世界比較して見ると女性議員の割合(衆議院での女性は現在47人)は世界で日本は158位(2018年4月1日現在)。OECD=経済協力開発機構の35の加盟国では最下位。地方では、女性が1人もいない市町村議会が全体の2割に上る。
政府は、2010年の第3次男女共同参画基本計画で、国政選挙の女性の候補者の比率を2020年までに30%にするという目標を掲げている。2018年5月、国会では「政治分野における男女共同参画の推進に関する法律」が全会一致で成立した。この法律は、国政選挙などで男女の候補者の数が、できる限り「均等」になることを目指すもので、女性議員を増やすことを目的とした日本では初めて制定された。選挙や議会活動は、体力があり、24時間、仕事に没頭できる人でなければ、やりにくいという現状はある。しかし、議員に当選してみても、議会の中での議論では、本当に社会のニーズを反映した政策の実現は期待できないと感じて、首長に立候補する女性が各地に出て当選している状況がみられるようになっている。
東海⼤学政治経済学部の辻由希准教授は、「2000年に入って、⼥性⾸⻑が少しずつ数が増えてきている」という。これまでの傾向について、どちらかと⾔えば、ゆるやかな市民の連帯という形で選挙戦が展開されやすい都市部に多いと説明する。このところ地方で続いた若手女性首長の誕生について、「高齢化、人口減少の中で、『自治体消滅』の可能性まで指摘されるようになり、『このままではまずい』というのが一般常識になった。新しいアイデア、新しい人材で何かを変えようという意識の表れと見ることもできる」と分析している。
◎桑原悠、31歳の全国最年少町長。
2011年(平成23年)3月12日、当時学生だったが、東日本大震災の翌日に郷里の長野県北部地震が発生。津南町は震度6弱を計測。郷里の惨状を見て町議会議員選挙に立候補することを決意し、10月30日に行われた町議選初の最多得票でトップ当選を果たした。25歳で当選したことが話題を集める。多数のマスコミが取材に入り、桑原議員の動きをカメラが追った。同年12月26日発行の『AERA』の特集「アエラが選ぶ日本を立て直す100人」に選ばれる。彼女の当選は限界に直面した地方の、生き延びるための選択が形をとったものなのかも知れない。
早稲田大卒業し、2012年(平成24年)を東京大学大学院修了。「消滅可能性都市」という言葉を全国の自治体に突きつけた増田寛也が、東大客員教授となった時期に、知縁をえた。こうした環境で「公共政策」を学んだ彼女は自治体の運営に興味を持った。増田は政治家であり研究者として日本社会に衝撃を与え、自治体は「人口減少社会」に真剣に向き合うようになった。町は長野県との境にある山あいにある、全国でも有数の豪雪地帯。「平成18年豪雪」の際には、4メートルを超える積雪で集落が孤立し、200人近くが閉じ込められた記録がある。ブランド米とブランド野菜で農業が主幹産業の町は、全国で市町村の合併が相次ぐなか、合併の選択をせず、自立の道を選んだ。ところが、昭和30年に2万人を超えていた人口は、半分以下の9800人にまで減った。
2015年(平成27年)、再選。同年、副議長に就任。町議時代に養豚業を営む男性と結婚、二人の子供を出産。最近、議員の産休は大きな議論になるが、夫の両親、祖父母と4世代8人で暮らし、「家族のサポートを得ながら働くことができるのが私の強み」と語る。子育て世代が働ける環境は、当然あるべきだと考え、わが子が使ったベビーベッドを役場に持ち込んで使ってもらおうなどと、高齢化の著しい地域で子育て世代が意見を言える雰囲気を作りたいと奮闘。町議会での産休制度も創設。いくつものハードルを越えていったが、14人の町議の1人では権限に限界がある、であれば…町長だ。
2018年(平成30年)3月19日、新聞社の取材に対し、任期満了に伴う津南町長選挙に出馬表明。「衰退の雰囲気が漂う町で子どもたちに育って欲しくない。65歳以上が4割を超える生まれ故郷の新潟県津南町だから、あえて責任を負う道を選んだ。「いま立ち上がらなければ、手遅れになる」この強烈な思いが、駆り立てた。「子育て中で、人生経験も浅い自分に有権者は不安を持つだろう」とも考えたが、しかし、同年6月24日に行われた町長選に自由民主党津南支部、津南町建設協会、現職の上村憲司町長などの支援を受けて立候補。元町議2候補をわずか192票差となるが初当選。7月9日、町長就任。現職では全国最年少町長となる。
※当日有権者数:8,416人 最終投票率:77.78%(前回比:−0.46%)
◎石山志保、44歳。福井県内、北陸3県で初の女性市長、全国で2番目に若い女性市長だ。
出身は愛知県安城市なので、大野市は地元ではないが、夫のふるさとだ。社会人の採用枠で、市役所に就職した。結婚を機に環境省を退職し、2005年に大野市に移住し。東京大学工学部卒業し、環境省に入省。国立公園の自然環境保全などに従事。2005年(平成17年)3月、同省を退職。同年4月、大野市役所に入庁し、文化財保護室次長に就任した。2018年(平成30年)2月28日、大野市役所を退職届を出すと。同年3月28日、任期満了に伴う大野市長選挙に立候補表明。6月17日に行われた市長選で元市議の高田育昌との一騎打ちを制し、初当選を果たした。当日有権者数は2万8511人。投票率は61・40%だった。
「今どき女性ということは売りにならないし、今も売りにはしていない。ただ、女性目線や女性らしさという部分に期待してくれている人もいるかもしれない。そういう声には応えたいと思っている。加えて私は若いし、市外の出身という特徴もある。こうした今までとは違う点を街づくりに役立てたいと考えている」とインタビューに応えていた。
大野市は「名水のまち」であり、大野城は城の周囲を雲海が覆う「天空の城」で城下町の面影が残り、自然も豊かだ。これらの有力な観光資源は、地元や西日本では知られているが、首都圏での知名度は今一つであるのが現状だ。新幹線延伸や中部縦貫道の開通は首都圏に売り込む好機。市長のトップセールス力が問われるので、官僚時代の人脈などをどう生かせるかだろう。
参照HP:https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/3670.html
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