青空の麗らかな日に、ビニールシートを広げて、100人近くが根戸新田に集まって、蕎麦とまみれ、収穫の手作業を繰り返しました。
ハイハイの赤ちゃん連れのファミリーも参加しています。
刈り取った蕎麦から実を取り除く作業を午前中〜1時位まで、フル回転で手作業で揉み取ります?!
マスクをして、白いネット付きの帽子をかぶり誰だか分からない格好ですが、海津にいなも赤いウインドーブレーカーで頑張ってきました!
緑の草の匂いと雲一つない青空の下、朝から皆と働いているのは、なかなか爽快な気分です、泥だらけになっても良い格好で来られる皆様には、楽しく参加できるかなと、NPO手賀沼トラストはおススメです。
2020年10月31日
2020年10月30日
2020年10月29日
核兵器禁止条約が発効に至近距離
【ニューヨーク時事】核兵器禁止条約が発効に近づいている。批准国・地域は23日時点で49に達し、発効に必要な50まであと1。条約は50番目の国・地域が批准書や受託書を国連に寄託してから90日後に発効する運びで、NGOなどは年明けの実現を見込んでいる。
オーストリアなど条約の推進国と国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)は23日にオンラインでイベントを共催。この中で、ジャマイカとナウルが新たに批准書寄託を発表した。
被爆者のサーロー節子さんも演説し、「(50カ国に近づいていると聞いた時)立ち上がれず、座ったままうれしくて泣いた」と語った。「核兵器の終わりの始まりまで来た。この扉に足を踏み入れよう」と呼び掛けた。
ただ、関係者によると、条約に批判的な米国は一部の国に批准を取り下げるよう求める書簡を送るなど、圧力を強める姿勢を見せている。
条約は、核兵器を非人道的な兵器として初めて法的に禁止した国際条約。発効すれば、核兵器の使用・保有のほか、核使用を示唆して威嚇することも違法化される。核保有国の参加は現状では見通せないが、ICANの川崎哲国際運営委員は、発効により核保有国への圧力が高まれば「行動変容が起きると期待できる」と指摘した。
出典:時事通信(10/23)
オーストリアなど条約の推進国と国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)は23日にオンラインでイベントを共催。この中で、ジャマイカとナウルが新たに批准書寄託を発表した。
被爆者のサーロー節子さんも演説し、「(50カ国に近づいていると聞いた時)立ち上がれず、座ったままうれしくて泣いた」と語った。「核兵器の終わりの始まりまで来た。この扉に足を踏み入れよう」と呼び掛けた。
ただ、関係者によると、条約に批判的な米国は一部の国に批准を取り下げるよう求める書簡を送るなど、圧力を強める姿勢を見せている。
条約は、核兵器を非人道的な兵器として初めて法的に禁止した国際条約。発効すれば、核兵器の使用・保有のほか、核使用を示唆して威嚇することも違法化される。核保有国の参加は現状では見通せないが、ICANの川崎哲国際運営委員は、発効により核保有国への圧力が高まれば「行動変容が起きると期待できる」と指摘した。
出典:時事通信(10/23)
2020年10月28日
電気車椅子の院内実験に参加
11Fに帝国ホテルのレストランでランチしました。
「国立競技場では、昨日は「嵐のコンサート」が無観客で行われ、ライブ配信の撮影をしてました。」と向かいの席の女性客に教えられて、オリンピックは延期でも、「嵐」は今年で解散だったのだと、色々にコロナが影響しているのでした。
絵画館の屋根も見えています。
慶應病院は開院100周年を迎えたとのアドピラーがされて、さすがの観でした。
つづき
2020年10月27日
日本、曖昧の美学
外山滋比古『本物のおとな論』(海竜社)
日本語全体としてみると、ヨーロッパ語に比べて、いちじるしく明晰さに欠けて、アイマイである。明治以来、日本人は、それを論理性の欠如のように考えて、ひそかに恥じてきた。日本語は論理的でない、したがって、劣っていると、本気に考えた知識人はすくなくなかったはずで、後発文化のせいである。
ありのままではなく、あえて、美しい、おもしろいことばで表現するのは、洗練された文化にしかおこらない。
頼まれたことをはっきり「ダメです」というのは、正直かもしれないが、バカ正直である。
いくらかでも社会性を身につけていれば、そこはボカして「考えておきましょう」とするのは、ひとつの知恵である。
アイマイであるのは、百も承知である。
むしろ、そういうアイマイさこそのぞましいと考える。
ヨーロッパでは、ギリシャの昔から、アイマイを悪魔の模様として嫌った。
それが二千年もつづいた。二十世紀に入って、イギリス人のウイリアム・エンプソンが、「曖昧の七型」という本を出すまで、西欧でアイマイが認められたことはなかった。
日本では中世に、アイマイの美学が存在したことを、日本ははっきり評価することがなかった。
エンプソンのアイマイの論に喜びはしたものの、なお、論理性に欠けるとして日本語を恥じる風潮は消えてはいない。
ハダカで平気なのは、むかしの田舎のこどもであった。
ものごころがつけば、着物が気になる。
大人になれば、ときに分不相応の衣装を身にまとう。
ことばにおいても、それに似たことがおこっている。
幼いものは、ハダカのことばを使って平気である。
しかし、すこしものごごろがつくと、ことばを選ぶようになる。
大人になれば、さらに洗練されたことばのおしゃれをする。
このことばの洗練という点において、日本は断然、先進国である。
変な劣等感はすてなくてはならない。
アイマイは平和なことばである。論理は攻撃的である。
洗練された言葉は必然的に婉曲で多義的になる。
また、外山氏は「やさしい気持ちがアイマイを生む」という。
『日本人は明治以降、欧米文化の模倣をありがたがり、伝統的な文化を見捨て顧(かえり)みることがなく、それを進歩と錯覚(さっかく)した。戦後、日本語が大きく変わった。それが改良だと考えている人がすくなくないが、幼稚である。
こどもはひとのことに構わない。天真爛漫である。
いくらか苦労し、経験をつむと、自分勝手では見苦しいと思うようになる。
ことばの使い方も、相手の思惑を考えるようになる。
想像力がはたらく、思いやりの心がうごくことになる。
わざとわかりにくい、不明瞭なことばを使うのは、相手へのやさしい気持であるからで決して、ことばがおくれているわけではない。
アイマイの美学は一日では生まれない。洗練という伝統の中でみがかれてはじめて輝くようになる。』
日本語全体としてみると、ヨーロッパ語に比べて、いちじるしく明晰さに欠けて、アイマイである。明治以来、日本人は、それを論理性の欠如のように考えて、ひそかに恥じてきた。日本語は論理的でない、したがって、劣っていると、本気に考えた知識人はすくなくなかったはずで、後発文化のせいである。
ありのままではなく、あえて、美しい、おもしろいことばで表現するのは、洗練された文化にしかおこらない。
頼まれたことをはっきり「ダメです」というのは、正直かもしれないが、バカ正直である。
いくらかでも社会性を身につけていれば、そこはボカして「考えておきましょう」とするのは、ひとつの知恵である。
アイマイであるのは、百も承知である。
むしろ、そういうアイマイさこそのぞましいと考える。
ヨーロッパでは、ギリシャの昔から、アイマイを悪魔の模様として嫌った。
それが二千年もつづいた。二十世紀に入って、イギリス人のウイリアム・エンプソンが、「曖昧の七型」という本を出すまで、西欧でアイマイが認められたことはなかった。
日本では中世に、アイマイの美学が存在したことを、日本ははっきり評価することがなかった。
エンプソンのアイマイの論に喜びはしたものの、なお、論理性に欠けるとして日本語を恥じる風潮は消えてはいない。
ハダカで平気なのは、むかしの田舎のこどもであった。
ものごころがつけば、着物が気になる。
大人になれば、ときに分不相応の衣装を身にまとう。
ことばにおいても、それに似たことがおこっている。
幼いものは、ハダカのことばを使って平気である。
しかし、すこしものごごろがつくと、ことばを選ぶようになる。
大人になれば、さらに洗練されたことばのおしゃれをする。
このことばの洗練という点において、日本は断然、先進国である。
変な劣等感はすてなくてはならない。
アイマイは平和なことばである。論理は攻撃的である。
洗練された言葉は必然的に婉曲で多義的になる。
また、外山氏は「やさしい気持ちがアイマイを生む」という。
『日本人は明治以降、欧米文化の模倣をありがたがり、伝統的な文化を見捨て顧(かえり)みることがなく、それを進歩と錯覚(さっかく)した。戦後、日本語が大きく変わった。それが改良だと考えている人がすくなくないが、幼稚である。
こどもはひとのことに構わない。天真爛漫である。
いくらか苦労し、経験をつむと、自分勝手では見苦しいと思うようになる。
ことばの使い方も、相手の思惑を考えるようになる。
想像力がはたらく、思いやりの心がうごくことになる。
わざとわかりにくい、不明瞭なことばを使うのは、相手へのやさしい気持であるからで決して、ことばがおくれているわけではない。
アイマイの美学は一日では生まれない。洗練という伝統の中でみがかれてはじめて輝くようになる。』
2020年10月26日
史上初、核兵器禁止条約批准国50か国
史上初めて核兵器を全面禁止する核兵器禁止条約を批准した国・地域が24日、発効に必要な50に達した。中米ホンジュラスが新たに批准した。条約は90日後の来年1月22日に発効する。米露などの核保有国や米国の「核の傘」に依存する日本などは不参加で実効性に欠けるが、核兵器を非人道兵器とする国際規範ができることで「核なき世界」に向けた新たな一歩となる。
批准を働きかけてきた国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が24日、明らかにした。核兵器禁止条約は2017年7月、国連加盟の6割を超える122カ国・地域の賛成多数で採択された。条約は、核兵器の開発や保有、使用だけでなく、核兵器による威嚇、他国の核兵器を自国内に配備することなどを全面的に禁じる。発効から1年以内に締約国会議を開く予定で、オーストリアでの開催が有力視されている。
現在の核軍縮・核不拡散の基盤である核拡散防止条約(NPT)は、米露英仏中の5大国に核兵器の保有を認める代わりに、誠実に核軍縮交渉を行う義務を定めている。しかし、米露間では中距離核戦力(INF)全廃条約が失効。来年2月に期限を迎える新戦略兵器削減条約(新START)は1年延長の可能性が出ているが、米露双方で「使いやすい核兵器」とされる小型核弾頭の配備や開発が進む。このような核軍縮が進まない現状に対する非核保有国の危機感が批准を後押しした。
核兵器禁止条約は締約国でなければ拘束されない。だが、ICANのベアトリス・フィン事務局長は「発効すれば(核軍縮を進めるべきだという)強い国際規範が生まれ、核保有国も圧力にさらされる」と指摘。日本や北大西洋条約機構(NATO)加盟国など「核の傘」に依存する国が参加することが「最初のステップになる」と話している。今後は、署名・批准数をどこまで増やせるかが焦点になりそうだ。
被爆国の日本は、核軍縮の進展に向けて核保有国と非核保有国の「橋渡し役」を担うと表明してきた。核兵器禁止条約をめぐっては「現実の安全保障を踏まえていない」として、17年3月から始まった交渉会議にも参加しなかった。だが、締約国会議には核保有国や日本など批准していない国もオブザーバーとして参加できるため、与党でも公明党が参加の検討を求めている。【ニューヨーク隅俊之】
批准を働きかけてきた国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が24日、明らかにした。核兵器禁止条約は2017年7月、国連加盟の6割を超える122カ国・地域の賛成多数で採択された。条約は、核兵器の開発や保有、使用だけでなく、核兵器による威嚇、他国の核兵器を自国内に配備することなどを全面的に禁じる。発効から1年以内に締約国会議を開く予定で、オーストリアでの開催が有力視されている。
現在の核軍縮・核不拡散の基盤である核拡散防止条約(NPT)は、米露英仏中の5大国に核兵器の保有を認める代わりに、誠実に核軍縮交渉を行う義務を定めている。しかし、米露間では中距離核戦力(INF)全廃条約が失効。来年2月に期限を迎える新戦略兵器削減条約(新START)は1年延長の可能性が出ているが、米露双方で「使いやすい核兵器」とされる小型核弾頭の配備や開発が進む。このような核軍縮が進まない現状に対する非核保有国の危機感が批准を後押しした。
核兵器禁止条約は締約国でなければ拘束されない。だが、ICANのベアトリス・フィン事務局長は「発効すれば(核軍縮を進めるべきだという)強い国際規範が生まれ、核保有国も圧力にさらされる」と指摘。日本や北大西洋条約機構(NATO)加盟国など「核の傘」に依存する国が参加することが「最初のステップになる」と話している。今後は、署名・批准数をどこまで増やせるかが焦点になりそうだ。
被爆国の日本は、核軍縮の進展に向けて核保有国と非核保有国の「橋渡し役」を担うと表明してきた。核兵器禁止条約をめぐっては「現実の安全保障を踏まえていない」として、17年3月から始まった交渉会議にも参加しなかった。だが、締約国会議には核保有国や日本など批准していない国もオブザーバーとして参加できるため、与党でも公明党が参加の検討を求めている。【ニューヨーク隅俊之】
2020年10月25日
嘉納治五郎
嘉納治五郎先生の生誕は1860年12月10日〈万延元年10月28日〉新旧暦で違いますが、今年、「我孫子の文化を守る会」では先生の銅像を建立することが出来ました。
実は、2016年にウラジオストックにも嘉納治五郎が立っている!? との情報があり、ググってみましたら、ありました。
https://www.sankei.com/photo/daily/news/160924/dly1609240026-n1.html
今春に、我孫子にも念願の銅像が建立できて、その除幕式が予定されていましたし、市役所としても喜んで参列したいとの意向があったのですが、コロナ禍の真っ最中に、新造した銅像に巻いてあった白布をはずして、幹部会員が見上げるのみになりました。
「勉れば、必ず達す」と言っています。
東京五輪も再度の延期になりました、でも、必ず達す!です。
改めて、嘉納先生の偉業、願いを叶える極意は出来るまでやり続ける、諦めないことだと思いました。
実は、2016年にウラジオストックにも嘉納治五郎が立っている!? との情報があり、ググってみましたら、ありました。
https://www.sankei.com/photo/daily/news/160924/dly1609240026-n1.html
今春に、我孫子にも念願の銅像が建立できて、その除幕式が予定されていましたし、市役所としても喜んで参列したいとの意向があったのですが、コロナ禍の真っ最中に、新造した銅像に巻いてあった白布をはずして、幹部会員が見上げるのみになりました。
「勉れば、必ず達す」と言っています。
東京五輪も再度の延期になりました、でも、必ず達す!です。
改めて、嘉納先生の偉業、願いを叶える極意は出来るまでやり続ける、諦めないことだと思いました。
2020年10月24日
草もちを作りました
タップリよもぎが入った草もちが食べたくなって、餡を煮るにも精白糖でなくザラメを使用して、こねて蒸して丸めた団子にさらし餡を乗せて食べて、満足する出来になりました。でも、作りながら「餅は餅屋」というけど、そうだなぁと。餅をこねて丸めるのに力がいるし、キレイな形に一定した形に作ることも、終わった後の片付けもある、買ってきて食べるだけの事はいとも簡単なんだと思った。
2020年10月23日
2020年10月22日
途切れぬ、沖縄基地での暴虐
25年前の10月21日、海沿いの公園に数万人が集い、日米政府を動かした県民大会が沖縄であった。そのころから、地元の女性たちが作り始めた、年表しか書かれていない冊子があり、今も版を重ねている。作成にかかわってきた一人は、自責の念を込めるようにして「とっくに完結していなければいけなかった」と言う。
冊子の第12版(2016年発行)を開くと全28ページのうち、凡例と出典を除く26ページが年表で埋まっている。
[避難民の中から女性が数人に拉致 1945年4月](町史)
[2人の子どものいる女性、自宅近くの井戸で洗濯しているところを強姦(ごうかん)。男児出産 46年](証言)
年表は、太平洋戦争末期の沖縄戦の始まりから記され、戦後の米軍統治下、72年の本土復帰後へと続く。
[帰宅途中の27歳女性、側溝に落とされて4人に強姦される 51年9月2日](公文書)
[海水浴に来ていた2人の女子中学生を石で殴って気絶させ強姦 75年4月19日](新聞記事)
[高校生が学校の帰途、公園内で強姦 84年10月](証言)これらは沖縄で起きた米兵らによる女性への性犯罪だ。米軍統治下でまともに裁かれなかったり、事件化されず、被害者が何年も後に証言したりといったものも含まれる。12版には約350件が掲載されている。
冊子「沖縄・米兵による女性への性犯罪」を作成しているのは市民団体「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(那覇市)。95年、県民大会のきっかけになった米兵による少女暴行事件直後に会を立ち上げた。
共同代表の高里鈴代さん(80)は当時、国内外のメディアから相次いで取材を受けた。決まって「米兵が沖縄で起こす女性への犯罪はいつ、どれだけあるのか」と聞かれた。女性相談員の経験から、訴えられず公にならない被害が何件もあることを知っていた。でも、実態を示す資料がなかった。思い立ったのが年表作りだった。まもなく開催された県民大会で、途切れることのない人波を目にし、多くの県民にも、報道されることのない事件も含め、被害が繰り返されてきた。
出典:
https://www.asahi.com/articles/ASNBN4CX0NBGUPQJ00H.html?iref=pc_extlink
朝日新聞(10/22)
冊子の第12版(2016年発行)を開くと全28ページのうち、凡例と出典を除く26ページが年表で埋まっている。
[避難民の中から女性が数人に拉致 1945年4月](町史)
[2人の子どものいる女性、自宅近くの井戸で洗濯しているところを強姦(ごうかん)。男児出産 46年](証言)
年表は、太平洋戦争末期の沖縄戦の始まりから記され、戦後の米軍統治下、72年の本土復帰後へと続く。
[帰宅途中の27歳女性、側溝に落とされて4人に強姦される 51年9月2日](公文書)
[海水浴に来ていた2人の女子中学生を石で殴って気絶させ強姦 75年4月19日](新聞記事)
[高校生が学校の帰途、公園内で強姦 84年10月](証言)これらは沖縄で起きた米兵らによる女性への性犯罪だ。米軍統治下でまともに裁かれなかったり、事件化されず、被害者が何年も後に証言したりといったものも含まれる。12版には約350件が掲載されている。
冊子「沖縄・米兵による女性への性犯罪」を作成しているのは市民団体「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」(那覇市)。95年、県民大会のきっかけになった米兵による少女暴行事件直後に会を立ち上げた。
共同代表の高里鈴代さん(80)は当時、国内外のメディアから相次いで取材を受けた。決まって「米兵が沖縄で起こす女性への犯罪はいつ、どれだけあるのか」と聞かれた。女性相談員の経験から、訴えられず公にならない被害が何件もあることを知っていた。でも、実態を示す資料がなかった。思い立ったのが年表作りだった。まもなく開催された県民大会で、途切れることのない人波を目にし、多くの県民にも、報道されることのない事件も含め、被害が繰り返されてきた。
出典:
https://www.asahi.com/articles/ASNBN4CX0NBGUPQJ00H.html?iref=pc_extlink
朝日新聞(10/22)
2020年10月21日
日本に暮らす多国籍の関心
ニコラス・エドワーズ
服装にきをつけて、季節に合わせて場違いな身なりをしないようしないと恥ずかしいと感じるようになったそうです。
オレゴン出身、14歳で日本の音楽を知り、高校のスペイン語、ドイツ語、フランス語、日本語の選択があった中で日本語を選択。ポートランド日本国総領事館が開催する第20回スピーチコンテスト(2008年5月11日開催)に出場し、第2部門(高校生対象)で2位を獲得後、日本に留学後、再びコンテストに参加して第一位に。17歳で高校を卒業し、その翌日に再来日、インディーズデビューした。デイブ・スペクター並みに日本人化した日本語です。
米国は保育園から高校まで無料、宿泊費は人数にかかる、日本は初乗りの交通費が高い、高速道300キロがほぼ無料のようなもの、駐車場、ガソリン代が高い、飛行機が高い。日本の生活費が高い。
テシはイタリア人、母国では17歳の時に留学する奨学金がある、イギリスに留学した。友人に日本好きな生徒と先生がいた。留学先のイギリスで日本人の学生グループと話をするようになった。折り紙の得意な人がいて、日本に興味をもった。ケンブリッジ大学のイベントに参加して、日本語に触れる機会があり、日本に関心を深める。日本文化が大好きになり、日本専攻した日本語は4年ぐらい。子供の頃を思い出すと日本のものだと知らずにアニメをみていた。ケンブリッジ大学の日本語学科に在籍し、日本に留学、ケンブリッジ卒業(2020)。コロナ禍でイタリアでは、中国人に見える人たちに差別がひどくなっていた。梅干し、発酵食品が体にいいと思って、大好きなので日本で研究をしたい。
日本といったら何を思いつきますかに対して、「寿司!」との答えが続いた。7;00〜の答えが
148,948 回視聴•2020/02/22
青木香音(フィリンピン人の母もスペイン、中国などの多国籍人で父が日本人。LGBT)
2020年10月20日
晩婚化、女性の社会進出を支える不妊治療へ保険適用を検討
日本産科婦人科学会の取りまとめで、2018年に国内で行われた体外受精で生まれた子どもが5万6979人となり、前年に続いて過去最多を更新したことがわかった。15人に1人が体外受精で生まれた。治療件数も増加し、45万4893件と過去最多となった。
国内で初めて体外受精児が誕生した1983年以降、累計で約65万人となり、60万人を突破したことになる。晩婚化などで妊娠を考える年齢が上がり、不妊に悩む夫婦が増えている。体外受精は不妊治療の一つで、妻の卵子と夫の精子を体外で受精させ、妻の子宮に戻す。
しかし、体外受精は公的医療保険の対象外で、1回数十万円かかる。国の助成制度が出来てはきたものの、それでも自己負担も高額となるため、治療を始める時期が遅れたり、あきらめたりする夫婦も多い。菅首相は少子化対策として不妊治療の保険適用を掲げ、厚生労働省が検討を進めている。
国内で初めて体外受精児が誕生した1983年以降、累計で約65万人となり、60万人を突破したことになる。晩婚化などで妊娠を考える年齢が上がり、不妊に悩む夫婦が増えている。体外受精は不妊治療の一つで、妻の卵子と夫の精子を体外で受精させ、妻の子宮に戻す。
しかし、体外受精は公的医療保険の対象外で、1回数十万円かかる。国の助成制度が出来てはきたものの、それでも自己負担も高額となるため、治療を始める時期が遅れたり、あきらめたりする夫婦も多い。菅首相は少子化対策として不妊治療の保険適用を掲げ、厚生労働省が検討を進めている。
2020年10月19日
日本の遺失物の変換率は神業!
治安の良さで知られる日本において、落とし物が持ち主の元に戻る確率もまた高い。財布は8割以上の確率で手元に戻るという、海外では考えにくい状況だ。これについて欧米のメディアが要因を分析している。
♦︎大半が落とし主の元へ
警視庁の発表によると、2018年に東京管内では証明書類(身分証など)について約101万件の遺失物届が提出され、これに対して拾得届は約75万件であった。当然ながら届出が行われなかった遺失・拾得は含まれていないものの、数字の上では身分証を落としても4回に3回は戻ってくる計算になる。同様に携帯はおよそ26万件中の61%、財布は40万件中93%と、高い割合で落とし主に返還されている。
一方、落とし主が財布と再会する確率は、海外ではこれほど高くないようだ。
ニューヨークで精神科医として働く日系のベーレンス氏はBBC(1月15日)の取材に対し、現地での遺失物の取り扱いの状況を語っている。それによると、ある男性が現地の中華街で拾った財布を警察に届け出たところ、そのてん末が地域のニュースになり「正直な男」と報じられるほどだったという。財布が日常的に交番に届けられている日本の状況とは差があるようだ。
BBCは「このような表向きの品位は、ベーレンスの母国・日本ではさして珍しいことではない」と日本との差を紹介している。米ミシガン州立大学ロースクールの教授が行った社会実験によると、携帯と財布を合わせて東京では約9割が拾得物として届けられたが、ニューヨークでは1割以下(6%)ほどに留まるという結果が出ている。
♦︎交番システムが機能
日本での返還率の高さには、何が影響しているのだろうか?
BBCは文化的規範と仏教・神道の影響に加え、「そして近所のフレンドリーなお巡りさんのおかげで、日本で落し物をしても大きな心配はない」と述べ、交番の制度を大きく取り上げている。
交番に注目するのは都市情報誌のシティ・ラボも同様だ。日本全国に6300ヶ所の小さな交番が戦略的に配置されており、拾得物の届出先として機能していると紹介する。北陸地方のとある交番では6歳の少年が50円玉を拾ったと届け出たところ、邪険に扱われることなどなく複数の警察官が応対し、ひとりの大人に接するかのような丁寧な対応を受けたという。シティ・ラボ誌からコンタクトを受けた母親は、何か拾ったら交番に届け出るよう幼稚園などで教えられていたためでは、と日本の教育習慣を同誌に紹介している。記事によると、地域に密着した日本の交番システムは海外でも導入が試みられているが、人的リソースを多く必要とするなど難しさがあるようだ。
カタールの放送局アルジャジーラでは、日本では全般に凶悪犯罪が少ないため、落とし物のようなきめ細かな業務に警察が対応できるのではないかと分析している。治安の良さが落とし物の返還率を高めるという好循環が生まれているようだ。
♦︎実は良心からではない?
落とし物が届けられる理由としては、ほかに日本人固有の正直さをあげたいところだが、BBCの見方はやや異なるようだ。記事は日本人が悪気なく他人のビニール傘を拝借してしまう例をあげ、必ずしも日本人のモラルが優れているわけではないことを示唆している。別の例として、東日本大震災では自分を犠牲にして助け合う人々が多くいた一方で、残念ながら住民が退避した後の避難指示区域を狙った侵入窃盗が発生した。前出のミシガン大の教授はこうした事象をあげたうえで、集団でいると助け合うが、人目のないところでは必ずしも良心が働くとは限らないという主張を展開している。逆説的に捉えれば、コミュニティの視線が届く限りはモラルが守られるといったところだろうか。
シティ・ラボ誌は日本の法制度に注目しており、遺失物法第28条の規定により落とし主から拾い主に5%から20%のお礼(報労金)が支払われる、と伝えている。3ヶ月経っても落とし主が現れない場合は、拾い主は正式に所有権を得ることも可能だ。
財布の8割から9割が戻ってくるという安全な社会環境は、幼少期からの教育、交番システム、そしてコミュニティからの視線に遺失物法と、多くの要素に支えられているのかもしれない。
NewSphere(9/1)
♦︎大半が落とし主の元へ
警視庁の発表によると、2018年に東京管内では証明書類(身分証など)について約101万件の遺失物届が提出され、これに対して拾得届は約75万件であった。当然ながら届出が行われなかった遺失・拾得は含まれていないものの、数字の上では身分証を落としても4回に3回は戻ってくる計算になる。同様に携帯はおよそ26万件中の61%、財布は40万件中93%と、高い割合で落とし主に返還されている。
一方、落とし主が財布と再会する確率は、海外ではこれほど高くないようだ。
ニューヨークで精神科医として働く日系のベーレンス氏はBBC(1月15日)の取材に対し、現地での遺失物の取り扱いの状況を語っている。それによると、ある男性が現地の中華街で拾った財布を警察に届け出たところ、そのてん末が地域のニュースになり「正直な男」と報じられるほどだったという。財布が日常的に交番に届けられている日本の状況とは差があるようだ。
BBCは「このような表向きの品位は、ベーレンスの母国・日本ではさして珍しいことではない」と日本との差を紹介している。米ミシガン州立大学ロースクールの教授が行った社会実験によると、携帯と財布を合わせて東京では約9割が拾得物として届けられたが、ニューヨークでは1割以下(6%)ほどに留まるという結果が出ている。
♦︎交番システムが機能
日本での返還率の高さには、何が影響しているのだろうか?
BBCは文化的規範と仏教・神道の影響に加え、「そして近所のフレンドリーなお巡りさんのおかげで、日本で落し物をしても大きな心配はない」と述べ、交番の制度を大きく取り上げている。
交番に注目するのは都市情報誌のシティ・ラボも同様だ。日本全国に6300ヶ所の小さな交番が戦略的に配置されており、拾得物の届出先として機能していると紹介する。北陸地方のとある交番では6歳の少年が50円玉を拾ったと届け出たところ、邪険に扱われることなどなく複数の警察官が応対し、ひとりの大人に接するかのような丁寧な対応を受けたという。シティ・ラボ誌からコンタクトを受けた母親は、何か拾ったら交番に届け出るよう幼稚園などで教えられていたためでは、と日本の教育習慣を同誌に紹介している。記事によると、地域に密着した日本の交番システムは海外でも導入が試みられているが、人的リソースを多く必要とするなど難しさがあるようだ。
カタールの放送局アルジャジーラでは、日本では全般に凶悪犯罪が少ないため、落とし物のようなきめ細かな業務に警察が対応できるのではないかと分析している。治安の良さが落とし物の返還率を高めるという好循環が生まれているようだ。
♦︎実は良心からではない?
落とし物が届けられる理由としては、ほかに日本人固有の正直さをあげたいところだが、BBCの見方はやや異なるようだ。記事は日本人が悪気なく他人のビニール傘を拝借してしまう例をあげ、必ずしも日本人のモラルが優れているわけではないことを示唆している。別の例として、東日本大震災では自分を犠牲にして助け合う人々が多くいた一方で、残念ながら住民が退避した後の避難指示区域を狙った侵入窃盗が発生した。前出のミシガン大の教授はこうした事象をあげたうえで、集団でいると助け合うが、人目のないところでは必ずしも良心が働くとは限らないという主張を展開している。逆説的に捉えれば、コミュニティの視線が届く限りはモラルが守られるといったところだろうか。
シティ・ラボ誌は日本の法制度に注目しており、遺失物法第28条の規定により落とし主から拾い主に5%から20%のお礼(報労金)が支払われる、と伝えている。3ヶ月経っても落とし主が現れない場合は、拾い主は正式に所有権を得ることも可能だ。
財布の8割から9割が戻ってくるという安全な社会環境は、幼少期からの教育、交番システム、そしてコミュニティからの視線に遺失物法と、多くの要素に支えられているのかもしれない。
NewSphere(9/1)
2020年10月18日
2020年10月17日
美味しさの秋
料理好きの知人のEメニューが送られてきました、私にとってちょっと楽しい時間なので、皆様にもお裾分けのご紹介です。
10月のある日、何故か気分が高揚してコースメニューを作り始めました。
まずプレリュードとして、卵牛乳そしてダシで作るフラン、すなわちフレンチ風茶碗蒸しです。これにイクラの醤油漬けをトッピングしたものを用意しました。これは恵比寿の立ち飲みのワインバーで出されたメニューの1つですが、美味しかったので再現しました。茶碗蒸しも難しいですが、フレンチ風フランはかなり難しい料理です。
協奏曲風に行くと、次は第1楽章です。生ダラのトムヤムクン風スープをつくりました。トムヤムクンは時々作りますが、この日は生ダラの切り身作りました。トムヤムクンスープはタイの香辛料を使った辛くて酸っぱいスープです。
次の第2楽章は、美味しいと素直に味わえるものを考えました。まず「ヤンソンの誘惑」です。スウエーデンの名物料理で、炒めた玉ねぎと千切りじゃがいも、アンチョビを混ぜて生クリームをたっぷり入れたオーブン料理です。この組み合わせは絶妙です。
加えて魚屋に甘エビがありましたので、この唐揚げを作りました。もともと生食用ですから、さっと揚げて唐揚げを作りました。甘みが残りまして絶妙です。
次はメインの第3楽章です。肉料理ですが、冷蔵庫で塩漬けにしておいた豚の約500g肩ロース塊を6個に切り分けて、日本酒をふりかけて少し置き、片栗粉をまぶして油で揚げます。これを黒酢のあんで絡めた北京風酢豚です。肉以外の材料は入れません。北京料理研究家のウー・ウェインさんのレシピです。
そして、〆は栗と生シイタケの炊き込むご飯、ちょっとの手間のわりに完ぺきに美味しくて、片付け簡単です。
10月のある日、何故か気分が高揚してコースメニューを作り始めました。
まずプレリュードとして、卵牛乳そしてダシで作るフラン、すなわちフレンチ風茶碗蒸しです。これにイクラの醤油漬けをトッピングしたものを用意しました。これは恵比寿の立ち飲みのワインバーで出されたメニューの1つですが、美味しかったので再現しました。茶碗蒸しも難しいですが、フレンチ風フランはかなり難しい料理です。
協奏曲風に行くと、次は第1楽章です。生ダラのトムヤムクン風スープをつくりました。トムヤムクンは時々作りますが、この日は生ダラの切り身作りました。トムヤムクンスープはタイの香辛料を使った辛くて酸っぱいスープです。
次の第2楽章は、美味しいと素直に味わえるものを考えました。まず「ヤンソンの誘惑」です。スウエーデンの名物料理で、炒めた玉ねぎと千切りじゃがいも、アンチョビを混ぜて生クリームをたっぷり入れたオーブン料理です。この組み合わせは絶妙です。
加えて魚屋に甘エビがありましたので、この唐揚げを作りました。もともと生食用ですから、さっと揚げて唐揚げを作りました。甘みが残りまして絶妙です。
次はメインの第3楽章です。肉料理ですが、冷蔵庫で塩漬けにしておいた豚の約500g肩ロース塊を6個に切り分けて、日本酒をふりかけて少し置き、片栗粉をまぶして油で揚げます。これを黒酢のあんで絡めた北京風酢豚です。肉以外の材料は入れません。北京料理研究家のウー・ウェインさんのレシピです。
そして、〆は栗と生シイタケの炊き込むご飯、ちょっとの手間のわりに完ぺきに美味しくて、片付け簡単です。
2020年10月16日
恐れるだけでなく、リスタートを
拙ブログを書き続け、10年以上になってきた。「ちきゅうTALK]というミニコミ発行も30周年になった、継続は力なりだと実感する。発信する為には、情報の収集・分析そして編集を繰り返し行うので、それなりに自身が学ぶ結果にもなり、知的持久力をつけることにもなったと自負している。そこで思うのが、皆様からのご意見、ご感想、それが一番の続ける励みになります。野球やサッカー、ラグビーなど、選手たちが応援よろしくお願いしますというけれど、周りが何もいっしょに走るのではなくても、関心を持ってくれているという支えがあって、頑張り切れるというメカニズムができる。好循環の連鎖ができるためには「応援よろしく尾根がします」という言葉に象徴されているのだと、納得する。そして、Withコロナ、Afterコロナ、と先が見えないながら、自粛を解いて、社会がリセットされて動き出した。世界が安定するためにも、東京オリンピックまでが一つの目標値になる、世界の注目が日本に集まってくるシナリオです。頑張りたい、我孫子も、千葉も周辺都市から一歩前に出るチャンスだ!と思う。
さて、世界では、このところ連日1日に200万人ペースで感染者が発生しています。フランスでは一日当たり1万人とコロナ収束の目処は立っていません。日本は、ダイヤモンド・プリンセス号を停泊させながら、感染の収まるのを世界中が注目し、一段落という間もなく、欧米に飛び火して、ロックダウンに踏み切るのを横目にみながら、自粛という同調圧力で先の見えないコロナ危機の中を過ごしてきた。ある種、日本人らしい、みんながどうするか伺いながら、やることを自重する。それは、今後の復旧モードにいつまでもかかれない、自分から進んで打開する、変えていくことをしない、失敗しない挑戦の意識が相対的に弱い事は問題だと思います。もう、すっかり元の世界に戻ることは、待っていてもないのに気づき、リセットして進まなくちゃいけないのです。
日経新聞の「国内景気回復 世界に遅れ 製造業、反発力弱く9月日銀短観 設備投資手控えで 米欧中は「コロナ前」に」(10月2日)https://www.nikkei.com/article/DGKKZO64507390R01C20A0EA1000/
GoToキャンペーンがスタートしたあたりから、無論注意すべき点は押さえた上で、レストラン、ホテル、旅行に向かいました。何分、娘の一人はNYに暮らし、もう一人は産休間近までガンバルと都内に通勤しています。両者とも、好むと好まざると、Withコロナの最前線ですから、自身も積極的に動こうと考える態勢になっていくのは成り行きでした。来年にベイビーが無事に生まれるAfterコロナを想定する以外は考えません。既に、友人と会食も再開し、集会にも呼ばれて出ていっています。我孫子の100年前にもパンでミンクのスペイン風邪が流行った時代がありました。実は、その時代も手指の洗浄、うがい、マスクなどを推奨して、感染をすくなくするように呼び掛けていました。ただし、陽性・陰性の検査など悠長にやっていたとは思えないので、社会的免疫の方向で進んだのだろうと、つまり、犠牲もすくなくなく出しながら、自然に収まるまで社会全体が戦々恐々としながらも、治療薬だのワクチンだのとあてにできず、堪えていた。
今、スエーデンが政策として強制的な規制をしないで国民の自覚に任せ、社会的免疫を獲得することを目指して注目されますが、人口100万人あたりの死亡者数はヨーロッパ最悪のイギリスに並び、他の北欧諸国とはかけ離れた悪い数字になっています。とりわけ死亡者の大半が高齢者とあって結果的に高齢者多くなくなっています。
アジアではマレーシアが感染拡大の兆しを見せていますが全体として感染症を抑えこんでいる状態です。特に中国は、報道を信じる限りはほぼ完全にコロナを制圧し、経済活動が前にも増して盛んになっています。各地の行楽地も人で賑わっています。
日本も全面規制であった海外からのビジネス関係者の受け入れを始めましたが、この結果がどう出るか、ですが。
インドや中南米そしてアフリカの状態は定かではありませんが、医療体制の問題もあり結果として社会的免疫を持つまでコロナ危機は収束しないのではないでしょうか。
さて、世界では、このところ連日1日に200万人ペースで感染者が発生しています。フランスでは一日当たり1万人とコロナ収束の目処は立っていません。日本は、ダイヤモンド・プリンセス号を停泊させながら、感染の収まるのを世界中が注目し、一段落という間もなく、欧米に飛び火して、ロックダウンに踏み切るのを横目にみながら、自粛という同調圧力で先の見えないコロナ危機の中を過ごしてきた。ある種、日本人らしい、みんながどうするか伺いながら、やることを自重する。それは、今後の復旧モードにいつまでもかかれない、自分から進んで打開する、変えていくことをしない、失敗しない挑戦の意識が相対的に弱い事は問題だと思います。もう、すっかり元の世界に戻ることは、待っていてもないのに気づき、リセットして進まなくちゃいけないのです。
日経新聞の「国内景気回復 世界に遅れ 製造業、反発力弱く9月日銀短観 設備投資手控えで 米欧中は「コロナ前」に」(10月2日)https://www.nikkei.com/article/DGKKZO64507390R01C20A0EA1000/
GoToキャンペーンがスタートしたあたりから、無論注意すべき点は押さえた上で、レストラン、ホテル、旅行に向かいました。何分、娘の一人はNYに暮らし、もう一人は産休間近までガンバルと都内に通勤しています。両者とも、好むと好まざると、Withコロナの最前線ですから、自身も積極的に動こうと考える態勢になっていくのは成り行きでした。来年にベイビーが無事に生まれるAfterコロナを想定する以外は考えません。既に、友人と会食も再開し、集会にも呼ばれて出ていっています。我孫子の100年前にもパンでミンクのスペイン風邪が流行った時代がありました。実は、その時代も手指の洗浄、うがい、マスクなどを推奨して、感染をすくなくするように呼び掛けていました。ただし、陽性・陰性の検査など悠長にやっていたとは思えないので、社会的免疫の方向で進んだのだろうと、つまり、犠牲もすくなくなく出しながら、自然に収まるまで社会全体が戦々恐々としながらも、治療薬だのワクチンだのとあてにできず、堪えていた。
今、スエーデンが政策として強制的な規制をしないで国民の自覚に任せ、社会的免疫を獲得することを目指して注目されますが、人口100万人あたりの死亡者数はヨーロッパ最悪のイギリスに並び、他の北欧諸国とはかけ離れた悪い数字になっています。とりわけ死亡者の大半が高齢者とあって結果的に高齢者多くなくなっています。
アジアではマレーシアが感染拡大の兆しを見せていますが全体として感染症を抑えこんでいる状態です。特に中国は、報道を信じる限りはほぼ完全にコロナを制圧し、経済活動が前にも増して盛んになっています。各地の行楽地も人で賑わっています。
日本も全面規制であった海外からのビジネス関係者の受け入れを始めましたが、この結果がどう出るか、ですが。
インドや中南米そしてアフリカの状態は定かではありませんが、医療体制の問題もあり結果として社会的免疫を持つまでコロナ危機は収束しないのではないでしょうか。
2020年10月15日
大正時代の履物
以前は我孫子の駅前で下駄屋さんをしていたという、ご近所のアンティークショップのご主人が、「我孫子の百年前はこんな下駄で歩いていたんですよ。今時珍しい掘り出し物、新品だけどね。」と見せて下さいました。つまり、白樺派の紅一点、兼子さんが履いていたのが、裏のしっかりした高級下駄なのだそうで、確かにそうであれば貴重です。歴史を振り返ったきがしました。
2020年10月14日
ファースト・侍(最初の武士)、平将門」の著者、講演会
Prof.K.Friday talks on Samurai periods 9:00〜
Masakado did actually end up rebelling against the court, but the process was almost accidental, and his rebellion seems to have been a gamble at creating a negotiating position for himself, rather than a sincere attempt to break away from court authority. His historical reputation as a rebel probably stems from both the fact that he lost, and the fact that he came so close.
His troubles began as a series of spats with relatives and local rivals, during which he took great pains to stay within the good graces of the law. His undoing came when he got mixed up-through a very complex set of circumstances-in a local quarrel involving one of his allies in Hitachi province that resulted in-again through a complicated sequence of events-his troops occupying and looting the provincial capital. That put Masakado unequivocally on the wrong side of the law.
In traditional accounts, Masakado at this point just went crazy, taking over the provincial headquarters in seven other eastern provinces and declaring himself to be a New Emperor in the east. But the declaration of a new kingdom (and his title of New Emperor) appear only in a literary account of his adventures, and can’t be corroborated by more reliable sources. And there’s another way to read his advance from Hitachi to the rest of the East: He was trying to strengthen his hand in order to negotiate a pardon for the fiasco in Hitachi.
As Bob Dylan pointed out, “Steal a little and they throw you in jail; steal a lot and they make you king.” Having already crossed the line into rebellion against the state by his actions in Hitachi, Masakado was in trouble. But he kept negotiating for a pardon, even as he was gathering up the keys to the provincial capitals over the rest of the east, which strongly suggests that what he really wanted was simply to make himself formidable enough that the court would have to deal with him, rather than simply take him out. Other warrior leaders-including Minamoto Yoritomo, the founder of the first shogunate-followed pretty much the same strategy successfully. The difference between Masakado’s case and Yoritomo’s was mostly one of luck and circumstances, so Masakado lost while Yoritomo pulled it off.‥‥
About his book The First Samurai
http://www.theshogunshouse.com/2009/08/interview-with-historianprofessor-karl.html
つづき
Masakado did actually end up rebelling against the court, but the process was almost accidental, and his rebellion seems to have been a gamble at creating a negotiating position for himself, rather than a sincere attempt to break away from court authority. His historical reputation as a rebel probably stems from both the fact that he lost, and the fact that he came so close.
His troubles began as a series of spats with relatives and local rivals, during which he took great pains to stay within the good graces of the law. His undoing came when he got mixed up-through a very complex set of circumstances-in a local quarrel involving one of his allies in Hitachi province that resulted in-again through a complicated sequence of events-his troops occupying and looting the provincial capital. That put Masakado unequivocally on the wrong side of the law.
In traditional accounts, Masakado at this point just went crazy, taking over the provincial headquarters in seven other eastern provinces and declaring himself to be a New Emperor in the east. But the declaration of a new kingdom (and his title of New Emperor) appear only in a literary account of his adventures, and can’t be corroborated by more reliable sources. And there’s another way to read his advance from Hitachi to the rest of the East: He was trying to strengthen his hand in order to negotiate a pardon for the fiasco in Hitachi.
As Bob Dylan pointed out, “Steal a little and they throw you in jail; steal a lot and they make you king.” Having already crossed the line into rebellion against the state by his actions in Hitachi, Masakado was in trouble. But he kept negotiating for a pardon, even as he was gathering up the keys to the provincial capitals over the rest of the east, which strongly suggests that what he really wanted was simply to make himself formidable enough that the court would have to deal with him, rather than simply take him out. Other warrior leaders-including Minamoto Yoritomo, the founder of the first shogunate-followed pretty much the same strategy successfully. The difference between Masakado’s case and Yoritomo’s was mostly one of luck and circumstances, so Masakado lost while Yoritomo pulled it off.‥‥
About his book The First Samurai
http://www.theshogunshouse.com/2009/08/interview-with-historianprofessor-karl.html
つづき
2020年10月13日
まさかDo! 民の革命児だった
このところ、「湖北の将門」興味をもって、土地の方にお話を聞いたりしております。
そういう目で見直してみると、不思議なワープする感覚があります。
ひょっとして、湖北が将門の本拠地であったことを立証出来たら、歴史上の大発見!!!になる。
詳細は兎も角も、地元の歴史を明らかにできるのはワクワク感があります。
8;30〜 終焉の地・坂東市には将門煎餅、将門の銅像も作られています。
既に、坂東市には将門煎餅が、柏には将門ビールがあり…
ゆかりの地合戦に、我孫子は頭と胴一つ分遅れてはいますが、勝ち目は最初から退いていたらありませんから、
やってみて、食べてもらえてナンボ、ですからまずは美味いモノが出来れば、それからは地域のご支援次第です (^_-)-☆
http://kaizublog.seesaa.net/auth/article_preview/
そういう目で見直してみると、不思議なワープする感覚があります。
ひょっとして、湖北が将門の本拠地であったことを立証出来たら、歴史上の大発見!!!になる。
詳細は兎も角も、地元の歴史を明らかにできるのはワクワク感があります。
8;30〜 終焉の地・坂東市には将門煎餅、将門の銅像も作られています。
既に、坂東市には将門煎餅が、柏には将門ビールがあり…
ゆかりの地合戦に、我孫子は頭と胴一つ分遅れてはいますが、勝ち目は最初から退いていたらありませんから、
やってみて、食べてもらえてナンボ、ですからまずは美味いモノが出来れば、それからは地域のご支援次第です (^_-)-☆
http://kaizublog.seesaa.net/auth/article_preview/
2020年10月12日
最古の日本史『古事記』は誰の意図で書かれたのか
日本のなりたちについて、日本の現代の小学校や中学校の教科書では、触れられていません。
現代の多くの人は「日本はいつ、誰が作ったかなどと教えられたリしません。
一方、欧米の学校では子どもに新約・旧約聖書やギリシャ神話を教えているというが、日本の神話は天皇につながる国造りの話になっているので、戦前のように積極的に学校で教えるなどはない。
日本でもっとも古い歴史書、古事記のクライマックス「天孫降臨(てんそんこうりん)で、太陽の女神と書かれているのは、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)につらなる、つぎのような展開になっている;
イザナギという権威ある神が、その妻イザナミと共に「天の浮橋」の上に立った。
イザナギは、眼下に横たわる海面を見下ろした。
やがて彼は暗い海の中にに、宝石をちりばめた槍を降ろした。
その槍を引き戻すと、槍の先から汐のしずくが落ちた。
しずくが落ちると、次々に固まって、島となった。
このようにして日本誕生の伝統が生まれた。
またこの伝説によると、イザナギは多くの神々を生んだ。
その中に一人の太陽の女神があった。
女神は孫のニニギノミコトを地上に降り立たせ、新しい国土を統治することを命じた。
ニニギノミコトは大きな勾玉(まがたま)と、神聖な剣と、青銅の鏡の3つを持って、九州に来た。
これらはすべて、彼の祖母から贈られたものであった。
これら3つの品物は、今日もなお、天皇の地位の象徴となっている。
ニニギノミコトはジンムという曾孫(ひまご)があってこの曾孫が日本の初代の統治者となった。
それは、西暦紀元前660年2月11日のことであった。
戦前まで日本人はこのような神話を語り継いできた。
この神話は、日本人もその統治者も、国土も、神々の御心によって作られたということの証明に使われ、そして
『裕仁天皇は、神武天皇の直系で、第124代に当たるといわれる。かくして日本の王朝は、世界で最も古い王朝ということになる。』
という風に教えられたのです。
九州と言っているのは、日向の高千穂の峰。
現在の宮崎県のことになります。
現代の多くの人は「日本はいつ、誰が作ったかなどと教えられたリしません。
一方、欧米の学校では子どもに新約・旧約聖書やギリシャ神話を教えているというが、日本の神話は天皇につながる国造りの話になっているので、戦前のように積極的に学校で教えるなどはない。
日本でもっとも古い歴史書、古事記のクライマックス「天孫降臨(てんそんこうりん)で、太陽の女神と書かれているのは、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)につらなる、つぎのような展開になっている;
イザナギという権威ある神が、その妻イザナミと共に「天の浮橋」の上に立った。
イザナギは、眼下に横たわる海面を見下ろした。
やがて彼は暗い海の中にに、宝石をちりばめた槍を降ろした。
その槍を引き戻すと、槍の先から汐のしずくが落ちた。
しずくが落ちると、次々に固まって、島となった。
このようにして日本誕生の伝統が生まれた。
またこの伝説によると、イザナギは多くの神々を生んだ。
その中に一人の太陽の女神があった。
女神は孫のニニギノミコトを地上に降り立たせ、新しい国土を統治することを命じた。
ニニギノミコトは大きな勾玉(まがたま)と、神聖な剣と、青銅の鏡の3つを持って、九州に来た。
これらはすべて、彼の祖母から贈られたものであった。
これら3つの品物は、今日もなお、天皇の地位の象徴となっている。
ニニギノミコトはジンムという曾孫(ひまご)があってこの曾孫が日本の初代の統治者となった。
それは、西暦紀元前660年2月11日のことであった。
戦前まで日本人はこのような神話を語り継いできた。
この神話は、日本人もその統治者も、国土も、神々の御心によって作られたということの証明に使われ、そして
『裕仁天皇は、神武天皇の直系で、第124代に当たるといわれる。かくして日本の王朝は、世界で最も古い王朝ということになる。』
という風に教えられたのです。
九州と言っているのは、日向の高千穂の峰。
現在の宮崎県のことになります。
2020年10月11日
銀座交差点の空き地
かつて、何がこの付近にて行われてか、何があったかとどめようと記念碑が、ぞろっと並んでいる光景に驚いたので、スマホで摂りました。
我孫子に嘉納治五郎の銅像を建てる市民活動が起きたが、まだまだ、この例からすると頑張っていかなければならないと、感心したのでワンショット取りました。http://kaizublog.seesaa.net/auth/article_preview/
2020年10月10日
10館目の近隣センター 10周年記念式典
つくし野・並木近隣センターが開館10周年となり、北まちづくり協議会の心づくしの式年があり、お呼ばれして来ました。
集会への来賓ご招待が延期にならないなどは、この十か月初めてです。
少しずつ、今までの日常を取り戻すように願いたいものですが、皆マスクで手消毒はぬかりませんでした。
ドコモのキャンペーンでついに、フォーマの携帯が終了するとのことで、スマホに換え、自撮りして見ました。
集会への来賓ご招待が延期にならないなどは、この十か月初めてです。
少しずつ、今までの日常を取り戻すように願いたいものですが、皆マスクで手消毒はぬかりませんでした。
ドコモのキャンペーンでついに、フォーマの携帯が終了するとのことで、スマホに換え、自撮りして見ました。
2020年10月09日
2020年10月08日
LIVE: 米副大統領候補の討論会
トランプ大統領が、コロナウイルスに感染して、退院して隔離しての執務をおこなっているため、副大統領候補者との討論会が注目されている。
日本時間10/8 10:00AM〜 日本にも配信されています。
民主党のカマラ・ハリス( Kamala Devi Harris、1964年10月20日 - )は、カリフォルニア生まれ、大学までをカナダで学び、米大学を卒業。
2010年にカリフォルニア州検事総長に当選したハリスは、2014年に僅差で再選された。2017年からカリフォルニア州選出では女性として3人目の上院議員である(民主党の上院議員として アフリカ系アメリカ人女性としては2人目)。アジア系アメリカ人としては、米国では、初の上院議員を務めている。
上院議員として、彼女は単一医療保険制度、大麻の連邦政府による脱法化、不法移民のための市民権への道、DREAM法、暴行武器の禁止、進歩的な税制改革を支持してきた。上院公聴会で、アメリカ合衆国司法長官ジェフ・セッションズ、ウィリアム・バー、ブレット・カバノー最高裁判所陪席判事候補など、トランプ政権の高官に対して鋭い質問をしたことで全国的な注目を集めた。
母はタミル系インド人移民で、著名な乳がん研究者、父のドナルド・J・ハリスはジャマイカ人移民で、カルフォルニア大学バークレー校で経済学を学ぶため1961年に渡米し、その後スタンフォード大学の経済学教授となった。
日本時間10/8 10:00AM〜 日本にも配信されています。
民主党のカマラ・ハリス( Kamala Devi Harris、1964年10月20日 - )は、カリフォルニア生まれ、大学までをカナダで学び、米大学を卒業。
2010年にカリフォルニア州検事総長に当選したハリスは、2014年に僅差で再選された。2017年からカリフォルニア州選出では女性として3人目の上院議員である(民主党の上院議員として アフリカ系アメリカ人女性としては2人目)。アジア系アメリカ人としては、米国では、初の上院議員を務めている。
上院議員として、彼女は単一医療保険制度、大麻の連邦政府による脱法化、不法移民のための市民権への道、DREAM法、暴行武器の禁止、進歩的な税制改革を支持してきた。上院公聴会で、アメリカ合衆国司法長官ジェフ・セッションズ、ウィリアム・バー、ブレット・カバノー最高裁判所陪席判事候補など、トランプ政権の高官に対して鋭い質問をしたことで全国的な注目を集めた。
母はタミル系インド人移民で、著名な乳がん研究者、父のドナルド・J・ハリスはジャマイカ人移民で、カルフォルニア大学バークレー校で経済学を学ぶため1961年に渡米し、その後スタンフォード大学の経済学教授となった。
2020年10月07日
「一億総活躍」の恩恵は全女性にもたらされたのか?
2020年、日本はコロナの最中で、東京オリンピックもインバウンドの波も来なかった。日本はこれから厳しい少子高齢化の時代を乗り越えていかなくてはならない。2025年には団塊の世代が全員75歳以上の後期高齢者となり、2040年には団塊ジュニアが65歳以上の高齢者となる。団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニアの就職氷河期世代が安定した仕事につけなかったことが、未婚率の上昇をもたらし少子化を悪化させ、低収入の中年層を生み出してきた。若者を犠牲にすることは、日本社会の土台を弱らせることになった。
団塊ジュニアが高齢者となるときには現役人口1.5人で一人の高齢者を支えることになる。この1.5人の現役人口が働いて税金や社会保険料を支払って介護保険や医療保険・年金制度を支えるだけでなく、高齢者を直接、介護や看護する人材ともなる必要がある。
現役人口とは15歳から64歳の人のことを指す。だが、2019年のデータを見ると高校卒業時の18歳から働く若者は同級生の18%弱である。高卒後の大学進学率は約55%、専門学校にも約16%が進学している。実は現役人口を20歳から64歳とすると、2040年には1.4人の現役人口で一人の高齢者を支えることになる。
1997年の高校卒業者の就職者は全体の23.5%で、アルバイトも含めた進路不明者は約8%、2007年の高校卒業者の就職した者は約18%であり、アルバイトは約1%、進路不明は5%程度であった。2017年でも就職者は約18%であり、進路不明は5%程度いるものの、アルバイトや正規の雇用でない者は合わせても1%もいない。だが、この正規雇用者の少なさを見ると、多くの者が初職を辞めて、非正規職に転換していると思われる。
仕事と家庭の両立などの問題がないはずの未婚者でも、高卒女性では正規雇用者は半分以下であり、むしろ正規で働く者は減っている。一方、高卒有配偶女性の有業率は40代後半に8割弱のピークを迎えるが、どの年代でも正規雇用者は2割前後で、この20年間ほとんど変化がない。
1997年の高校卒業者の就職者は全体の23.5%で、アルバイトも含めた進路不明者は約8%、2007年の高校卒業者の就職した者は約18%であり、アルバイトは約1%、進路不明は5%程度であった。2017年でも就職者は約18%であり、進路不明は5%程度いるものの、アルバイトや正規の雇用でない者は合わせても1%もいない。
だが、この正規雇用者の少なさを見ると、多くの者が初職を辞めて、非正規職に転換していると思われる。
仕事と家庭の両立などの問題がないはずの未婚者でも、高卒女性では正規雇用者は半分以下であり、むしろ正規で働く者は減っている。一方、高卒有配偶女性の有業率は40代後半に8割弱のピークを迎えるが、どの年代でも正規雇用者は2割前後で、この20年間ほとんど変化がない。
確かに職場の当たりはずれもあり、男女問わず「労働時間が長すぎる」「仕事がきつくて転職した」という者もいる一方で、恵まれた職場で働く者の中には、20代半ばで結婚し、出産と保育所入所の壁も乗り越え、ママさん社員として働く者も出てきていた。ちゃんと仕事があり、出産・育児休業を経ても職場に復帰できる、働き続けることができるという確信があれば、悩むことなく結婚や出産することが可能になる。条件さえ整えば、仕事も子育てもできるという見本を見るようだった。企業の中には長い目で子持ち女性を育成するようになっているところが出てきている、と感じられるようになってきていた。
大卒の未婚女性の場合は、50代になるまで有業率は9割前後であり、正規雇用で働く者も30代までは7割強、そして40代に入ると6割台に下がるが、この傾向も1997・2007・2017年とほとんど変わりがない。同じ未婚女性といっても、高卒か大卒かで大きく雇用状況は異なっている。また、大卒の有配偶女性の場合は大きな変化がみられる。大卒有配偶女性の有業率は1997年から2017年へと大きく上がっていることが分かる。例えば30代前半の有業率は1997年には47%で2007年にはあまり変化が見られなかったが、2017年には68%である。結婚しても働き続ける大卒女性が増えているのだ。
一方、正規雇用率はどうだろうか。これも同じ30代前半で見ると1997年に30%だったのが、2017年には46%となっている。ただ、40代を見ると正規雇用率は30%台であまり差が無くなる。つまり2000年代後半以降に就職し、結婚した若い世代は正規で働き続ける者が増えている。正規雇用であれば育児休業制度などの利用もしやすい。もっとも、これが本当に出産や子育てを乗り越えて働ける状況を実現しているかどうかは、また別のはなしである。
「第15回出生動向基本調査」によると、第1子出産後の妻の就業継続率はかつて4割前後だったものが2010〜14年では53.1%へと上昇したというが、一方で無子の夫婦も増えているだけでなく、未婚率も上がっているという変化もみられる。さらに2017年時点の20代・30代が今後どうなるか、安心して働きながら子どもを産み育てることができるかどうかが、この世代が安心して働きながら子育てできる体制をつくることが、日本の少子化を少しでも押しとどめるカギになる。
しかしながら、コロナ禍によって大卒女性の就職状況も再び暗転している。通常の企業説明会も中止となって、タイミングを逃した少なくない数の学生は今も苦戦中である。本来は3年生も夏のインターンシップで様々な企業を見て、自分の将来を考える経験を積む時期であったが、それもできなかったままである。そして3年生は今の4年生より、就職が厳しくなることを覚悟している。また親の経済状況が悪化し、大学を続けられるかどうかの悩みを抱える者もでてきている。
学生たちには自分の卒業時期は選べない。第2の就職氷河期世代を生まないためにも、何としてでも若者を守り育て自立へいざわなくてはいけない。それは私たちの未来を守ることにもなるのだ。
参照:現代ビジネス(10/2) 甲南大学マネジメント創造学部教授)前田 正子
つづき
団塊ジュニアが高齢者となるときには現役人口1.5人で一人の高齢者を支えることになる。この1.5人の現役人口が働いて税金や社会保険料を支払って介護保険や医療保険・年金制度を支えるだけでなく、高齢者を直接、介護や看護する人材ともなる必要がある。
現役人口とは15歳から64歳の人のことを指す。だが、2019年のデータを見ると高校卒業時の18歳から働く若者は同級生の18%弱である。高卒後の大学進学率は約55%、専門学校にも約16%が進学している。実は現役人口を20歳から64歳とすると、2040年には1.4人の現役人口で一人の高齢者を支えることになる。
1997年の高校卒業者の就職者は全体の23.5%で、アルバイトも含めた進路不明者は約8%、2007年の高校卒業者の就職した者は約18%であり、アルバイトは約1%、進路不明は5%程度であった。2017年でも就職者は約18%であり、進路不明は5%程度いるものの、アルバイトや正規の雇用でない者は合わせても1%もいない。だが、この正規雇用者の少なさを見ると、多くの者が初職を辞めて、非正規職に転換していると思われる。
仕事と家庭の両立などの問題がないはずの未婚者でも、高卒女性では正規雇用者は半分以下であり、むしろ正規で働く者は減っている。一方、高卒有配偶女性の有業率は40代後半に8割弱のピークを迎えるが、どの年代でも正規雇用者は2割前後で、この20年間ほとんど変化がない。
1997年の高校卒業者の就職者は全体の23.5%で、アルバイトも含めた進路不明者は約8%、2007年の高校卒業者の就職した者は約18%であり、アルバイトは約1%、進路不明は5%程度であった。2017年でも就職者は約18%であり、進路不明は5%程度いるものの、アルバイトや正規の雇用でない者は合わせても1%もいない。
だが、この正規雇用者の少なさを見ると、多くの者が初職を辞めて、非正規職に転換していると思われる。
仕事と家庭の両立などの問題がないはずの未婚者でも、高卒女性では正規雇用者は半分以下であり、むしろ正規で働く者は減っている。一方、高卒有配偶女性の有業率は40代後半に8割弱のピークを迎えるが、どの年代でも正規雇用者は2割前後で、この20年間ほとんど変化がない。
確かに職場の当たりはずれもあり、男女問わず「労働時間が長すぎる」「仕事がきつくて転職した」という者もいる一方で、恵まれた職場で働く者の中には、20代半ばで結婚し、出産と保育所入所の壁も乗り越え、ママさん社員として働く者も出てきていた。ちゃんと仕事があり、出産・育児休業を経ても職場に復帰できる、働き続けることができるという確信があれば、悩むことなく結婚や出産することが可能になる。条件さえ整えば、仕事も子育てもできるという見本を見るようだった。企業の中には長い目で子持ち女性を育成するようになっているところが出てきている、と感じられるようになってきていた。
大卒の未婚女性の場合は、50代になるまで有業率は9割前後であり、正規雇用で働く者も30代までは7割強、そして40代に入ると6割台に下がるが、この傾向も1997・2007・2017年とほとんど変わりがない。同じ未婚女性といっても、高卒か大卒かで大きく雇用状況は異なっている。また、大卒の有配偶女性の場合は大きな変化がみられる。大卒有配偶女性の有業率は1997年から2017年へと大きく上がっていることが分かる。例えば30代前半の有業率は1997年には47%で2007年にはあまり変化が見られなかったが、2017年には68%である。結婚しても働き続ける大卒女性が増えているのだ。
一方、正規雇用率はどうだろうか。これも同じ30代前半で見ると1997年に30%だったのが、2017年には46%となっている。ただ、40代を見ると正規雇用率は30%台であまり差が無くなる。つまり2000年代後半以降に就職し、結婚した若い世代は正規で働き続ける者が増えている。正規雇用であれば育児休業制度などの利用もしやすい。もっとも、これが本当に出産や子育てを乗り越えて働ける状況を実現しているかどうかは、また別のはなしである。
「第15回出生動向基本調査」によると、第1子出産後の妻の就業継続率はかつて4割前後だったものが2010〜14年では53.1%へと上昇したというが、一方で無子の夫婦も増えているだけでなく、未婚率も上がっているという変化もみられる。さらに2017年時点の20代・30代が今後どうなるか、安心して働きながら子どもを産み育てることができるかどうかが、この世代が安心して働きながら子育てできる体制をつくることが、日本の少子化を少しでも押しとどめるカギになる。
しかしながら、コロナ禍によって大卒女性の就職状況も再び暗転している。通常の企業説明会も中止となって、タイミングを逃した少なくない数の学生は今も苦戦中である。本来は3年生も夏のインターンシップで様々な企業を見て、自分の将来を考える経験を積む時期であったが、それもできなかったままである。そして3年生は今の4年生より、就職が厳しくなることを覚悟している。また親の経済状況が悪化し、大学を続けられるかどうかの悩みを抱える者もでてきている。
学生たちには自分の卒業時期は選べない。第2の就職氷河期世代を生まないためにも、何としてでも若者を守り育て自立へいざわなくてはいけない。それは私たちの未来を守ることにもなるのだ。
参照:現代ビジネス(10/2) 甲南大学マネジメント創造学部教授)前田 正子
つづき
2020年10月06日
コロナ検査増加による、致死率低減か
新型コロナウイルスの感染が広まっていった昨年末から、世界に広がったコロナ禍での死者が100万人を超えた。米国は、現在、感染者数、死者数ともにこのところの推移で世界最多になった。
この間、感染者に占める死者の割合は大きく変化した。感染した人のうち、どのくらいの人が死に至っているのか。米ジョンズ・ホプキンス大のデータにより、世界の各地域の致死率を計算すると、これまでの世界の死者を感染が確認された人数で割った致死率(9月27日時点)は約3%である。5月末までは6・1%だったが、6月以降だけでみると2・3%まで下がってきている。一時、欧州で隆盛をみせた感染状況だったが、5月末までは8・7%だったのが6月以降は1・7%に減じている。大半の地域が同じ傾向だ。
新型コロナが中国で検出され、その後、世界に広がっていった当初は多くの国で検査体制が十分に整っておらず、症状がある人たちを中心に検査していた。実際のウイルスの広がりのうち、検査で確定できたのは氷山の一角だとみられ、分母となる感染者数が実際よりも小さくなって、致死率が高くなる傾向にあった。その後検査の拡大に伴って無症状の人を検査することも増え、ウイルスが弱毒化しているわけではないが致死率がはがると多くの専門家はみている。検査で確定できるのが氷山の一角であって、検査の分母が大きくなり、このところの致死率が低下との見方になっている。
また、致死率に影響を及ぼすのは感染の広がった地域の事情もある。3〜4月には高齢者が多い先進国のイタリアやスペインで感染が拡大し、院内感染も多発した。5月以降に感染が急拡大したブラジルやインドでは人口に占める若者の割合が多く、重症化しにくい年齢層が中心だったという状況もある。特にインドは簡易な抗原検査を大量に実施していることも大きいとみられる。
国立国際医療研究センター(東京都新宿区)の忽那(くつな)賢志・国際感染症対策室医長は「世界の致死率は下がる傾向にある。検査の実施数が増え、早めに診断されるようになった。感染者全体に占める軽症者の割合が増え、重症化のリスクが高い人が相対的に減ったことが大きい。治療薬やケアの質の改善なども影響しているのだろう」と話す。
参照:朝日新聞社 2020/09/29
この間、感染者に占める死者の割合は大きく変化した。感染した人のうち、どのくらいの人が死に至っているのか。米ジョンズ・ホプキンス大のデータにより、世界の各地域の致死率を計算すると、これまでの世界の死者を感染が確認された人数で割った致死率(9月27日時点)は約3%である。5月末までは6・1%だったが、6月以降だけでみると2・3%まで下がってきている。一時、欧州で隆盛をみせた感染状況だったが、5月末までは8・7%だったのが6月以降は1・7%に減じている。大半の地域が同じ傾向だ。
新型コロナが中国で検出され、その後、世界に広がっていった当初は多くの国で検査体制が十分に整っておらず、症状がある人たちを中心に検査していた。実際のウイルスの広がりのうち、検査で確定できたのは氷山の一角だとみられ、分母となる感染者数が実際よりも小さくなって、致死率が高くなる傾向にあった。その後検査の拡大に伴って無症状の人を検査することも増え、ウイルスが弱毒化しているわけではないが致死率がはがると多くの専門家はみている。検査で確定できるのが氷山の一角であって、検査の分母が大きくなり、このところの致死率が低下との見方になっている。
また、致死率に影響を及ぼすのは感染の広がった地域の事情もある。3〜4月には高齢者が多い先進国のイタリアやスペインで感染が拡大し、院内感染も多発した。5月以降に感染が急拡大したブラジルやインドでは人口に占める若者の割合が多く、重症化しにくい年齢層が中心だったという状況もある。特にインドは簡易な抗原検査を大量に実施していることも大きいとみられる。
国立国際医療研究センター(東京都新宿区)の忽那(くつな)賢志・国際感染症対策室医長は「世界の致死率は下がる傾向にある。検査の実施数が増え、早めに診断されるようになった。感染者全体に占める軽症者の割合が増え、重症化のリスクが高い人が相対的に減ったことが大きい。治療薬やケアの質の改善なども影響しているのだろう」と話す。
参照:朝日新聞社 2020/09/29
2020年10月05日
2020年10月04日
NPO農教室で稲刈り@根戸新田
最年少のぼうや(マスクなしなので掲載承諾いただき)は2歳、孫ちゃんと同じくらいなので、なんともカワイイ。
その他、何人いるのかと思いますが、子育て世代もワイワイと楽しそうで、中に、おばあちゃんとイナゴの佃煮を作ってくれて、試食会も大盛況で、おっかなびっくり食した人の「おいしい」の連発に、私も一つ頂きました。味加減が絶妙に「美味しい!」、70前での初体験でした。
おだ掛けした米を”最新式”の脱穀機(横文字が、右から左に書かれている)が、なんとも愉快な最新式でした。その脇には、コンバインが置いてあるのでしたが、まさか、機会は3倍速以上に人力を凌ぎます。昔の田んぼの整地、米作りは、本当に多くの人手がいり、隣近所仲良くしていないと、米作りができないということだったと思います。日本の稲作は、極東地区の民族が込め作りをするので、南アジアでいつでもできる稲作とは違い、多くの縛りがあったのだろうと考えさせられました。
各、クリックで拡大可
2020年10月03日
2020年10月02日
新しい対策
関西圏の企業トップら名だたる名士たちの邸宅が広がる芦屋は、関西随一の高級住宅街だ。海津にいなは、小高い丘陵が六甲山に連なる宮川の流れる地に4年程住んでいた転勤時代があるので、その後、我孫子に越してきて、坂道が多い点で共通点を見出していた。芦屋は、谷崎潤一郎の小説「細雪」の舞台としても知られているだけに、なんだかそれだけで文学と深い繋がりを感じて誇らしかったし、その余韻を探し出すたびに土地柄の良さを納得できる気がしたが、まさか我孫子に転居した時は「手賀沼の湖沼汚染ワーストワン」で誇れるところがないようで残念な気がしたのを覚えている。それも、北千葉導水の導入でワーストワンの地位から脱却して、子どもたちが水辺で遊べる雰囲気になってきたし、昨年はじゃぶじゃぶ池の改修もしたので、コロナ禍が治まれば、いよいよ「新しい日常の中の観光」に力を入れるべきで、他市町村にマケズに準備したい (^^♪。
さてさて、芦屋市の裕福層の所得税、相続税、贈与税の税収は、大阪局管内83署でトップクラスだ。そこで芦屋税務署に加え、多くの富裕層が住むエリアを所管する西宮、豊能両税務署などでは、ここ数年、独自に「署富裕層PT」を立ち上げた。令和元年7月からは、芦屋税務署では、署長をトップとする30人態勢で調査にあたり、富裕層に対する監視の目を強化してきた。
ある国税OBは「『パナマ文書』の流出で資産家や大企業などの課税逃れの実態が明らかになったが、資産隠しは巧妙になっている。当然、海外に資産を移転すれば、国税当局は資産の把握が難しくなる」と指摘する。国税庁では、こうした海外への資産隠しや国際的な租税回避行為に対応するため、高額な資産があると認められる個人、事業主や法人の調査を強化しており、平成26年に東京、名古屋、大阪の3つの国税局に「富裕層プロジェクトチーム(PT)」を設置し、29年には全国税局に広げた。
また、海外に計5千万円超の資産を保有する個人に「国外財産調書」の提出を義務付ける制度の導入や、世界各国の金融口座情報が自動的に交換される「CRS(共通報告基準)」の運用を始めるなど、これまでさまざまな策を講じてきた。
同庁は富裕層の定義について明らかにしていないが、同庁がまとめた富裕層に対する調査結果によると、令和元年6月までの1年間で、全国で763億円(前年比13・9%増)の申告漏れ所得があり、近畿6府県を所管する大阪国税局でも136億円(同61・9%増)と、いずれも現在の統計が始まった平成21年以降で最高となった。
もとより国税当局では、個人所得や相続・贈与された資産、法人所得について部署が異なり、財務省組織規則が定める調査権限も異なる、“縦割り”の組織だった。しかし、PTでは、「所得が高い富裕層は、多くの資産を相続しながら、国外でも保有しているケースが多い」(国税OB)ことから、各部署にまたがる横断的組織に再編。収集した資料などの情報を一元的に管理し、各部署のノウハウを活用しやすい態勢を整えた。
その結果、芦屋税務署では、2年6月までの1年間で、相続、贈与を受けた資産を海外に保有していたり、海外の銀行から得た利子や配当を得ていたりするなどの事実を明確にし、56人に対し所得税約19億円、相続税と贈与税について37件約24億4千万円の申告漏れを指摘。法人税を加えると、合計で申告漏れ額は約44億9千万円となり、追徴額も10億5千万円を超えた。中に隠蔽の案件もあったので、国税OBは「国税当局はこれで終わることなく、引き続き富裕層を重点的に調査していくだろう」と話している。
さてさて、芦屋市の裕福層の所得税、相続税、贈与税の税収は、大阪局管内83署でトップクラスだ。そこで芦屋税務署に加え、多くの富裕層が住むエリアを所管する西宮、豊能両税務署などでは、ここ数年、独自に「署富裕層PT」を立ち上げた。令和元年7月からは、芦屋税務署では、署長をトップとする30人態勢で調査にあたり、富裕層に対する監視の目を強化してきた。
ある国税OBは「『パナマ文書』の流出で資産家や大企業などの課税逃れの実態が明らかになったが、資産隠しは巧妙になっている。当然、海外に資産を移転すれば、国税当局は資産の把握が難しくなる」と指摘する。国税庁では、こうした海外への資産隠しや国際的な租税回避行為に対応するため、高額な資産があると認められる個人、事業主や法人の調査を強化しており、平成26年に東京、名古屋、大阪の3つの国税局に「富裕層プロジェクトチーム(PT)」を設置し、29年には全国税局に広げた。
また、海外に計5千万円超の資産を保有する個人に「国外財産調書」の提出を義務付ける制度の導入や、世界各国の金融口座情報が自動的に交換される「CRS(共通報告基準)」の運用を始めるなど、これまでさまざまな策を講じてきた。
同庁は富裕層の定義について明らかにしていないが、同庁がまとめた富裕層に対する調査結果によると、令和元年6月までの1年間で、全国で763億円(前年比13・9%増)の申告漏れ所得があり、近畿6府県を所管する大阪国税局でも136億円(同61・9%増)と、いずれも現在の統計が始まった平成21年以降で最高となった。
もとより国税当局では、個人所得や相続・贈与された資産、法人所得について部署が異なり、財務省組織規則が定める調査権限も異なる、“縦割り”の組織だった。しかし、PTでは、「所得が高い富裕層は、多くの資産を相続しながら、国外でも保有しているケースが多い」(国税OB)ことから、各部署にまたがる横断的組織に再編。収集した資料などの情報を一元的に管理し、各部署のノウハウを活用しやすい態勢を整えた。
その結果、芦屋税務署では、2年6月までの1年間で、相続、贈与を受けた資産を海外に保有していたり、海外の銀行から得た利子や配当を得ていたりするなどの事実を明確にし、56人に対し所得税約19億円、相続税と贈与税について37件約24億4千万円の申告漏れを指摘。法人税を加えると、合計で申告漏れ額は約44億9千万円となり、追徴額も10億5千万円を超えた。中に隠蔽の案件もあったので、国税OBは「国税当局はこれで終わることなく、引き続き富裕層を重点的に調査していくだろう」と話している。
2020年10月01日
飲食店の事情
地元の飲食店を支えるのも大事な使命だと、我孫子市も補助金を入れて応援しています。飲食店、宿泊施設などは観光の中でも中心的な干すピタリ―産業として重要なのですから、この時期のこうした支援という意味があります。
かじ池亭もランチのテイクアウトなど、始めてます、
https://restaurant-kajiiketei.jimdofree.com/
中でも、海津にいなのおススメはネギソースの唐揚げとり丼(千円)”です、ネギソースのからみが絶妙です。他にステーキ弁当(2200円)、海老フライ弁当(1600円)も、お店の一押しの味をお手頃な価格で楽しめます。
我孫子宿の江戸の頃からの老舗旅館であった「角松」は、
https://www.kadomatsu-honten.jp/
アド街ック天国で放映された記念にとランチ始めています。 嘉納治五郎の扁額もあるゆかり の店で、店内のしつらえ、お庭が粋なつくりです。 孫たちのお祝いなどで利用してから、そのママたちのお気に入りとなり、食事会をする際に利用させて頂くようになりました。我孫子にあって嬉しい両店です (^_-)-☆
そのほか、海津にいなは、ジャージャー面が好きなので、湖北の龍鳳館、天王台の清華(クッキーも出すし、キーボード演奏もある)がお気に入りです。ジャージャー麺の肉みその加減や麺の温かい冷たいが、それぞれなので好みの味なので、近所を通りかかる時にお邪魔します。それと、胡麻みそうどんが食べたくなる時があり、かつては近所の代々木庵にて食しておりましたが、そこが閉店してしまい、湖北のそば店・タニヤに行ったりします。布佐のリバーサイドは、大盛で活気がある。 近所のシャンティーイはお得感のある洋食屋、アケボノ食堂も早くてうまい、 見松のとんかつ定食はお得感あります、かっぱちゃんのラーメンもスッキリ味でいいし、テイクアウトのお惣菜も頼めます。未だに気になっていて行けていないのが天ぷらの中村屋。 またの楽しみになっています (^_-)-☆
ところで、ニューヨーク市ではコロナ感染拡大の懸念から店内での飲食が新型コロナウイルス対策で3月中旬から禁止されていましたが、市内の飲食店は6月に屋外営業のみ再開。それが9月30日、客を定員の25%に制限して再開したそうです。
▼ ▼ ▼
市のコロナ検査の陽性率が上昇傾向にある中での規制緩和となった。店内での飲食の場合、店側は客の検温と後で追跡できるよう代表者の連絡先を聞くことが義務付けられた。もっとも、当日は好天に恵まれ、中心部マンハッタンでは店内よりも屋外席で昼食を楽しむ人が目立った。
屋外営業も行うマンハッタンの米国料理店、ゼネラルマネジャーのルー・フロレスさん(30)は店内の客席を約2割に制限して再開したが、この日の昼に店内で飲食したのは1人のみ。「多くの人は(感染への)不安もあって店内をまだ望まないと思うから、店内飲食は(屋外席の)追加席として扱っている」と話した。
観光客の多かったNY、通常はチップ、サービス料、などが加わるので地元の人は頻繁に利用しない事情もありそうだが、これから秋深まり、冷え込んでくるとどういう事情になるか注目される。
出典;時事通信(10/1)
かじ池亭もランチのテイクアウトなど、始めてます、
https://restaurant-kajiiketei.jimdofree.com/
中でも、海津にいなのおススメはネギソースの唐揚げとり丼(千円)”です、ネギソースのからみが絶妙です。他にステーキ弁当(2200円)、海老フライ弁当(1600円)も、お店の一押しの味をお手頃な価格で楽しめます。
我孫子宿の江戸の頃からの老舗旅館であった「角松」は、
https://www.kadomatsu-honten.jp/
アド街ック天国で放映された記念にとランチ始めています。 嘉納治五郎の扁額もあるゆかり の店で、店内のしつらえ、お庭が粋なつくりです。 孫たちのお祝いなどで利用してから、そのママたちのお気に入りとなり、食事会をする際に利用させて頂くようになりました。我孫子にあって嬉しい両店です (^_-)-☆
そのほか、海津にいなは、ジャージャー面が好きなので、湖北の龍鳳館、天王台の清華(クッキーも出すし、キーボード演奏もある)がお気に入りです。ジャージャー麺の肉みその加減や麺の温かい冷たいが、それぞれなので好みの味なので、近所を通りかかる時にお邪魔します。それと、胡麻みそうどんが食べたくなる時があり、かつては近所の代々木庵にて食しておりましたが、そこが閉店してしまい、湖北のそば店・タニヤに行ったりします。布佐のリバーサイドは、大盛で活気がある。 近所のシャンティーイはお得感のある洋食屋、アケボノ食堂も早くてうまい、 見松のとんかつ定食はお得感あります、かっぱちゃんのラーメンもスッキリ味でいいし、テイクアウトのお惣菜も頼めます。未だに気になっていて行けていないのが天ぷらの中村屋。 またの楽しみになっています (^_-)-☆
ところで、ニューヨーク市ではコロナ感染拡大の懸念から店内での飲食が新型コロナウイルス対策で3月中旬から禁止されていましたが、市内の飲食店は6月に屋外営業のみ再開。それが9月30日、客を定員の25%に制限して再開したそうです。
▼ ▼ ▼
市のコロナ検査の陽性率が上昇傾向にある中での規制緩和となった。店内での飲食の場合、店側は客の検温と後で追跡できるよう代表者の連絡先を聞くことが義務付けられた。もっとも、当日は好天に恵まれ、中心部マンハッタンでは店内よりも屋外席で昼食を楽しむ人が目立った。
屋外営業も行うマンハッタンの米国料理店、ゼネラルマネジャーのルー・フロレスさん(30)は店内の客席を約2割に制限して再開したが、この日の昼に店内で飲食したのは1人のみ。「多くの人は(感染への)不安もあって店内をまだ望まないと思うから、店内飲食は(屋外席の)追加席として扱っている」と話した。
観光客の多かったNY、通常はチップ、サービス料、などが加わるので地元の人は頻繁に利用しない事情もありそうだが、これから秋深まり、冷え込んでくるとどういう事情になるか注目される。
出典;時事通信(10/1)