日本のメディアだけを見ていると気付きにくいが、中国のメディアをチェックすると、日々、日本に関する大量の情報が出回っていて驚かされる。3月、音楽家の坂本龍一氏が死去した際は、中国でも速報され、微博(ウェイボー)のホットワードランキングで第1位、SNSでの拡散は日本以上ではないか、と思うほどすさまじかった。SNSには「偉大な坂本先生、安らかに」など追悼コメントが多数投稿され、中国人の坂本氏に対する愛情やリスペクトをひしひしと感じた。
坂本氏のニュースだけではない。2022年7月、安倍晋三元首相が銃撃されて死去した際なども同様で、その拡散のスピードと関心の高さ、情報量の多さと詳細さに驚く。むろん、欧米など世界のニュースも中国では報道されているが、ダントツで多いのは日本に関する情報で、政治から芸能ネタまで、他国の情報を圧倒している。なぜ、中国人はここまで日本に強い関心を持ち、日本を評価するようになったのだろうか。
背景にあるのは、まずSNSの力だ。中国のSNSが発達し始めたのはスマホが普及した2013〜2014年頃からだが、大手メディアのニュースがアプリでほぼ無料で読めるようになったのも2014年頃からで、中国人にとって「情報」の意味が変わった。政府から与えられる「政治宣伝」(プロパガンダ)だけではなく、自らの意思で情報を“選択”して、入手するものになった。
政府が発信する情報をうのみにしていた人もいたが、友人や知人が発信する「生の日本」はそれとは異なるもので、次第に興味を抱く人が増えた。「微博」だけでなく、個人が気軽に発信できる「微信(ウィーチャット)」「斗音(ドウイン=動画アプリ)」「小紅書(中国版インスタ)」など「自媒体」(個人メディア)の影響力が強くなったことも大きい。
自媒体に流れてくる情報は、もちろん、国内ニュースや各自の身近な話題が中心なのだが、2014年以降に起きた海外旅行ブームの影響で、海外の話題も増えた。中でも、日本は中国人にとって最も近い外国であり、日本旅行の経験談や日本で「爆買い」したことをSNSに投稿する人が増加した。コロナ禍前の2019年、訪日中国人観光客は約959万人と過去最高となり、「日本」に関する経験を積んだ人が増えた。
そうした「日本力」ともいえる基礎知識を持つ人が、ここ数年で急激に増加したこと、在日中国人からの情報発信が増えたこと、すそ野の広がりなどが、日本への相対的な関心を高めたのではないか、と筆者は感じている。
「ニッチな分野で『日本の○○を見学したい』という要望がかなりありました。たとえば、柔道家の古賀稔彦さんの古賀塾を見学したいという要望があって、合宿を行いました。中国ではまだ柔道人口が少ないので、有名な古賀さんの塾で指導を受けるのは、中国の子どもたちにとって貴重な経験だったと思います。ほかに、地方の農業見学ツアーなどもお手伝いしたことがあります。先進的な取り組みをしている日本の農業に対する関心はとても高いんです。今後、往来が増えれば、もっと増えるでしょう」(雷蕾氏)
このように、中国人が「日本を買っている」(高く評価している)のは、不動産から専門的な商品まで多岐にわたるが、それは、彼らが日本を乗っ取ろう、日本製品を買い占めようと思っているわけではなく、中国には「ないもの」が、日本にはあまりにも多く、しかも、魅力的だからなのだ。
コロナ禍によって、対米観も対日観も変化した
次にコロナ禍の影響が挙げられる。2020年以降、中国人の出入国もほぼ停止状態となり、海外に関する報道といえば、各国のコロナ感染状況、そして米国との対立をあおるものが中心となった。筆者は中国がゼロコロナ政策を取っていた2022年に、中国人の中国観を描いた本を出版したが、その過程で、コロナ起源を巡り、米国への憎悪を深める中国人がいかに多かったかを思い知った。
対照的に、日本に対しては「安心・安全な国」という認識が以前にも増して強くなった。むろん、日本人からすれば、近年は、日本も安心・安全とはいえない状況になってきていると感じるが、ゼロコロナ政策で移動を強く制限され、政府の鶴の一声によって、一瞬で自由や人権が奪われるかもしれない中国は次元が異なる。厳しい環境に暮らす彼らにとって、日本は自国とは比べ物にならないほど安全で、理想的な国だ。そのことを、コロナで再認識した人が多い。
2022年、中国での生活に耐えきれず、日本の不動産を購入し、日本に移住してきたある男性は「ゼロコロナ政策で身も心も疲れ果てていたが、日本ではコロナ禍でも社会の秩序は保たれ、人々は落ち着いた生活を送っていることに驚いた。日本での生活は、中国で感じるようなストレスがない」と語っていた。
また、来日できないまでも、日本に対して「郷愁」「憧れ」「共感」を持つ中国人が増えた。「コロナで日本旅行に行きたくても行けないから」と、ネットで買ったコタツをリビングに置いて、日本風の生活を楽しんだり、日本風のラーメン店や、昭和の雰囲気が漂う居酒屋に足繁く通ったりする人が増えた。特にZ世代と呼ばれる10代後半〜20代の若者の間では、昭和を代表するアイドルにハマる人が急増。昭和風のレトロな写真を撮影してSNSに載せたり、昭和アイドルの曲を聴いたりするのがはやった。生き馬の目を抜く中国での生活はとにかく目まぐるしく、人々は常に緊張しているが、そんな中、SNSで、日本の穏やかな生活を見て、憧れの気持ちを抱いた人が多い。
キャンプブーム、スキーブーム、日本製釣り用品も人気
それは購買という点にも表れている。コロナ禍の影響もあり、2022年から中国ではキャンプブームが起きているが、そこでも「日本」の存在感が際立っている。
杭州在住で30代の経営者の男性はSNSに「露営」(キャンプ)の様子を頻繁に投稿しているが、写真に写っているのはスノーピークなど日本のアウトドア用品メーカーの商品ばかりだ。その男性は「日本ではキャンプの歴史が長く、関連グッズもおしゃれで品質のいいものがたくさん売っている。アウトドア関連の雑誌も多く、いつもそれらを参考にしている」と話してくれた。
釣り用品なども日本製品の品質が高いという評判が広まり、ダントツで売れている。スキー用品についても同様だ。日本はバブル後の1993年をピークにスキー人口が減少しているが、中国では2022年の北京冬季オリンピックの前からスキーがブームになった。約30年のズレがあるが、ここでも日本製のおしゃれなスキーウエアやスキー用品の需要が増大。日本のバブル時代をほうふつとさせるように、スキー場でSNS映えする写真を撮ることが若者の間で流行している。
これらは彼らの「日本買い」のごく一部にすぎないが、日本は中国より30年早く経済発展しているため、どの分野においても「日本のほうが商品の種類が多い。品質が良く値段も安い。コスパがいいものが多い」と中国人は口をそろえる。日本では人口減少や需要減で売り上げがジリ貧の業界が多いが、中国人から見ると「ぜひ買いたい」というものばかりだ。
平和な日本には老舗企業がたくさんある
「日本買い」をしているのは若者だけではない。コロナ前、日本に旅行した上海在住の40代の男性は「日本の老舗企業の多さに感心した」と話していた。
「老舗が多いのは日本が平和な国である証拠。中国は動乱が多く、資金力がないと同業他社にすぐ叩きつぶされるので、長く続く企業は少ない。次に日本旅行に行ったら、単に観光するだけでなく、老舗企業の経営者から事業継続の秘訣を学びたい」(上海在住の男性)
この男性が特に興味を持ったのは、山形県の高木酒造が造る日本酒の『十四代』。中国では日本酒が大ブームを巻き起こしているが、商品の良さだけでなく、経営者や職人に直接、開発や経営に関するエピソードを聞いてみたい、と語る。中国でも、孫正義氏や柳井正氏など、日本を代表する経営者に関する本や記事は多数、翻訳されて出回っており、一部の経営者のバイブルになっているが、知る人ぞ知る地方企業の経営者や、熟練の技を持つ職人の考えなどについては、なかなか知るすべがないからだ。
そうしたこともあり、実は、コロナ禍の前から、中国の企業や団体が日本を視察するツアーがじわじわと増えていた。正式な統計はないが、そこに介在しているのは、たいてい日本社会を熟知している在日中国人だ。
インバウンド、日中ビジネスマッチングなどの事業を行う「シンフロンテラ」を経営し、在日中国人インフルエンサーとしても活躍する雷蕾(レイレイ)氏によると、「2016年頃から、コロナの前の2019年まで、中国からの視察ツアー、スタディーツアーが増えました」という。
『中国人が日本を買う理由』 (日経プレミアシリーズ) 中島恵 著