2020年02月07日

御開帳:薬師堂の薬師三尊および十二神将像

我孫子市の中央部分に所在する、中里薬師堂の本尊は秘仏とされていますが、年に一度2月11日の御開帳に公開されています。御開帳は年に1度しか見ることができない貴重な期間です。2019年で薬師三尊および十二神将像の修理が完了し、全ての像が揃った状態での御開帳となります。是非お誘い合わせのうえご来場ください。

   2月11日に10時から3時まで、薬師堂境内(我孫子市中里239)で一般参観ができるようになっています。
  
   また、2月15日(土曜日)から18日(火曜日)10時から5時まで、出開帳として、あびこ市民プラザ ギャラリーでも拝観できます。

   薬師堂本尊展示についてのギャラリートークが、下記の日程で行われます。
   15日(土曜日) (1)午前11時から (2)午後2時から(各回30分)予定されています。

   いずれも、申し込み、入場料など不要ですので、いらして見てください。

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写真:我孫子市教育委員会

中里薬師堂の薬師三尊および十二神将像の制作年代は、江戸時代後期と考えられます。本尊と脇侍、十二神将がすべて揃って残されていることは貴重であり、中里周辺地域の人びとによる篤い信仰と管理がなされてきたことを示します。現在、平成18年市指定文化財。

中里薬師堂(我孫子市中里238)は、そもそもは龍泉寺を本山として起きており、龍泉寺については『湖北村誌』に記さていることからも、我孫子の寺院で最も古い草創伝承の寺と考えられます。それは弘法大師が関東巡錫の折に中里字東原に創建したといい、平将門の乱の折に罹災したものの、大徳良仁法印が再建といいます。天文年間(1532-1555)権大僧都永楽法印の代に中峠字芝原へ移転、元文五年(1740)の「中峠村田畑社地不残大概書」の「寺社方御除地」の項に、「一、五反弐畝拾三歩、寺屋敷、真言宗南命山龍泉寺」と南命山と改号が読み取れ、また旧山門の垂木に「享保十二年(一七二七)未三月十六日、中峠村龍泉寺」の墨書が発見されて、堂宇造営の歴史の一端が知られた。江戸時代には末寺14ヶ寺と擁していた本寺格の寺院であり、観覚光音禅師が発願主となり宝暦10年(1760)頃開創したとされる新四国相馬霊場八十八ヶ所76番です。その後、中峠村から中里村が分村した際、宝蔵院及び薬師堂が建立したのではないかと言い伝えられています。明治維新で宝蔵院は廃寺となったものの、薬師堂は残され、廃仏毀釈が行われた時代背景で貴重な揃いです。

薬師三尊は本尊の薬師如来と脇侍の日光菩薩・月光菩薩であり、人びとを病気から救うとされます。また十二神将は十二支と結びついて薬師如来を信じる人びとを加護するとされます。十二神将像は江戸時代半ば過ぎから定型化するの形であることから、中里新田開発後の江戸時代後半に、中里地区の人々の信仰を集めて制作されたものと考えられます。多くの市民の寄付金や市の文化財保護補助金制度(1千万円)を活用し、平成27年より5年間かけて毎年3体ずつ像の修復を行いました。三尊像は厨子(ずし)に、神将像はガラスケースに入れて地元住民が守り、年に1度、2月11日にご開帳して公開してきた。15体が修復されては初の御開帳となりますので、ギャラリートーク(無料)の日程でいらしゃると、更におススメです。


posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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