今どきは「老人」とは言わない「シニア」というようになったけれど、人はいつか皆天国(地獄へ別として)に行くことになり、それまでの年月の若い一瞬を青春と呼んだりするわけだ。いつから青春というのかは、人によっても違う。たぶん、”I Wanna Hold Your Hand” という気分が芽生え、そういうリズムにハマリ、そういう音楽に共鳴する時期を「青春」というのではないかな、と思う。
1964年、東洋で初めて開催の東京オリンピックの後、米国で人気の若きケネディ大統領が冷戦下の抗争、キューバ危機をかわしながら、しかしパレードの中継中に暗殺されるという暗いムードが蔓延していた、それをかき消すかのように英国から若者文化の旋風が巻き起こった。その台風の目の中心がThe Beatlesで、来日したのが1966年6月29日だった。私の青春は、きっとその2年後にJohnとPaulが妻子ある人と交際してるとかにヤキモキして、そしてついに結婚したとかいうニュースに落胆して、英語の勉強に身が入らなくなって、もっと早く英語が上手くなっていたらなどと、Yesterdayを歌うだけだった。
それまで真面目な小学生だったので(!)、りっぱな音楽とは音楽室で接する西洋音楽だと感銘していたのであったものの、なぜかラジオから流れる英語の歌に、彼らのハーモニーが素晴らしい曲に耳が反応した。当時に英語が分からないのに、一緒に歌えるようになりたいとテープに録音して一生懸命にYesterdayの歌詞をカタカナで書きとっていたのを覚えている。それから、高校生になっていた頃には渡辺音楽事務所のオーディションを受けにいったこともあった。ダンスの振り付けを教えられて即興でその振付でリズムに合わせてダンスをするテストや、得意な歌を歌えというので”Those wete the Days"を歌って、そして合格通知がきたけれど・・・。当時は美術に進むかなどとも考えていたから、内緒で受験したのはいい経験に留めて終わった。
当時の彼らが「レボリューションNo9」を含めて発売した通称”White Alubm”は真っ白なレコードジャケットの二枚組だった。その時代は全学連の学生運動が社会に蔓延していた。大学生の先輩が新聞部に来ていたり、校門の前でチラシを配るようになったり、ついには学校の授業を中止させる放送室占拠、教員室封鎖、ハンスト、3年生は卒業式も出来ないようなことになり、授業がなくなって制服廃止だの、カリキュラム見直しだの、クラスで話し合って、制服は着なくていいことになり、受験対策なども学校は取りやめ…。そんな時には、ストーンズとビートルズと、モンキーズのTV番組を見ていたように思う。若いために悩み多く大変だったけど、それも青春だから「いいね!」なのかもしれないと今に思う。それって、年を取ったから言えるわけで、当時は山ほど解けない大きな問題だったわけでした。
つづき