2019年07月27日

幸福なる咲き方

幸せというものは、多くを持つことによって得られるのではなしに、
今持っているもので満足することで得られるものです。
今ある状態に幸せでないと感じるまでは幸福は得られません。
たとえば、不本意にも 貧乏であれば、その中で幸福な貧乏人になればいい、
それを初めから貧乏はダメだと決めつけ、金持ちになろうと焦るから不幸は始まる。

今の日本の平等主義は、個々の役割をわからなくし、自分の生き方を見えにくくしているのではないでしょうか。
自分の努力のほかに、大勢の縁の下の力や支えがあってこそ成功したんだという感謝の気持ちが湧かない。
失敗した人、成功できなかった下積みの人たちのことを、あれは努力が足りないからなんだと蔑む。

舞台で 主役は一人しかいない。誰もかれも主役になれる訳ではない。
だが、主役を支えるわき役がいて、通行人もいれば、音楽の担当もいて、衣装係もいて、幕引きもいる。
それぞれが、一人ひとりの役割を演じるからこそ、舞台は成立する。

わき役の人は、わき役という役割を、今生で与えられ、通行人の人は、通行人の役を与えらた。
今生において、その役割をまっとうできない人は、次回、役割が上がることはない。
だから、与えられた役割を真剣に死に物狂いで演じる。

それが、一瞬一瞬を懸命に生きるということであり、「置かれた場所で咲く」ということ。
与えられた役割を懸命に演じたい。
花壇の中央に咲く薔薇にだけ目を留めるでなく、山路の隠れた場所に咲くスミレに憩う人もいる。
どちらも美しく咲いている。

----ひろさちや の言葉より
ギリシア語で愛するを意味するPhilo(フィロ)と、サンスクリット語で真理を意味するsatya(サティヤ)の造語でのペンネームを持つ仏教哲学者

posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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