三浦雄一郎の80歳でエベレスト登頂した世界差高齢記録を持つが、そ父の敬三も山岳スキーヤーで、88歳の時には、アルプス・オートルートの完全縦走を果たす。99歳(2004年2月)にはモンブラン山系のヴァレブランシュ氷河からのスキー滑降を成し遂げ、同年9月にはスポーツ振興への貢献により内閣総理大臣表彰を受けた。富士山より高いモンブラン山系のその場所へはシャモニよりロープウェイを2本乗り継ぎ、一気に山頂に着くことができるスキーリゾート地だ。100歳では、アメリカのスノーバードで、親子孫曾孫の4世代での滑降を行い、話題となった。故郷の八甲田山をこよなく愛して、地元の振興にも尽力しいてた。2006年1月5日、多臓器不全のため101歳で死去(その後半生は青森を離れ東京で生活)された、
青森市は世界の豪雪都市ランキングの一位になるほどで、八甲田山からの湿気を含んだ寒気が雪を多くもたらすと言われる。雄一郎の話によると、父の敬三は山スキーシーズンであるゴールデンウィーク期間には必ず酸ヶ湯温泉に訪れ、山スキーを楽しんだと話している。敬三が海外でのスキー滑降をしたのは還暦を過ぎてからで、70歳の時にヒマラヤ、77歳でキリマンジャロを滑降していた。
こうした父の影響があって、プロスキーヤーとなっていた雄一郎は1966年4月、33歳の時、だれも成し得なかった富士山での直滑降を成功させ、各方面から注目される人となった。この時ブレーキとしてパラシュートを使用した映像から、後にパラグライダーが開発された。1970年5月にはエベレストのサウスコル8000m地点からの滑降(ギネスブックに掲載)を成功させ、その映像が『The Man Who Skied Down Everest』(「エベレストを滑った男」)というタイトルでドキュメンタリー映画化され、アカデミー賞記録映画部門で賞を獲得した。更に、最近ではエベレスト登頂の世界最高齢(80歳。その以前の登頂も合わせるとエベレスト登頂は三度目)の記録を打ち立てたことで知られる。今年、三浦雄一郎は、現在86歳で南米最高峰アコンカグアへの登頂に挑戦していたが、高度6,000メートル付近のキャンプに2日間滞在して、同行していた医師からドクターストップとなった。
三浦の80歳での登頂成功については、ネパール人登山家・ミン・バハドゥール・シェルチャンが、その前の最高齢記録(77歳)の登頂成功者だった。その雄一郎の記録を追い越すためシェルチャンは81歳で登頂を試みたが途中で胸痛が出現し、5月28日に断念。再度、85歳でのエベレスト登頂を目指したが、2017年5月6日にベースキャンプで帰らぬ人となった。実は、76歳のシェルチャンがエベレスト三浦が75歳でエベレストに登頂した2008年5月26日の直前に登頂をして、三浦とは最高齢記録を更新するライバルだった。シェルチャンは正確な記録を証明できずにいた為、翌年の2009年11月23日に正式な書類を整えると、三浦の登頂最高齢記録を書き換えた。それから三年後の2012年10月に三浦は記者会見し、80歳になる2013年春に3度目のエベレスト挑戦すると発表し、見事、登頂に成功した。
三浦雄一郎の長男の雄大は競技スキーヤー、次男の三浦豪太リレハンメルオリンピック・長野オリンピック出場したフリースタイルスキー・モーグル選手、医学博士で登山家でもあり、エベレストの登頂していため、80歳登頂にも同行していた。長女の三浦恵美里はクラーク記念国際高等学・横浜青葉キャンパス校長。
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