6月27日火曜日、フランス首都パリから北西郊外に位置する街ナンテールで17歳の少年、ナエル・Mさんが警官に殺害され大きな批判が起きた。当初、警察関係者は白バイ2台に車両が突っ込んだと主張していたが、ソーシャルネットワーク上で拡散した動画では、警察官2人のうちの1人が運転手に銃を突きつけ、車が動き出した瞬間に至近距離から発砲したことが見て取れる。このことにより、「警察当局の一部が行為を隠蔽しようとして嘘をついた」と、警察への不信感が一気に高まったのだ。現在、発砲した警官はその後すぐに拘束され、現在、殺人罪で訴追され裁判を待っている状況だ。
残っていた動画をみると、確かに警官が殴る動作をした後、車がゆっくりと動き出しているようにも見える。警官に従わず突破しようとしたわけではなく、警官の粗雑な攻撃が原因ということになる。
射殺されてから1週間余りが経過し、一時期は爆発的に暴動が広がったものの、1週目にはかなり落ち着きを取り戻してきた。
外出禁止令などの対策を打ち出した市長宅に車が突っ込んだり、花火を投げ込んだり、車を燃やされたりする事件も発生したが、少年の祖母が鎮静化を祈るコメントを発表したり、7月2日日曜日の夜は、国内では4万5000人の憲兵と警察が大々的に対応した後は、暴動は収束に向かっている模様だ。
射殺事件の背景を見てみると、パリ郊外ナンテールという街でおきた。
フランスは自治体ごとに住民の平均収入の差が大きく、都会と郊外には経済格差が大きくある。
郊外に外国人労働者が多く住むようになる歴史を振り返ると、19世紀後半からフランスの出生率が低下し始めたことにも原因があった。そして第一次世界大戦時に多くの若者が亡くなり、人口が著しく減少した。そこで、スペイン、ポルトガル、ベルギー、イタリアなどから移民を受け入れ始め、多くが農業従事者として働いた。第二次世界大戦後の「栄光の30年」と呼ばれた経済成長期(1945年〜75年)において、安価な労働力が必要とされ、元植民地だった地域、特にアルジェリアから大量の移民を受け入れたのだ。彼らの多くは炭坑や自動車工場の労働者として働き、戦後のフランス経済の復興と成長を支えた。
しかし、低所得者(主に移民出身者)が住む街と、裕福層が固まって住む街にきっぱりとわかれることになった。社会の分断は、子供達の教育にも大きく影響をおよぼした。フランスの教育システムにも問題があったからでもある。もともとフランスの教育というのは裕福層が対象にされていた。それは、学校での授業時間が短く、宿題が多いシステムだった。お金があって家庭教師を雇える環境であったり、親が教えられるぐらいのレベルにあったりすることが前提となる教育システムである。学校での教育時間が少ないというのは、親の教育レベルや収入レベルが子供に影響をおよぼしやすくなるのだ。
こういった教育環境では、自国でも十分な教育を受けていない移民が多くいて、その子供には明らかに不利な状況だった。学校に行っても勉強についていけない子供が多く現れた。しかも、勉強についていけなければ、結果、学校を退学になる。そして挙句の果てに、道端にたむろするようになりストリートギャング化した若者が、警察に追い回されることが日常的におきてきた。フランスは不安定な社会の上に成り立っており、なんらかの事件が発生すると、すぐにこのような大規模な暴動に発展するということだ。
Facebookがまだハーバード大学の学生専用のネットワークだった約20年前とは違い、現在はスナップチャットを中心とするSNSの利用者が増えたのがその原因だ。あっという間にネットで拡散されたのが大きな特徴だ。2005年は、暴動がクリシー・スー・ボワからセーヌ・サン・ドニ全域に広がるまでに3日、フランス全土に到達するまでに1週間かかった。これに対し、今回の暴動は2、3日で全国に広がったのだ。それが、普通の若者も多く参加する暴動になっている要因だった。
参照HP https://japan-indepth.jp/?p=76658