
新型コロナウイルスの感染拡大で2020年の五輪は延期となったが、広島では一度は聖火ランナーに決まった中に被爆者2人が含まれており、その一人が豊平地区からだった。「被ばく犠牲者への慰霊と平和への感謝の気持ちを伝えたい」と平和の祭典の晴れ舞台を信じ、来年こそ走りたいと練習を続けているという。
さらに遡ると、1964年の五輪でも、まだ本土復帰していなかった占領下の沖縄に、手立てをつくして聖火を走らせたのことであった。また、代々木の会場の聖火台に灯をともしたのは、広島出身の青年だった。聖火リレーに伴うシリーズ報道を何度かみていたので、改めてオリンピックの意義を再認識した。
嘉納治五郎の五輪へかける願いは、強い世界平和への願いだった。関東大震災など挫折しそうになる事がたびたび起きるが、70才を超えて挑んだ嘉納の目標を諦めることはなかった。そして、ついに欧米諸国だけのオリンピックだった大会にアジアから初参加し、アジアでの大会開催を訴え続けて、承認を得た。とりもなおさず、嘉納治五郎の「なにくそ!」という心意気で、難題を制すのであった。もっとも、その嘉納も実際の開催を自分の目で見る前に亡くなってしまう…。東京大会開催は、太平洋戦争に向かう軍部の影響下で中止、そして敗戦であった。
欧米諸国を相手に世界大戦を引き起こした日本は、敗戦を迎え、沖縄は占領となる。そんな中で、嘉納がIOCで築いたレガシーは輝いて、記憶に留まり、ついに1964年の東京大会が実現!その当時は、日本の復興を欧米諸国に認知してもらうのが20世紀の世界の構図だった。
そして、21世紀の復東京五輪は、福島の津波被害と原発事故からの日本の復興する姿を世界に印象付けることが目的だった。誘致決定の時に、まさかコロナ・パンデミックで延期となるとは誰一人考えていなかった。だが、嘉納がそうであったように、日本は不屈の精神で、来年に東京五輪・パラリンピックを開催し、被爆者、被災者が復興への篤い思いでトレーニングを続けてきた聖火リレーを、実際に聖火を手に走る姿を世界の人々にみてもらいたい。
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