいと思います。そうして自分を信じ、進んでいけば、夢には必ず近づいていけると思っています。夢を描くことを、やめないでください。
『バカらしい』とか、『どうせできないから無駄だ』と思わないでください。うまくいかない場面に遭遇しても、それは陽が射す前の雨のようなもの。悲しかったり不快になったりフラストレーションを感じるような時間も、陽射しをもらうためのギフトだと思って、難しい問題に直面する時こそ、自分の持てる力を発揮できる機会だと思うようにしてください。
それから、自分がひとりだとは思わないでください。孤独を感じた時は、外に出てもいいし、好きな本を読んでもいい。何をしてもいいけれど、ひとりだとは思わないでください。陽射しは必ず降り注ぐし、すべて大丈夫と思える時は来る。それを信じて、夢を描いていってください」という内容だった。
いろいろな場面で、一芸を確立してきた人の言葉は蘊蓄があるし、やはり説得力がある。
さて、今回の我孫子市議選に5度目の立候補をするにあたり、海津にいなは 改めてどんなふうにして市議になる過程があったのかと聞かれて、つらつら主出して語ると1,2時間で終わらなかった。忘れていたが、芸能音楽事務所のオーディションを受けたことなども思い出した。我ながら、「忘れてた過去」があったけれど、引っ込み思案ばかりでもなかったのか、と思い返したりした。オーディションも、自分を変えたいと思ったのも少しあったし、これじゃいけないと思ったこともあった。歌うのは好きだったし、バレエの美しさにうっとりしたり、ゴッホの絵に胸の鼓動が高鳴ったのを覚えいる。ベートーベン、シューマンの苦悩を知って、最初から天才が順風満帆でもなかったと知り、そのうちにBEATLESが武道館でコンサートをする歴史的イベントを非常に強い関心を持って、クラッシックからBEATLESに一気に傾倒した。ま、多感な十代を過ごしていたわけで、学生運動がそれに乗じ、かといって明確な進路決定をするまでに、親は知恵をくれた訳でもなかった。今でいうとDV、不和な両両親ではあったが、それでも寝食はまっとうしてくれていた。今の時代、母親が虐待されているだけで、問題だと本人も回りも手を貸さなくてはならない事情だった。そして、「現代ならヤングケアラーなどと自分だけでなく家族のめんどうまで見ている子供もいる、だから、私などは自分の事だけだった思う。いつの時代も常に家庭環境には格差が無い訳がなかった。そうやって、自分の不満や問題を対処するために、いつも考えるようになっていった。
時に経験ある大人より、若い人にパワーがあるし、若いからこその柔軟性もある。そのような若い世代に合ったやり方を考えることが重要となります。若い年齢でのやりたいことや性格、好みのスタイルなど、さまざまな選択肢を提示した中から、本人が本人らしく感じるプログラムを作り上げれば伸びしろ大です。それを支えるのが経験ある大人の役目でしょう。
今もどうすれば良くなるか、周りの意見を聞きたいし、言ってほしい。自分では色々考えながら創り上げる才能を持っていると信じている。周りの人たちにも信じてもらえ、「小手先をやらない。存在していることがいい。」と考えるようになり、我孫子をもっと良くするために活動していきたいと、願っている。
このところ、6時頃から、各候補者は我孫子駅周辺で政策チラシ(証紙)をおわたしする活動をしている。海津にいなは、北口のファミマ前に立っていたところ、様子を撮って下さった方がいたので、ブログにUpしておきます