4月8日はお釈迦様の誕生日、はなまつりと言われます。
お釈迦様は「五蘊皆空(ごうんかいくう)」と言ったそうで、幸も不幸も、勝ちも負けも、成功も失敗も、敵や味方も、全部自分が決めている。「私」がそう決めなければ、敵も味方も、成功も失敗も、勝ちも負けも、幸も不幸も全部宇宙には存在しないと説かれたのです。
小林正観『「人生を楽しむ」ための30法則』フォレスト出版によると、あの世に行くと、向こうで決まって聞かれることがあるという。それは、「人生を、どれほど楽しんできたか」という問われている。
ダイヤモンドを掴むこと、金ももってくることはできます。100人が100人とも、指さして「これは金だ、ダイヤモンドだ」ということはできますが、では「幸せ」というものを持ってくることのできる人はいるでしょうか。ところで、絶対的な価値を持つものとして、誰もが認める幸せという名の現象、物体は、今も過去も存在していないのです。
では、なぜ幸せという言葉が存在するのでしょうか。幸せは、「私」にだけ存在するからです。
「私」が幸せだと思ったら幸せ。隣の人にとってそれが幸せなのではなく、全部「私」がそれを決めるのです。
「楽しい」と思わなかったら、これはただ通り過ぎるだけのことです。
つまり、「私」が全部決めている、ということです。
つまり、人生という現象をどう捉えたか、という質問だ。物事のとらえ方を、「うれしい、楽しい、幸せ」と物事を何でも好ましいほうにとらえる人を「好帝国(肯定国)の住人」と言います。重いとか軽いとか、暑いとか寒いというように色づけして、感想をつけて物事を評価したときに、その現象は実は全部「空」であるとわれば、私たちは悩みや苦しみから100%解放されるはずだった。究極は楽しくて心地よく暮らしていければそこにいていいのです。「うれしい楽しい幸せ」と思って生きていけばよい。何でもいいので「ありがたい」と思って生きて、その心地よいところで自分が生きていけば可なり、ということです。
五蘊とは、5つの集まりのことで、色、受、想、行、識をいう。
色とは、肉体であり、身のまわり全てのもの。
受とは、感じること、知覚すること。
想とは、何かを想うこと、好き嫌い。
行とは、意思や、捉われた想い。
重いとか軽いとか、暑いとか寒いというように色づけして、感想をつけて物事を評価したときに、その現象は実は全部「空」である、ということをお釈迦様は後世の人々に伝えたかった。
この一言が伝われば、そしてこの意味がわかると、私たちは悩みや苦しみから100%解放されるはずだった。
この一度しかない人生、面白がって、楽しんで、愉快に、生きていくようでありたい。