大谷翔平選手の両親は野球にのびのび取り組める環境を求め、徹さんの故郷である岩手にUターン。徹さんは大谷が所属するリトルリーグの監督も務めた。7歳上の兄、2歳上の姉、そして翔平選手だった。大事にしていたのが食事だったという。楽しい時間を共有するため、夕食は5人家族が揃って食卓を囲む。「加代子さんは『給食で栄養士さんがバランスを考えてくれているので、大丈夫』と大らかに構えていたそうです。 子供時代の大谷は意外にも食が細く、トマトが大の苦手など偏食もあった。しかし大谷家では、両親が「もっと食べろ」「好き嫌いをするな」とうるさく言うことはなかったという。とにかく楽しい雰囲気を作れば、少しは食べる量が増えるのではと考え、お父さんが帰ってくるのを待って、家族みんなでワイワイと食べることにしていた。休日に多かったのがホットプレートでのご飯。みんなで料理をつつきあうことで自然と会話が増えると考えたそうです。
ご両親とも家庭内で大谷選手を叱ることはほとんどなく、重視したのは子供が安らげる空間を作ることでした。子供部屋を使うことはほとんどなかった。母・加代子さんは「翔平はいつもソファにいて、寝転んでボールを天井にぶつけないように投げて捕っていた」と。大谷選手勉強はテレビを観るのも、家での時間はずっと家族とリビングで過ごしました。両親の唯一の決めごとは「子供の前で夫婦げんかはしない」だったそうです。
Photo:米国野球界の顔になった大谷翔平選手の巨大ポスター掲げられたニューヨークの街中(7月24日)

スケートボード堀米選手、サーフィンの五十嵐選手、テニスの大坂選手ともに両親がスポーツの環境を整え、楽しく体つくりの基礎を覚えさせるように続けさせていた。誰もができるわけではない世界の舞台で表彰台に上るが、家族への感謝を忘れていないのが印象的だ。