立命館アジア太平洋大学(APU)学長、出口治明『適応力 新時代を生き抜く術』主婦の友社
不思議なご縁で誰かとつながったり、頼まれたことがきっかけで、他のことを頼まれたりと、どんどん場面が変化し、人間関係もチャンスも広がる。自分でも思ってもみなかった展開が始まっていった。
質問:いい巡り合わせを自分のほうに引き寄せるために、できることはありますか?
》「まずイエス」ですね。人生は、「イエス」「ノー」ゲームを毎日繰り返しているようなもの
例えば、APUの学長になったケースでは、「インタビューを受けますか?」と声をかけられたときが、「イエス」「ノー」のわかれ目でした。博士号があり、英語がペラペラで、大学の管理運営経験があるという3つの条件に僕は該当せず、しかもそれほど大学に行きたいと思ってもいなかったので、「ノー」という選択肢もあったわけです。でも、「ノー」と答えていれば、今ここで話している僕はいなかった。
だから、できることは何でも「まずイエス」で飛び込むことだと思います。僕には昔から1つの癖があって、人生の岐路に差しかかったときには必ず面白いほう、もっといえば、リスキーなほうを選んできました。
僕は旅が大好きですが、あまりいい例ではないかもしれませんが、外国の町を歩いていて、綺麗な大通りと薄暗い裏通りがあると、裏通りに行きたくなります。
岐路に立ったとき、まず「イエス」と答えるかどうかでいろいろなことが変わります。
新しい誰かに会えるという意味でも、「イエス」を選ぶ。たぶん、「イエス」のほうが人生のチャンスは広がると思います。
もちろん、「イエス」を選ぶだけではなく、普段から勉強はしておかないといけませんよ。
正月に凧を上げたいと思っても、凧が風に乗るまで一所懸命に走る体力がなければ凧は上がりませんから。
風が吹いたチャンスに走れる力を、つまり勉強をしておくことが、チャンスをつかむためには必要なのです。
人から頼まれたことを淡々と引き受けていくというのも人生、自分がしゃにむに目標に向かって頑張るのも人生。
力を抜いて「頼まれたこと」を淡々とやっていくという、気張らない、格好をつけない、という自然体の生き方だ。
「頼まれごと」というと、いかにも消極的にみえる。しかし、人は「頼まれごと」に限らず、大きな制約の中で生きている。
サッカーや野球などのスポーツにしても、ルールという制約が決まって当たり前のことで、それが制約や決まりがなかったら、どんなスポーツやゲームであっても、スタートしてほんの数分のうちに大混乱に陥り、ケンカだって始まるかもしれない。
つまり目標は、ただ、自分で立てた目標というだけで、最初は何の制約もないようにみえるだけ。目標を立てても、様々な制約や決まりに縛られる。
「頼まれごと」を引き受けることは、とてもスリリングで、ゲームのし甲斐があるということだ。今まで通りの安定からは何も生まれないが、ともかくやってみるのは何かが生まれる。なぜなら、肯定的になった人はビジョナブル(理想を追い求められる)になり、冒険的になれるからだ。
つづき