2019年02月21日

「タダでもいらない不動産」の増加

 住宅ジャーナリストの榊淳司氏は、今や日本の不動産の8割から9割は、ほぼ換金価値がなくなっているという。たとえ日本の首都である東京であっても、遠隔の郊外に行けば「100万円でも買い手がつかない」と判断できる古屋=空家を見つけることができる。あと10年もすれば、かつてのニュータウンの老朽マンションも、そういうカテゴリーに入ってくる可能性がある。日本の大半のエリアでは不動産の「無価値化」が進む一方で、ごくごく限られた場所では狂乱の「局地バブル」となっている。そんな歪な不動産市場は不健全だと警鐘を鳴らす。

  この国における土地の価値は農業が原点だった。不動産=土地から米を始めとした農作物という価値が生まれることで、その土地自体の経済価値が発生した。日本の不動産=土地に対する需要は、この20年で著しく減少したと言える。それが遠隔郊外や地方の不動産の「無価値化」につながっている。昭和50年代生まれ以前は、それこそ命をかけてマイホームを獲得しようとした。「不動産の価値は必ず上昇する」という、いわゆる「土地神話」や「地上げ屋」までもうまれた。35年ローンという、今の価値観で見れば信じられないような長期間の金融的な拘束を受け容れてでも、マイホームを購入しようとしたものだ。しかし、団塊世代ジュニア以降は少子化の一途、受け継ぐ世代が減少して持ち家の必要性は変わってしまった。現状で、35年ローンでマイホームを購入しようとしているのは、都心部に生活拠点を求めるほんの一部の給与所得者だけになってしまった。それ以外に生活拠点をもつ大多数の日本人にとって、贅沢さえい言わなければいまや住宅はタダ同然で手に入る状態になってきているたのだ。これはまさしく、日本という国で稲作が始まり、親の代から受け継いだ田畑、土地に対する価値を見出してきたことからの大転換ではなかろうか。

 人口自体は減少し続けている。結婚した二人が二人を生むという一定のパターンが崩れ、結婚しても子供が一人であったり、子供がいない夫婦、シングルのままという生き方も増えている。さらにインターネットの普及により物を売る店舗の必要性が減少した。物を作る工場などの設備も、世界の工場と化した現代中国の出現によって必要性が薄れた。もとより、食料を生産する農業の必要性も、貿易の自由化によって縮小してしまった。このようにして日本全体であらたに土地を求める需要が著しく減退した。
 
 私たちがよく使う「一生懸命」という言葉は、誤用から生まれた。元々は「一所懸命」なのだ。意味は、「ひとつの不動産を得たら、命をかけても守り抜く」ということ。それが、日本人が持っていた不動産に対する伝統的な価値観だった。今は、日本人の「一所懸命」というDNAの呪縛を脱する、産みの苦しみの時期かもしれない。不動産の健全な維持が出来て、地域、国土が保たれる。地上げ屋の横行、行き過ぎた土地投機は土地を担保にしている金融機関のバランスシートもおかしくなるのに、政府は打つ手を行ってこなかったおかで日本の経済基盤が地すべりした。土地が無価値になるなどを見過ごさず、土地を荒廃させぬよう積極的な手立てをすべきだ。


参照HP:https://www.iza.ne.jp/kiji/economy/news/180513/ecn18051315060006-n1.html
       Newsポスト(2018/5/13)


 
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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