終戦の日の8月15日、NHKにて、三浦春馬さんの遺作が放送される。 7月18日に急逝した三浦さんが最後に公の場に姿を見せたのは、このドラマ『太陽の子』の完成披露試写会だった。ストーリーは第二次世界大戦下の日本の科学者たちが主人公の物語。戦争末期、戦局好転を狙い、アメリカやロシアよりも早く原子爆弾を開発しようと奔走した京都大学物理学研究室が舞台の、史実に基づいたフィクションだ。
研究に没頭する主人公の学生・石村修役を柳楽優弥(30才)が演じている。その弟で、陸軍の下士官として戦地にいたが、肺の療養のため一時帰宅する裕之役を三浦さんが、疎開によって兄弟と同居する幼なじみの世津役を有村架純(27才)が演じている。この物語は、戦争ドラマでもあり青春ドラマでもあるのだ。
7月8日に行われた試写会後には記者会見も開かれたが、そのときの三浦さんの言葉は誠実さに溢れていた。
役作りについて問われれば、「戦地から療養で家族のもとに帰ったとき、家族に毅然とした態度をとって繕う姿に、どのように背景を肉付けしていったらいいか苦労しました」と率直に答え、撮影前と撮影後の心境の変化については、「意欲的に未来のことを考えるのは、どの時代でもかけがえのないことだと感じました」と、口にしていた。
家族への振る舞い方、前向きな未来。こうした思いを亡くなるわずか10日前に遺していた。生きること、そして命との向き合い方については、死の直前に自らの手でも書き遺していた。「三浦さんが亡くなった自宅マンションには日記帳が遺されていました。そこには自らの命と向き合う言葉が書き連ねてあったのですが、その中に、《役の石村裕之について》と書きながら、《散ることを見据えて残された日々をどう過ごすべきか》《苦悩する姿に自分を重ねている》と、役柄と自分自身を重ねる文言が並んでいました」(捜査関係者)
散ることを見据えて――その言葉は、三浦さん演じる裕之が、命の終わりに向かって走り続ける役柄だったことを表している。
裕之は、戦況悪化の一途をたどり、常に死と隣り合わせの戦場から実家へ戻ることで、つかの間の休息を得る。しかし、“地獄ともいえる戦地”で見たものを、裕之は家族に話さない。それどころか努めて明るく振る舞い、研究に没頭する兄を励まし、密かに思いを寄せる幼なじみの世津にも温かい視線を向け、暗い話題になりそうなときは「未来の話をしよう」と空気を変える。不自然なほどの明るさに母親だけが違和感を抱くが、はっきりと言葉で伝えることはなかった。
そんなある日、裕之の本心が溢れ出す。兄弟と世津の乗ったバスがエンストを起こし、3人は野営を余儀なくされる。たき火を囲みながら兄弟はぽつりぽつりと言葉を交わす。兄は弟が戦地へ戻ることを引き留めようとすれば、弟は、国のために研究を進め、成果をあげてほしいと兄に伝えた。
『ありがとう。さようなら』
夜になり、皆が眠りに落ちるが、ただ1人、裕之だけがそっと起き上がる。そして、まるで導かれるかのように海へ向かって歩き出し、沖に出ても、足元を見ることなく、ずっと前を見たまま歩みを止めない。激戦地で精神を蝕まれた裕之が入水自殺を試みるシーンがうつる。
裕之がいなくなったことに気がついた兄の修と世津が、彼を捜しに行きます。そして、沖から裕之を必死に連れ戻すのです。そのとき、あれだけ朗らかだった裕之が、『怖いよぉ…』と泣きながら、『おれだけ死なんわけにいかん…死なんわけにいかん!』と強く慟哭の声をあげたのです。
試写を見た女性は、「胸を打たれました。死を恐れながらも、同時に、死と向き合わずに戦地から逃げている自分を許せない、と揺れ動くストイックすぎる姿が、なぜか三浦さんと重なってしまって…」
その後、裕之は予定よりも早く戦地に戻ることを自らの意志で決める。
「自分が安全な場所にいる間にも仲間は次々と死んでいっていることが耐えられなかったのでしょう。その表情は、“戦争に勝つため”ではなく“死に場所を探すため”、いまいる場を去ろうとしているようにも見えました」(前出・視聴者女性)
家族に見送られ、家を後にする裕之。心配そうな家族をよそに、一度も振り返ることなく再び戦地へと旅立った。
その後の裕之の命運について、家族は一通の手紙で知ることになる。それは、特攻隊員を志願し、出撃する前に母に向けて書かれた、最期の手紙だった。
「親不孝を詫び、心残りはないと言い、これが届く頃に戦果をあげますと誓う手紙が、三浦さんの声で読み上げられて…。一言一言を噛みしめるように読み上げるなか、『裕之は御国のため、笑って死にます』という言葉を聞いたときには、頭の中にぱっと三浦さんの満面の笑みが浮かびました。同じ思いのかたが多かったのでしょう。このシーンが流れると、上映室にはすすり泣きの声がこだまして、私も嗚咽がこらえられませんでした」(前出・視聴者女性)
その手紙は『ありがとう。さようなら』と結ばれていた。淡々と読み上げるはずだったであろう三浦さんの声は、そのとき小さく震えていたという。
家族を心配させないように、見てきたものや聞いてきたものを語らず、本音を隠し通したまま、自ら死に向かった裕之。彼を演じた三浦さん自身もまた、視聴者と同様に、役柄と自分自身を重ね合わせることがあったのだろう。
三浦さんの知人がうつむきがちに語る。
「自分の素を見せず、役に没頭できる役者という仕事は、春馬にとって現実の人生からの格好の逃げ場だったのかもしれません。が、役に入り込むあまり、その逃げ場と自分の人生がぴたりと重なり、演じ終わっても離すことができなくなってしまっていた。」あれからもう1か月が経とうとしていますが、なぜ春馬さんが一人旅立つ選択をしたのか、普段の彼からするといくら考えても、答えが見つからないという。このような死を遂げる若者の心情にのめり込むように役作りをしてきた場合に、鬱々とする気分も尾を引いていたかもしれないが、友人と好きなお酒を酌み交わし、語りあう場も出来ない毎日だった。その一か月前から誹謗中傷の対象になった舞台の延期、短縮開催もコロナ禍による都内でのイベント中止の決定が下る間際であった。誰だって、嫌な事、死にたいくらいに落ち込むことがあるが、そんな時に気心の知れた人と会って話すことができると、気分の転換ができるものだ。前代未聞、パンデミックのステイホームに重なっていなければ、裕之が自殺を思いとどまったように、助けることができただろうに・・・・。さらに、未来が世界の舞台にも開けていくだけの資質を持ちながら、残念だ。
生前、三浦さんは《僕たちの仕事は想像力を皆様に届ける仕事ですし、この作品を通してみなさんが戦争というものを考える大きなきっかけになればと思っています》と、このドラマにコメントを寄せていた。その願いは、あの端正な笑顔や愁いを帯びた横顔とともに、『太陽の子』に刻み込まれている。この作品に渾身の演技で迫った三浦春馬さんの冥福を祈り、見てみたい。
出典:女性セブン2020年8月20・27日号