92歳でマレーシア首相に返り咲いたマハティール・モハマドは2020 年3月まで暫定首相であり、7月に95歳になった。
日本の修学旅行生がマレーシアを訪ねた際(2018)に、彼らに向けて語ったスピーチが紹介され、大きな反響を呼んだ。常に「日本はアジアに謝罪すべきだ」という声、戦争の惨禍をもたらした反省が国内で大きく扱われてきた。また、近隣諸国からも靖国問題など等で常に強い反意のコメントが発表されたことが取り上げられてきた。そんな中で、アジアの中にも「日本は戦争の贖罪意識から解放されるべきだ」と語るリーダーが存在することが知られ、マハティール首相(当時)の言葉は印象的だったのだ。
そこでマハティールの著書『立ち上がれ日本人』(加藤暁子・訳)にある前回の首相在任時の発言だが、十分現代の私たちにも訴えてかけてくるメッセージなので一部を紹介すると、
――愛国心について
「はっきり申し上げれば、いまの日本人に欠けているのは自信と愛国心です。日本が『愛国心』という言葉に過敏になる理由は、私にもわかります。確かに、過去に犯した多くの過ちを認める用意と意思は持たなければならない。しかし半世紀以上も前の行動に縛られ、恒常的に罪の意識を感じる必要があるのでしょうか。
ドイツを見てください。誰が彼らに、戦争中のナチスの残虐な行為を謝罪して回るよう求めているでしょうか。
しかし日本ではどの首相も、2世代も前の人間がやらかしたことを謝罪しなければならないと思っている。
これは不幸なことです。
日本が再び軍事大国になることはないという、近隣諸国の不安を取り除くための保証さえあれば、謝罪の必要はありません」
――日本の首相の在任期間の短さについて
「一人の政治指導者があまりに長く権力の座に居座ると、強権的になり腐敗を招く、という懸念がつきまとうのも事実です。しかし良識ある愛国的な指導者は、自らの権力を濫用することはありません。
投票による民主的なシステムでは、人気のあるリーダーは政策を十分に実行しうるポストを与えられます。いっぽう権力を濫用する者は、解任されるか選挙で落とされる運命にあります」
――日本のアジアでの地位について
「今まさに日本が挑戦すべきことは、東アジアにおけるリーダーの役割を果たすことです。日本には経済的な規模があり、富があり、世界水準の技術力がある。
世界のリーダーとなるには軍事力も必要だという考え方もあるでしょうが、今日の『戦争』は経済的な側面が焦点です。
東アジアだけでなく、世界が日本を必要としています。今日、世界がおかれた状況は修羅場と言ってもいいほどです。自由貿易システムの濫用、投機家の底なしの貪欲さ、そしてテロリズム――。日本のダイナミズムと、ひたむきな献身が、まさに必要とされているのです」
――終身雇用の崩壊について
「最近、欧米のメディアが積極的に転職する日本の若い世代を誉めそやす記事を読みました。これは、まったく間違っています。
長年保たれてきた企業と従業員の、よき家族にも似た関係が薄れてしまえば、私たちが多くを学んだ『日本株式会社』もまた立ち行かなくなる。
失業者を増やし、企業と社会の生産性を損なう外国のシステムを、なぜ盲目的に受け入れなければならないのでしょうか。アジアは欧米ではないのです。 日本人は、日本固有の文化にもっと誇りをもつべきです。もし当事者であるあなた方がそう思っていないとしたら、私の口からお伝えしたい。 あなた方の文化は、本当に優れているのです。日本の力を忘れてはいませんか」
――日本の現状について
「マレーシア経済危機のとき、日本は私たちの味方となってくれました。しかしその日本はといえば、残念ながら私の目からは自分を見失っているように、そして自分の考えで動いてはいないように映ります。
いまのところ日本は、私たち東アジアの国々から生まれた唯一の先進国です。そして、富める国には隣人に対してリーダーシップを発揮する義務があります。潜在的な大国である中国をうまく御しながら、その責務を果たせるのは西側諸国ではありません。それは、東アジアの一員たる日本にしかできない役目なのです。
いつまでも立ち止まっている余裕はありません。それは日本にとっても、東アジアにとっても、世界にとっても、大いなる損失でしかないのです。
最後にはっきりと申し上げたい。
日本人よ、いまこそ立ち上がれ――と」
最後に、メディアについてのマハティール首相の言葉もご紹介しておこう。
「世界は西側の価値観に支配されている。メディアはその最たるものだ。
日本のメディアは欧米のメディアに左右されることなく真実の報道をしてほしい」
マハティールは、1941年12月に日本軍により行われたマレー駐留のイギリス軍に対する攻撃が起こった時は高校生であった。日本軍はイギリス軍を短期間で一掃し、以後、マハティールは日本軍統治下のマレー半島で過ごす。
日本の敗戦後、マハティールは当初、マレー半島がイギリス領に戻ることを望んでいたが、イギリスはクダ州を戦前までの保護領ではなく、スルターンの権限を完全撤廃し、政治活動の禁止も含む完全な植民地化を進めるとの案を突きつけた。このイギリスの案は後に撤回され、現地人の政治活動も認められるが、このイギリスの態度は、マハティールがイギリスの植民地からの独立運動および政治活動に進む切っ掛けとなった。1946年 統一マレー国民組織 (UMNO) 発足に関与、一方で医者となるためにシンガポールのエドワード7世医科大学を1953年に卒業し、医師の資格を取得した。1957年、アロースターの総合病院を辞職した後に、同地でマレー人初の医院を開業し、貧困層への診療に取り組む。医師業と並行して、UMNOの政治活動に従事した。1963年 マレーシア成立すると、翌1964年4月25日に実施された総選挙において、クダー州から選出され、下院国会議員となって、以来、21世紀においても政界で活躍した最高齢の政治家であった。
参照:デイリー新潮編集部(2018 /6/8)
マハティールが95歳になった7月10日から、20日後に、親日家の台湾元首相・李登輝が97歳で亡くなった。
李は、2009年12月18日に、台北市内で、訪台中の日本の高校生約100人を相手に『日本と台湾の歴史と今後の関係』をテーマに講演した。李は講演で「あなたたちの偉大な祖先の功績を知り、誇りに思ってほしい」「公に尽くし、忠誠を尽くした偉大な祖先が作り上げてきた『日本精神』を学び、あなたたちも大切にしてほしい」と述べていた。また、2010年3月24日、「第7回日台文化交流 青少年スカラシップ」の日本側研修団の表敬訪問を受けた。李は学生に対し「日本人は教育と政治の影響で否定的な価値観を持たされ、心理的な鎖国に陥っている。日本の気高い形而上学的・道徳的価値観と品格を大切にし、自らの歴史を肯定しなさい」と述べた。また、日本の台湾統治にも触れ「日本は植民地の形ではあったが台湾近代化に大きな貢献をした」と述べていた。
参照:https://www.nishinippon.co.jp/image/214239/
昨年11月末、中曽根康弘が101歳で亡くなった。内閣・自民党葬が今春に予定されたが、コロナ禍において延期されてきたが、来月に行われる公算になってきた。
(敬称略)
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