2019年05月02日

タイ、新国王の戴冠式

タイのワチラロンコン国王(ラーマ10世)は16年10月のプミポン前国王の死去を受けて即位。4日に戴冠式が予定されており、それを前に王妃を正式に決めた様ですが、不敬罪が厳格に(特に、現在の軍事政権にあっては体制維持の政治手段としてこれまでになく厳しく)適用されており、国王に関する話題を口にすることや、ネットなどで表明することは厳しく制約されています。

プミポン国王に対する国民の敬愛は、ひとつにはそうした社会で醸し出されたものではありますが、それだけではなく、国王自身の資質や、精力的に地方視察を繰り返し「開かれた王室」を実践したきたこと、また、政治的危機を乗り切る調停役をはたしてきたことなど、長年国民とともに生きてこられた年月が培ってきたものでもあるでしょう。

プラユット暫定首相が2016年の前国王死去を受けて、テレビ演説で皇太子が即位すると明らかにした。2014年のクーデター後に制定された暫定憲法によると、内閣の通知を受けた暫定議会議長が議会を招集し、皇太子に即位を要請。その後、国民に公示する手順になった。この間、現軍政は、皇太子への王位継承をにらんだとみられる動きを進めてきた。
 
ただ、プラユット氏は皇太子に拝謁後、記者団に皇太子が「国民と共に哀悼する時間を持ちたい」と、即位を遅らせるよう求めたと述べた。チュラロンコン大のチャイワット・カムチュー教授は「悲しみに暮れる国民感情があるので、王位継承を急がず、時間を置くのはよい判断だ」と話す。しかし、王位継承をめぐっては国民に人気の高い次女のシリントン王女(61)を推す声もあったとされる。軍、政府内部は一枚岩とは言えず、別の政治学者は「『シリントン派』を警戒する皇太子周辺にとって王位継承まで空白期間が生じるのは得策ではないはずで、意図が読めない」と言われた。
 
ワチラロンコン皇太子は1952年にバンコクで生まれた。英国の高校、豪州の陸軍大学を卒業し、75年に陸軍情報局の軍人として公職に就いた。90年11月に天皇陛下の即位の礼が行われた際に来日したこともある。ただ、海外に滞在することが多く、王室関係の行事ではシリントン王女の方が存在感を示してきた。皇太子は女性スキャンダルが伝えられ3度離婚した。

皇太子の常軌を逸した行動の数々に、不安を感じている。2001年、皇太子妃(当時、3人目スリラスミ)は、王族のメンバーを集めて30歳の誕生日を祝うパーティーを開催した。スリラスミの隣に鎮座するのは、誕生ケーキと「空軍大将フーフー」という名の白いミニチュアプードル。なぜ犬がタイ空軍から大将の称号を得たかは謎だ。この奇妙でハレンチなヌードパーティーは、2007年にビデオ動画が流出して暴露された。皇太子の将来の王位継承を阻もうとする抵抗勢力が動画をリークした。ウィキリークスが公開した外交公電によると、駐タイのアメリカ大使ラルフ・ボイスは、パーティーのビデオが流出した数カ月後、大使公邸で開催したパーティーに皇太子夫妻を招待したが、その時も2人はフーフーを連れてきた。 「フーフーは、イブニング用のフォーマルウェアを着て、4本の足にソックスを履いてパーティーに参加した」と、ボイスは書いている。「バンドが2曲目を演奏している間、フーフーはテーブルの上座に飛び乗り、ゲストに出したグラスの水をペロペロとなめ始めた。私のグラスもなめた」とも報じられてきた。フーフーは昨年2月に17歳で亡くなり、伝統的な仏教式の葬儀の後に火葬された。しかしこの時には、スリラスミは王室から消えていた。

皇太子は14年にスリラスミと離婚し、王室は彼女の所持品を持ち出し禁止にした。スリラスミの親族には汚職の容疑がかかっていた。そして皇太子は、既にタイ航空の客室乗務員を4人目の皇太子妃に迎えるつもりでいた。タイの英字紙ネーションによると、スティダー妃は40歳。タイ航空の客室乗務員を経て、国王が皇太子だった2014年に皇太子の護衛部隊の責任者となり、16年12月から国王の護衛部隊の幹部を務めてきたという。いまとなってはフーフーの流出動画も3度の離婚も、皇太子の数々のスキャンダルの一握りでしかない。5人目の女性と関係をもっていた。ともあれ、タイ政府は戴冠式を前にした5月1日、ワチラロンコン国王(66)が軍に所属するスティダーさんを王妃に迎えたことを明らかにした。

プミポン前国王は、国民からの尊敬されて18歳の即位から88歳で亡くなるまで国王の座にあったいた。プミポンは1946年に兄王が銃殺されたことを受けて即位。以降は静かな芸術家肌の人柄と、社会改革を志向してタイ都市部の発展と中間層の形成を促した功績で知られている。また必要以上に政治に介入しない方針も貫いた。タイ国民の多くは、皇太子の妹のシリントーン王女の即位を望んでいた。遊び人の皇太子と違って王女は未婚を通し、プミポン国王の様々な事業を支援しながら、王女もまた政治とは距離を置いた。

国民が恐れているのは、皇太子がプミポン国王の遺産、特に政治に介入しなかった方針を継承する気がなさそうなことだ。タイでは14年の軍事クーデター以降、軍政が続いている。皇太子が常軌を逸した行動で、軍政ともめ事を起こすのではないかと懸念されている。

例えば2001年、皇太子は当時のタクシン首相から豪華なスポーツカーを贈られた。今年7月には、ドイツ・ミュンヘンの空港に、ヘソ出しシャツにタイトジーンズを穿いて、上半身にはタトゥー風のペインティングを施して飛行機から降り立った、その余りに異様な姿で周囲を唖然とさせた。なお、“ヘソ出しタトゥー”写真は、ドイツ大衆紙ビルトに掲載された、元ロイター通信記者でタイ王室に批判的な著作で知られる英国人アンドルー・マクレガー・マーシャル氏によるものですが、首都バンコクの実家にいたタイ人妻を連行しました。タイ警察は、写真が「改ざんされていた」と主張、その後、妻は無関係と判断し数時間後に釈放。それでもタイの映画館では、上映前に、全員が起立するという国王への敬礼と国歌斉唱がなければ映画は始まらない。更に、街中でも毎朝8時と夕方6時に賛歌が流れ、何をしていても立ち止まって国王に敬意を表すという、日本とは全く異なる社会環境にあります。タイ国内で王室に関する話を公言すると不敬罪で逮捕されます。
したがって、軍事政権が「次はワチラロンコン皇太子が」と決めたなら、そうなるのであって、プミポン国王時代のような王室と国民の関係が維持されるのかどうかは、不透明です。

なお、これもタイ国内では公言できない話ですが、プミポン国王が即位することになった、1946年の兄・ラーマ8世の死については、“深い謎”があるとされていたのが、今はウィキペディアなどで分かります。 過去を振り返って、タイ王室の継承は必ずしも順調ではなかったのです。

つづき
posted by Nina at 00:00| 千葉 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ
日記(3393)
ニオュ(0)
歴史(0)
chiba(60)