AERA連載より
皇室のカレンダーを飾る人の気持ちが知れなかった。だいたい他人の家族写真を自宅に飾るという発想が意味不明である。そう思って半世紀生きてきた。が……気が付くと私は今、こう思っている。
21歳のお誕生日、白い馬と寄り添うように立ち、カメラ目線でほほ笑む愛子内親王の“あのお写真”、ほしいです。
多くのメディアが一斉に報道した愛子内親王の21歳誕生日ショット。眞子さん×小室さんにまつわる報道に疲れ気味だった今だからなのか、深い幸福、静かな平和、強い安定を漂わせる愛子内親王の笑み(白馬付き)に、虚を突かれたのかもしれない。内親王に全幅の信頼を寄せているような馬の表情もすごい。ちなみにあの白馬の名は「生智」である(←調べた)。生きる智、ですよ。ディープインパクトとか、トウカイテイオーとか、キタサンブラックとか……そういうのではない馬の名前を、私は初めて知りました。
愛子内親王、いったいどのような方なのだろう。2020年の共同通信の調査によれば、女性天皇を認めることに「賛成」「どちらかといえば賛成」を選んだ人は計85%にのぼっている。それはやはり、その地位に立つのが愛子内親王だから、という具体的なイメージがあってこその85%だろう。この国のムードとしては、愛子天皇を見たい、という欲望がはっきりとあるのだ。
愛子内親王。長年、心身の不調を訴えてきた母のもと、ご自身も中学時代に激やせした姿を見せるなど、精神的に厳しい時代も長かったのではないかと思っていたが、今年3月に行われた初めての単独記者会見では、「皇室の一員である」ことの使命を堂々と語られていた。ご自身の言葉を自由に発することのできない立場としては、佳子内親王はじめ他の成年皇族の女性たちよりずっと厳しいのではないかと思われるが、佳子内親王による現代女性らしい発信(ジェンダー平等に関することなど)や、眞子さんの“家出”のような結婚から感じる生々しさのようなものは、愛子内親王からはほぼ感じられない。そもそも報道によれば、愛子内親王はこの1年、コロナ禍のため外出は3回だけだったという。いくらおうちが広いとはいえ、21歳の女性がそんな生活できるものだろうか。そういう意味では、閉ざされた世界でも黙々と我が道を生きられるという、ものすごく皇室向き……なのかもしれない。
21年前に愛子内親王が誕生されたとき、雅子妃(当時)がこれでようやく解放されたのだと思ったものだ。どれだけ学び、どれだけ努力しても、いったん皇室に入ってしまえば女性の役割は妊娠・出産、という身も蓋もない家父長制の本音を一気に背負った雅子妃の人生を、人ごとには思えなかった女性は少なくないだろう。結婚前の記者会見であれほど冗舌に、ユーモアたっぷりに自身の言葉で語っていた小和田雅子さんが「雅子妃」になるということは、言葉を奪われていく過程に見えた。その後、日本から出ることも許されず、適応障害の症状に長期間苦しまれることになる雅子妃には、痛ましさがどうしてもつきまとった。その雅子妃が人生をかけて産んだたった一人の娘、37歳で大変な思いをして産んだ娘が愛子内親王である、という事実も、長年“小和田雅子さんの人生”をハラハラとつらい思いで眺めてきた者たちからすると、問答無用に応援したくなってしまう存在なのかもしれない。
少なくとも私は、愛子内親王の白馬とのツーショットを見てそんな思いになったのだと思う。成長されましたね、よかった、本当によかった、よかった! どうかこのまますくすくとご自身の道を歩いていただきたい。できれば天皇になってほしい。いや、ご本人がなりたくないならならなくていい、幸せに生きてほしい。「生きのびてくれて、ありがとう」という気持ちになったのだ。
愛子内親王。日本の近現代史上初めて、時代の流れによっては、「天皇」という地位に最も近い場所に立つ女性。成年記者会見の言葉からは、愛子内親王にとって皇室は重荷ではなく家業のように受け継ぐもの、というような意思を感じたものだが、20代を今後どのように過ごされていくのだろう。とはいえ一般人であった小和田雅子さんが、はたから見るとかなり強引な流れで皇室に入っていかれたのと違い、その娘は、今までの慣習からすればほぼ強制的に一般男性と結婚する以外に生きる道はない状況でもある。その道を変える選択は、今後、皇室は取るのだろうか。女性天皇論、女系天皇論は、安倍政権によって軽々と潰されてきたが、改めてその議論がわき上がりつつある今、この国はどの道を選ぶだろうか。
大変な運命の下に生まれた人、愛子内親王。皇室の女性たちからは、やはり目が離せない。