そこで、「あっちこち活動日誌」令和改め「あちこっち活動日誌」の検索ボックスで検索をかけてみた。
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カッパと我孫子の祭りの歴史を調べてみようと、芥川龍之介が我孫子に来て河童のスケッチをしていった際の原画を田畑文士村記念館に調べにいったり、牛久市のカッパ祭りの見学に行くなど、分担を仰せつかり各所に行っては報告した。地元大の学生もボランティアに誘い、女子大生が着て盛り上がったが、私には先生から女子学生もいるのでアルコールに誘うのは注意してくださいとか頼まれたりしてお目付け役になったが、彼女たちのパワーは頼もしかった(一人は、2011の被災の年、福島に戻り、観光協会に就職した)。ある時は、外国人の参加も広げようと相談されて、国際協会に話をもっていったり、知人のつてで外国人のバンドにも参加してもらって華を添えた。今回は拙ブログで英語でカッパ祭りの案内文を掲載した、何人か外国人と分かる姿が目に出来て、ひょっとしてブログの効果かしらと・・・・。
海津にいなは、この実行委員に加わった女性の中にキモノでくる目立ったお二人に羨望のまなざしを送った。それが、我孫子市内で活動する「キモノ愛好会」の発足にもなり、メンバーになったお陰で、一人でもさっとキモノが着られるようになった。その女性の一人が、カッパ祭りの浴衣デザインをした方だった。最初期から揃いの浴衣で、我孫子カッパ祭りとしては由緒ある浴衣だが、今や結構レアものなので「いいですねェ、今でも手に入るの?」などと聞かれるほどだった。
6時ごろから、竹灯籠にライトが灯った。
思えば、竹宵を市内でも広めたいと活動を始めていた女性たちが、翌年の震災の年に市内で義援金募金につなげ、カッパ祭りでは駅周りに竹灯籠をおいてロウソクに着火、火災事故に気をつけようと話し合って、みんなで消灯も確認するなどしていた。それから、回を重ねて、灯篭はの製作はアート活動さながらに見事な出来栄えで、照明はLEDで様々な色合いが楽しい。インスタ映えするようで、写真を撮る姿をあちこっちで目にした。
後援坂を下り、手賀沼公園にやぐらを組んだ折には、翌朝のやぐら、提灯の撤去にもボランティアに行ってみて、実行委員会の中心になっている方々が見えぬ裏方作業をきちんとやってこられて賑わいが継続しているのだと感じた。普及活動の缶バッチ造りにも参加したし、ある程度若くないとできんよという力仕事、緊急作業もある。彼らの最初の目論見の一つには、我が子にも自分たちが子供の頃に体験した「我孫子カッパ祭り」の楽しさを味わせたいとのことだったかと覚えているが、もう一つは我孫子の賑わいづくりで人を呼び入れる我孫子の魅力づくりにしていこうとのことだった。これまでの中で事故や救急車の対応だってあったようだが、場所を縮小し、かえってエリアが集約されたことで凝縮した賑わいの演出になって成功だった。いくつか市内の夏祭りを見てきて、やめるところあり、共済するところあり、継続の難儀を訴えるところもありとの状況を知って、改めて続けられることの意義を考えた夏だった。