100年前の関東大震災発生直後の千葉県野田市、柏市でおきた痛ましい「福田村田中村事件」は、我孫子市の近隣でおきた流言飛語の影響でした。行商に訪れていた一行が地元の自警団に殺害された、多くには伏されてきました。香川県の遺族のしらべや、郷土史家の調査記録により、野田市は犠牲者への弔意を初めて表明するとともに、9月に開かれる遺族との交流会に出席することになりました。
関東大震災の直後の大正12年9月、現在の千葉県野田市、当時の福田村で、香川から訪れていた薬の行商の一行が、当時迫害を受けていた朝鮮人と疑われたことをきっかけに、薬の行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が福田村と田中村(現柏市)の自警団に殺された。地元の自警団から暴行を受け、9人が殺害されました。
事件からことしで100年になることに関連し、野田市の鈴木有市長は6月20日市議会の一般質問の中で、「被害にあった方々に謹んで哀悼の誠をささげたい」と述べ、市として初めて公式に弔意を表明しました。
また、地元の市民グループがことし9月に計画している遺族との交流会や教訓を学ぶ勉強会に、市の職員を参加させる考えを明らかにしました。
地元の市民グループは、現場近くに犠牲者の慰霊碑を建立し、遺族などを招いて毎年9月に追悼の式典を開くなどしていますが、市は、これまで民間人どうしの事件だとして、こうした行事などに参加することはありませんでした。
今回の市の対応について、遺族との交流会を計画している市民グループ代表の市川正廣さんは「高く評価したい。ただ、これはまだ最初の一歩で、市には事件の教訓を伝えるなど、歴史に向き合ってもらいたい」と話しています。
9月から封切りの映画「福田村事件」の森達也監督は、我孫子市に一時期住まわれていたこともありました。
我孫子は関係なかったかと言えば、実は朝鮮人青年2人を捉え、駅前の神社境内で手をかけたとの記録(殺人にかかわった人々は逮捕された)が残っていると、郷土史家・辻野やよいさんの著書などに記されています。
参照 NHK(6/24)