2019年08月24日

ザ・ピーナッツ

小泉進次郎代議士と滝クリの電撃結婚が連日テレビで報道され、それまでに北朝鮮のミサイルや韓国の日本製品ボイコットなどのニュースが中断していた感じの間であった。これで思い出すのが、山口百恵×三浦友和の結婚、さらにもっと古い話になるがザ・ピーナッツの伊藤エミと元ザ・タイガースの沢田研二との電撃結婚報道(もっともその後1男も生まれていたが、離婚、再婚)だ。

NHKの番組の再放送で、朝ドラのモデルとなった作曲家・古関裕而の話題がされて、映画挿入歌『モスラ』を紹介していたので、小人のふたご姉妹役で歌う姿も面白く、実はインドネシア語での歌詞で平和な世になってモスラが怒りを納めるように祈ったのだと解釈があって、感心した。それまでの演歌や歌謡曲になかったふたごのシンガーは新たな歌謡スタイルのスターであった。



二人は2年生の時に高校を中途退学し、主に名古屋市内などで「伊藤シスターズ」名義で歌っていたところを、1958年に同市内のレストランにて渡辺プロダクション社長の渡邊晋にスカウト、1959年にデビュー。それからの活躍は目覚ましく同年6月17日から1970年3月31日までフジテレビ系の歌謡番組『ザ・ヒットパレード』のレギュラーに抜擢される。 1961年6月4日から1972年10月1日まで日本テレビ系の人気バラエティー番組『シャボン玉ホリデー』でメイン司会を務め、「歌謡ドラマ」にも率先して参加した。日本国外でも活躍し、『エド・サリヴァン・ショー』(アメリカ)や『カテリーナ・バレンテ・ショー』(当時の西ドイツ。現・ドイツ)、『ダニー・ケイ・ショー』(アメリカ)にも出演したことがある。『夜のヒットスタジオ』に40回に渡り出演。

1975年2月18日にて記者会見を開き、現役を引退することを表明した(当時の芸能界で女性が結婚する場合は引退を意味するので、沢田研二との結婚については、1972年頃より渡辺プロダクションとは検討していた)。1975年(昭和50年)、引退前最後の出演となった3月31日放送では番組史上初の「サヨナラ」企画が組まれ、ハナ肇、坂本スミ子、伊東ゆかり、中尾ミエ、こまどり姉妹ら歌手・タレント仲間が数多く駆けつけ「情熱の花」や「心の窓にともし灯を」など計4曲を熱唱した。

和製ポップスを海外公演などによって世界に広めた功績は大きく、特に当時の東西両ドイツやイタリアでは、日本の歌手といえば即座に「ザ・ピーナッツ」と連想されるほどの活躍ぶりも高く評価された。また、各国での出演もあって、ファッションセンスも抜群で、妹のユミが引退後にデザイナーになっていたことからも伺える。

世田谷のハナ肇宅の隣に100坪の豪邸を建ていたので、ハナ肇が1993年に他界する直前にはハナの弟子であるなべおさみと共に看病に当たっていたという。伊藤姉妹は同じ屋敷に家族と共に暮らし、ハナを見舞うたびに笑顔で「いつも済まないねえ」「おとっつぁん、それは言わない約束でしょ」と『シャボン玉ホリデー』のコントのセリフを繰り返していたという。

参照:ウイキペディア
posted by Nina at 16:22| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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