ロシアによるウクライナ侵攻が激しさを増す中、石橋湛山の主張を考えることに意味があると、第一生命経済研究所の熊野英生さんが解説します。「毎日新聞経済プレミア」に紹介された記事は、何でも経済利得で考えることは正しくないかもしれないものの、経済利得の基盤は平和であるから、安全保障を根本から考え直そうとするときには役に立つ考え方だ。改めて、なぜウクライナ侵攻は起こり、それがロシアにとって何をもたらすのかを石橋湛山の視点で問い直したいとして、現ロシアへの警鐘としている。
戦前の日本で、植民地であった満州と朝鮮半島の権益を捨てろと言った言論人がいた。戦後に首相を務めた石橋湛山である。戦前の日本は言論統制のさなかで、植民地であった満州と朝鮮半島の権益を捨てろと言った言論人は数えるほどでしかなかった。
石橋湛山の「満韓放棄論」は、植民地主義にこだわって日本が米英と対立しても何の利得もなく、むしろ自由貿易で経済利得を追求する方が、アジアにおいて日本に大きな経済メリットをもたらすという主張した。プーチン露大統領に石橋湛山の言葉を聞かせたい。ウクライナなど旧ソ連だった地域を自国に取り戻そうとしても、何の利得もなく、ロシア自身には巨大な経済損失しかもたらさない。
◇植民地主義vs自由貿易主義
石橋湛山の反植民地主義は、経済的発展を座標軸にして考えるという発想から出発した、植民地主義の反対側にあるのは自由貿易主義だ。極めてエコノミスト的な考え方である。戦前の日本の、まだ自由な言論が許されていたころに、石橋湛山はこの議論を展開した。
かつて植民地を獲得しようとした軍国主義の日本がそうだったように、現在のロシアもまた国際社会から巨大な経済制裁を受け、経済成長率が劇的に下がっている。侵略のコストと言ってよい。ウクライナ侵攻は、ウクライナに多大な損害を負わせただけではなく、ロシア自身も経済制裁を通じて大きな打撃を被ることになる。
◇戦争による経済損失を試算
国際通貨基金(IMF)の経済予測を基に、ウクライナ侵攻前(2021年10月時点)と侵攻後(22年4月時点)でどのくらい実質国内総生産(GDP)を下振れさせたのかを計算してみた。IMFは5年先まで経済予測を出している。
ウクライナの場合、22年の成長率は38.6ポイントも下方修正されていた。実額では770億ドル(約10.0兆円<1ドル=130円で換算>)の損失に当たる。
同様の計算をロシアについて行うと、22年の成長率は11.5ポイントの下方修正だった。ロシアの場合、仮にウクライナとの停戦が早期に行われたとしても、その後も経済制裁は継続すると予想されるため、さらなる下方修正が必要だろう。
ロシアの22〜26年の5年間について、毎年の下振れ幅を累積すると下方修正幅は17.6ポイントに膨らむ。実額では3100億ドル(約40.3兆円)となる。これにウクライナの770億ドルを加えると3900億ドル(約50.7兆円)に達するのだ。
これだけの経済損失が生じることを考えると、ロシアは何という戦争を仕掛けてしまったのかと思う。
◇「小日本主義」の思想
満韓放棄論を唱えた石橋湛山の考え方は「小日本主義」とも言われる。軍事力を用いて大国意識を振りかざすことは、国民にとって何の利得もないことだと喝破する。
ロシアがウクライナ侵攻を行った大きな理由は、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)加盟を試みようとしたことにある。自らの安全保障が脅かされることへの危機感だ。しかし、ロシア自身の軍事力増大がウクライナに危機感を抱かせ、対抗措置として加盟を急いだ面もある。
過去、ウクライナでは親ロシア政権と反ロシア政権が入れ替わってきた。反ロシア政権は欧州連合(EU)と接近して政権基盤を強化しようとする。こうした背景を考えれば、ロシアが変わればウクライナやEUの外交姿勢も変化するはずだ。
参照:毎日新聞(5/28)
<付言>
戦前の言論統制の日本の中で、わずかに征韓論に反対の主張ができた3人ほどのなかに、20代の青年、柳宗悦がいた。結婚とほぼ同時に、我孫子に移住、引っ越しした9月に朝鮮半島で美術教師をしていた青年(浅川伯教、後に朝鮮古陶器、手工芸の世界的知見となる)の来訪を受け、手土産の朝鮮白磁に感銘、その後に独自の民芸論を展開することになるのだが、「文化歴史のある一国を支配、攻撃しようとすることは後々に悔やまれることになる」と警鐘を鳴らし、朝鮮統治へ翻意するようを促した。民藝の原点には朝鮮の手工芸品や仏教文化への敬愛の念が育まれるのは、浅川巧(伯教の弟、民藝運動に重要な役割を果たす。朝鮮にて死没)の影響が大きくあった。論文『我孫子における芸術家共同体』(海津、2021)