韓国政府は1992年に国連地名標準化会議で日本海の呼称に異議を唱えて以来、国際社会で「植民地支配の結果広がった」などとする主張を繰り返してきた。2017年4月にモナコで開かれたIHO総会。日本が外務省などから約10人を派遣したのに対し、韓国は外交省や海洋水産省の職員や有識者ら約30人を送り込んだ。
韓国は東海をPRする展示ブースを設け、モナコ元首ら海外要人を多数招き、併記の必要性を訴えた。結局、この総会で、60年以上不変だった指針「大洋と海の境界」改訂の是非について、関係国が非公式に協議し、次回総会(20年)で報告されることが決まった。日本海の呼称問題を巡り、国際水路機関(IHO)が世界の海洋名を記した指針改訂の是非を韓国と協議するよう日本に求めていたことが明らかになった。韓国は東海の併記を目指し、国際社会で官民挙げて攻勢を仕掛けており、今回の動きもそうした流れの中にある。
そこで政府に連動する民間団体の会員らは各国の地図や学校教科書、メディアの記事などをチェック。日本海単独表記があれば是正を求めるメールを送りつけている。韓国の09年の調査では、世界の地図の約28%が東海を併記しているという。
日本では国立歴史民族博物館が、日本海という呼称の議論は、まずは呼称の歴史的事実を冷静に見極めるべきと論じている。今から400年前、つまり韓国併合の以前に、イエズス会のイタリア人宣教師マテオ=リッチが作製した『坤輿万国全図』には、すでに漢字で「日本海」と記載されていた。日本海との呼称は、西洋から日本に輸入されて普及したものだとの説明である。しかし、この時期には、むしろ中国海や朝鮮海という呼称も少なくなく、必ずしも特定の呼称に定着していたわけではなかった。ところが、18世紀末以降になると、この海域の呼称が日本海という呼称に収斂されていくようになるのである。 日本でそれを最初に記載するのは、蘭学者山村才助が1802年に作製した『訂正増訳采覧異言』付図である。これ以後、蘭学系地図を中心にようやくこの呼称が使用されるようになる。蘭学系地図のこうした動きは、前述のように、それらが原図とした18世紀末以降の西洋製地図が日本海という呼称を広く採用していたからにほかならない。
つまり、日本海という呼称は西洋より「輸入」されたのであり、韓国併合の際に日本がつけた名称ではないので、36年の植民地支配で朝鮮人が日本人名を名乗らせたという不当な扱いの一つだと、海峡の呼称も「東海」を「日本海」と変えさせられたとの誤認がおきたようである。
参照:https://www.spf.org/_opri/newsletter/55_1.html
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