フランスには今、ウクライナから多くの避難者が訪れていますが、彼らが滞在するパリ市の体育館で避難所の「個室」作りに貢献しているのが、日本人建築家の坂茂氏です。
フランスに到着するウクライナ人の支援を行うフランス赤十字によると、多くのウクライナ人はパリに24〜48時間滞在した後、スペインやポルトガルを目指すそうです。こうした短期滞在者向けの施設として、パリ市は3月9日、10区と12区にある2つの体育館を避難所として提供しています。
体育館の半分はテーブルと椅子のあるコーナーと遊具コーナーが。テーブルの置いてある空間は、大人の背丈以上の木と、背の低い花の植木鉢で交互に囲われており、緑による癒し効果が期待できます。「滞在者の尊厳を守り、静かでくつろげる空間を提供したい」とパリ市は説明しています。そして、体育館の残りの半分が、簡易ベッドが並ぶスペースとなっており、ここに坂氏が考案した紙管を使った間仕切りシステム(PPS=Paper Partition System)が設置されています。4本の紙管と梁を利用した空間は2メートル四方で、それぞれの梁に布をかければ周りからの視線も気になりません。通路に面したカーテンを閉めれば、そのユニットには人がいることがわかります。
「建築界のノーベル賞」とも呼ばれるプリツカー賞を受賞した坂氏が、難民や被災者支援の活動も行っていることは、東日本大震災などを機に日本でも広く知られるようになってきました。坂氏が支援活動を始めたのは1994年の民族紛争によるルワンダ難民の窮状が連日報道された頃でした。
経済的に余裕のあるクライアントのための仕事だけでなく、困っている人の役に立つ活動を模索していた坂氏は、雨季で寒くなってもプラスチックシートのみの簡易なシェルターのみで肺炎が流行っているというニュースを耳にして、現地で支援活動の中心となっていた国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に断熱性に優れた紙のシェルターを提案。
当初の提案は受け入れられませんでしたが、環境問題やコストの面からUNHCRが注目した紙という素材を発展させ、紙管を使った坂氏のシェルターは翌春UNHCR公式のプロジェクトとなり、緒方貞子高等弁務官(当時)からも高く評価されました。
前後して阪神・淡路大震災(1995年)や、トルコ西部大地震(1999年)のほか、新潟県中越地震(2004年)、アメリカ・ルイジアナ州を襲ったハリケーン「カトリーナ」(2005年)から東日本大震災(2011年)まで、坂氏は世界中の震災などの被災地にできるかぎり最早で現地入りし、各地の状況に沿った支援活動を続けてきました。
今回はパリ市がウクライナ難民の受け入れを行うというニュースを知ったパリの坂事務所が市にPPSの提案を行い、体育館への導入が実現しました。坂氏がウクライナ難民の支援活動でPPS設置を開始したのはその2週間前、ウクライナに隣接し最も避難してくる人数が多いポーランドでの2カ所でした。
現状のPPSは、これまで数々の支援活動を経て東日本大震災の支援時に完成したプロトタイプであり、そこから今のところ不燃化以外の変更は加えられていないということで、東北やその後の自然災害での支援で、日本で使用されていたものと同じものが現在ウクライナの難民たちにヨーロッパで提供されているということになります。
ただしコロナ禍において、日本で昨年の豪雨の避難所や、ワクチン接種場でPPSを使用した際には、布地に防炎加工に加え、抗菌加工も施しました。
そのほか、坂氏のPPSはウクライナのリヴィウで2カ所、スロバキア(ブラチスラヴァ)でも設置され、今後も新たにハンガリーやルーマニアなどでも使われる予定だといいます。
最初の設置場所となったポーランド、次のパリでは坂氏が実際に現地で監督も行いましたが、PPSの簡単な設置方法のおかげで、現地の建築家や学校などとの連携で現地に任せることが可能です。
「人的、自然災害にかかわらず、困っている人が目の前にいるのを助けたい」と話す坂氏。災害大国である日本ならではのアイデアが、今も多くの人を助けているのです。
出典: 前島 美知子 2022/04/13 11:00