フィンランドは、女性の政治進出が進んでいる。2000年から2012年までの間は、女性が大統領だった。
サンナ・マリンは、3人目の女性首相であり、2019年12月10日、34歳の女性首相の誕生は世界最年少(同年8月にデンマークでは41歳、二人目の女性首相が誕生)だ。フィンランドは国連が毎年発表する『世界幸福度報告(World Happiness Report)』の幸福度ランキングでトップを独走する。2021年版では、フィンランドが4年連続で1位となり、2位デンマーク、日本は50位以降に低迷のままだ。
なんと、フィンランドの国会議員の47%は女性。新内閣を形成するのは、女性12人、男性7人の大臣である。人口550万人の小さな国だが、これまでの政治的闘争は激しい。その中で、現在5つの政党(社会民主党、左翼同盟、中央党、緑の党、スウェーデン人民党)の党首は全員女性で、年齢は32歳と34歳が2人、55歳が1人(註 スウェーデン人民党は、スウェーデン語を母語とする少数派フィンランド人の党)。フィンランドの高齢化率は日本、イタリア、ポルトガルに次ぐ世界第4位の高さなのにだ。
ここに至るまでのフィンランドは、90年代に教育改革を進めてきた。マリンは、1985年、首都ヘルシンキで生まれた。新しい教育を受けて育った世代である。教育の無償、機会均等、平等、子どもの権利、ウェルビーイング、参加すること、影響を与えることを重視するフィンランドの教育が産みだした、若手政治家と見ることもできるだろう。
マリンにはもうすぐ2歳になる娘がいる。夫と育児休暇をずらして取って、共に子育てをしてきた。 誰もキャリアか家庭かの選択を迫られるべきではない。父親にも育児をする権利と義務がある、とマリンは言う。マリンへの支持には若い世代にあるが、道のりは、まだまだ険しい。
マリンの生い立ちを見れば、彼女の闘争心の理由も理解できそうだ、父はアルコール依存症で、幼いとき、両親は離婚。子どもの頃から、父とはコンタクトはなく、 父の親戚についても知らないという。フィンランドでは、離婚後も両親が養育に関わるのが普通で、養育費支払いの義務もある。全くコンタクトがないというのは通常ではなく、父に何か大きな問題があったことを意味する。
マリンの母は労働者階級出身で、 児童養護施設で育った。15歳のとき、一人住まいを始めて働いた。様々な職につき、失業していたこともある。離婚後は、女性のパートナーと同居。母方の祖父母は亡くなっており、親戚も少ないという。母は教育を受けていなかったが、家では本を読み、いろいろなことについて話し合った。貧しかったが、愛されて育ち、普通の日常生活があった。母は、本当にしたいことは必ずできる、と励ましてくれた。 そうした環境で、自分に自信を持って育った。
「私には家族の物語がない。祖父母、父母、自分と続く世代の繋がりがなくて、断ち切られたようにこの世に生まれてきた」とマリンは言う。
でも、ルーツがないことを悲しまない。自分の出自に囚われすぎないほうが良い、と語る。
「自分がいかに不公正な扱いを受けたか、不当な目にあってきたか、欠けていたものが多かったか、という視点から世界を見ることもできる。でも、そういう風には考えない。過去どうだったかより、未来の方が大事だから」
2007年、タンペレ大学に入学し、アルバイトをしながら勉強した。マリンは卒業までに10年かかっているが、それは、特に珍しいことではない。マリンは、大学時代に活発な政治活動も始めていたのも、その一例である。
フィンランドには、「学習支援」という制度がある。 給付型奨学金、学習ローン、家賃補助の3つから成り、国が17歳以上の人の教育を経済的に支援する。学習ローンは国が保証人なので、親や親戚が保証人になる必要はない。フィンランドの大学は、学士ではなく、修士を取ることが目的である。
フィンランドには、「社会人」という概念はなく、学生と社会人という二分化もない。その両方であったり、その間を行き来したりしながら暮らしていける。
出典HP:https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69339?imp=0
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