2020年11月17日

天皇の血筋

このところ、天皇家にまつわるという平将門の資料を読み漁っている。そんな中で、真子内親王のご結婚に関するお気持ちを公開されていたので、改めて血筋ということがどのように人の環境に影響を及ぼすのか考えてみたいと思う。

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非戸籍者である皇族は戸籍を持つ者の他力を借りなければ、戸籍を作ることも、意志があったとしても婚姻することもできないのである。
天皇と皇族には戸籍がない。

「眞子」のお名前は秋篠宮ご夫妻で決められ「まじりけがなく自然のまま」という意味の「眞」の字に、「天性のものを失わず、自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩む」願いを込めて命名されたという。ただただ、こうした誕生時に受けた素朴な親の願いが、婚姻という人生の大きな選択でも叶えられる環境が保障される状況が作られていないというのは、日本国民全体で改めて考えたらいいと思う。


天皇ならびに皇族に関する身分事項は、皇室典範および皇統譜令に定められた「皇統譜」に記される。

「皇統譜」は天皇・皇后に関する事項を扱う「大統譜」、その他の皇族に関する事項を扱う「皇族譜」の二種があり、皇室の身分関係(家族関係)、皇統を公証する。

婚姻により皇室に入る民間人は、それまでの「戸籍」を失うことになる。逆に結婚して皇室を出る女性皇族は、自分の戸籍を持たないまま夫を筆頭者とする戸籍を作り、そこに登録される。

戦後に改正された皇統譜令(1947年政令第一号)においても従前の皇統譜を継承するものとされた。皇族の身分を離脱した者は皇統譜から除籍、新たに戸籍を編纂。非皇族=「臣民」の戸籍に入ることを「降下する」という。離婚や離縁があっても元皇族は復籍することはない。

皇族女子が臣下に嫁すことで皇族でなくなる場合は臣籍降嫁と言うが、新憲法下では皇室離脱となり、明治以降約40例の記録が残る。最近では紀宮清子内親王、高円宮典子女王の例がある。

1947年には「皇族の身分を離れた者及び皇族となった者の戸籍に関する法律」が制定され、死別、離縁等の事情があるときには女子のみ皇族の身分を離れることができると規定された。

かつて三笠宮崇仁親王は皇族は「奴隷的な拘束」という言い方をして、その縛られた生活を表現した。

皇族は良心の自由・信教の自由・表現の自由・子育ての自由・選挙等政治活動の自由・その他の自由・権利行使が限定的となり、その「枠」は自己決定するわけにはいかず、男子皇族には「脱出する選択」が自らには与えられていないという不条理を抱えていることを率直に表現した。

加えて言えば、婚姻の自由も制限される。

国民主権、基本的人権、男女平等――。

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天皇と皇族は「国民の象徴」であり「日本国憲法」を尊重しつつ、それとは違う価値をも継承することこそが「非戸籍の日本人」としての「機能」として求められる矛盾を咀嚼しなければならない。
 「権利保障体系に基づいて、窮極の「人権」が語られるべきだと思う。ある制度(生活環境、身分など)のために、本来普通の人間すべてに保障されているはずの権利・自由が構造的に奪われているばあいは、なん人ともその制度の枠組みから逃れ、ふつうの人になる「脱出の権利」(right to exit)があるべきである。「脱出の権利」によって達成されるのは「ふつうの人間」になることであり、「ふつうの人間」になることによって権利保障体系をみんなとおなじように享受することができる。その意味で「脱出の権利」は人道無視の重大な侵害を受けている者に認められる切り札であり、窮極の「人権」である。

 ただ、天皇・皇族が違って考えられるのは特別範疇の人たちが特権的地位や居心地の良さを放棄し、その階層から脱出さえすればこの人たちも「ふつうの人間」になり、そうすることのよって“人権“が回復されるはずだという理屈の裏打ちがあるからである。」(奥平康弘『「萬世一系」の研究』P380〜381)
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「日本人」の公式な証明となる「戸籍」に決して記載されることのない天皇および皇族を、日本国籍を持つ「国民」とみなすべきなのか否かについては、今なお確立した定説がない。

皇族自身が「無国籍者」意識さえ醸造してきた「戸籍秩序」に関しては、今回の眞子内親王のご結婚延期発表からも新たな考察が必要であろう。


参照:現代ビジネス(11/18)
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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