2019年05月01日

割り箸という文化論争

これまで割り箸の消費量は、外食・中食産業の台頭やチェーン店の成長に伴って増え続けてきた。増える需要に応えてきたのが中国産割り箸であり、中国産割り箸がこれほどに伸びてきたのは、私たち消費者の側にも一因があると言ってよいだろう。割り箸は単に経済のグローバル化を象徴しているだけでなく、私たちのライフスタイルに密接に関わる問題なのである。幸い、割り箸使用の是非に関して注目が多いだけに、割り箸を通じた取り組みも多く見られる。割り箸は多くの人にとって身近であるため、割り箸を通して何か人に訴えかけるには十分な可能性を持っている。

資源保護の観点からは「良い」割り箸と「悪い」割り箸があるという形で認識されるようになってきたようである。「割り箸は端材を使って作られるから森林を破壊していない」と信じている人は今でも多いのではないだろうか。環境問題という切り口から割り箸を眺めることで、中国の森林を日本が食いつぶしているという現状を認識することにつながってくる。中国産の割り箸は1990 年代に、国産箸や他国からの輸入箸を市場から駆逐していった。中国製の割り箸が急速にシェアを伸ばした。安価であったから、日本国内での需要拡大に対応して生産量を増やせたからである。しかし現在は、中国でも環境破壊が顕在化する中で森林資源の回復政策へと方向転換をしており、緑化事業や植林事業が熱心に行われている。輸入量における両者の比率は正確にはわかっていないが、竹箸が全体の15〜30%くらいだと推定されている。木製の割り箸は主に中国の北方で作られ、竹製の割り箸は中国の南方で作られている。竹割り箸はかつて九州の南部において生産されていたが、中国での技術向上にともない、国産の竹割り箸の製造業者は中国産に押され、ほぼ廃業したといわれている。

文化的観点からみると、日本国内における商業的に本格的な割り箸生産は、江戸時代から明治時代初期の間に奈良県下市町で始まったといわれている。1970 年代に輸入が始まるまでは全て国内で生産されていた割り箸は、1980 年代には輸入割り箸に押されて生産量を激減させ、1990 年代にはほとんどが輸入割り箸に取って代わられるようになったのである。

文化との関係については、1984 年の論争では割り箸は文化的に重要であると主張されていた。これに対して逆に使い捨て文化との関連から批判がなされるようになる。例え森林破壊にならなくとも使い捨てというライフスタイルは問題でありそれを見直すためにも割り箸を止めるべきではないか、何十年もかけて育った木からできたものをたった数十分の使用で捨てて良いのかといった主張がなされるようになってきた。伝統工法による家内工業生産が割り箸生産の中心だった歴史や固有性という点から擁護されたのに対し、使い捨て文化への批判という点から非難されたのである。

経緯を追ってみると、1999 年11 月から、輪島市は市内のごみの減量と地場産業である輪島塗の振興を目的として「ノー割りばし運動」を開始した。具体的には、市職員の割り箸使用を自粛し、塗り箸を持参するなどの取り組みを行っていた。運動は市役所内にとどまらず、国や県の出先機関にも広がった。

すると、2000 年1 月に、吉野製箸工業協同組合がこの取り組みを知り、業界の危機として受け止め反対運動を行った。具体的には、2000 年1 月25 日に輪島市の市長に対して、吉野割り箸の伝統的な製法を承知しているかといった点や運動の経緯について質問状を送付した。

最終的には、2005 年1 月27 日に組合の理事長や吉野町の助役らが輪島市を訪問し、意見交換を行い、伝統の「はし文化」の共存共栄に向けて話し合いを続けていくことで一致した。
また、「ノー割りばし運動」の名称の変更も行われた。さらに、吉野産の割り箸に漆を塗った漆塗りの割り箸を輪島市が製作するなどして論争の決着と連携強化が図られた。

「はし文化」の名の下に割り箸論争がおき、両地域の共存共栄を図っていくとなったため、ごみ減量というポイントは後退していった。しかし、改めて割り箸生産の課程を知り、それが一回の使用で廃棄されるゴミとなるなら、資源として回収、再利用することは望ましい。自治体は、最終処分場を持たないケースが多いので、割り箸の回収を検討すべき時期だろう。

posted by Nina at 00:00| 千葉 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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