
尹は大学在学中の1980年の光州事件における流血を伴う鎮圧と関連した模擬裁判に検事役で参加し弾圧を行った全斗煥大統領に死刑を求刑した。当時の状況では、模擬裁判でも死刑を求刑するのは容易ではなかった。尹錫悦はこの模擬裁判の後しばらくの間江原道に逃げた[5]。
1980年と1981年の二度兵役を延期したが1982年に不同視によって兵役免除処分を受けた。
ソウル大学校4年生のときに司法試験1次試験に合格したが2次で不合格となる。9年間不合格の後1991年第33回司法試験に合格。司法浪人の原因は定かでないが全斗煥模擬裁判が影響したと見なされている。そのため他の司法研修院の同期よりも年齢が高かった。
9日、ソウル(聯合ニュース)
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