荒川和久氏によると、日本では元来離婚が多かったので、明治憲法において女性の意志による離婚が出来ないという法律ができるまでは、離婚の事情はそもそも多かったのだとデータを示し論証ている。
熟年離婚との言葉はあるが、離婚をほとんどしない高齢夫婦を分母に入れたままの指標が正しく事実を反映しているとはいえない。離婚は54歳までで90%を占めているので、そこで特殊離婚率による数字を見て、「結婚が何組作られ、何組壊されているのか」を知る重要な指標なのである。
日本で離婚が少なったのは、明治民法以降せいぜい100年の歴史にすぎないと、指摘する。離婚に関しては特殊離婚率を見る方がよい。特殊離婚率は、年間ごとでも見るが、毎年30%が離婚するという意味でとらえるより、結婚に対する離婚の比率を見るためのものである。
1990年から2019年までの30年間の全年代を対象とした婚姻数累計は、2150万組、離婚数累計は693万組である。30年間の累計特殊離婚率は約32%となる。もちろん、この離婚数の中には、1990年以前に結婚した夫婦も含まれているが、30年間の累計においては誤差の範囲だ。つまり、この30年間で結婚した夫婦のうちの32%は離婚をしていることになる。まさしく「3組に1組は離婚」しているのだ。
江戸時代、離婚が多かったことは、享保15年(1730年)の史料に「世上に再縁は多く御座候」という記述があったり、土佐藩には「7回離婚することは許さない」という禁止令があったことからも想像できる。むしろ6回までは許されたのだ。禁止令が出るという事は、実際にはそれ以上の離婚があったという証拠でもある。
日本の離婚が増えたのは近年になってからだと思っている人が多い。昔の夫婦は、「添い遂げるもの」と考えているかもしれない。それは大きな勘違いである。元々日本は離婚大国であった。
明治民法以前の庶民の夫婦は、ほとんどの夫婦が共稼ぎ(銘々稼ぎと言う)で、夫婦別財でもあり、夫といえども妻の財産である着物などを勝手に売ることはできなかった。しかし、
日本が、離婚を減少させたのが、1899年の明治民法により、結婚が「家制度」「家父長制度」に取り込まれることになった。民法によるもっとも大きな変更は、妻の財産権の剥奪である。明治民法はその妻の財産権は家長である夫の所有に属するものとなり、経済的自立と自由を奪われた妻にとって離婚は生きる術を失うような位置づけとなった。
実際、明治民法以降に離婚率は10%台に激減し、それが1998年に30%オーバーとなるまで、低離婚率の期間が続くことになる。明治政府がそのような政策をとった背景は、ある意味では、富国強兵をにらんだ結婚保護政策の一環でもあり、まさにここから日本の皆婚時代と多産化が始まったといえる。
出典 Yahooニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/arakawakazuhisa/20211217-00273021
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