2018年10月24日

「女・子・高・生」の時代に

女性議員の立場からお話しして欲しいとのことで熱心な我孫子市民を含む多方面の方たちが参加する会に伺いました。都内で行われたサロン集会に参加して、時間は夕方6−9時でしたが、9時を軽く過ぎました。

湯島サロン 10月.JPG
正確には「女・子・高・生」つまり「女性・子ども(若者)・高齢者・生活者」が政治を変えていくというテーマでした。
宇部市での実践的な女性市長を選出するという取り組みの中で体験的に女性や若者のパワーを実感し、経験的に「女・子・高・生」への期待が高まったそうで、最近はやりの「女性活用の発想」などとは全く違ったものだと、話の中でも強調されていました。

最近の女性活用などの掛け声は、政治のみならず経済の分野でも広がっていますし、制度面での整備は進んでいますが、上滑りなものも多く、実体はむしろ逆行ではないかと思うようなものもありますが、今回の宇部の実践は「男からの発想」で女性政治家を活用しようとの面白い話でした。

参加者の中には、30年以上前から女性議員を増やす活動に取り組んでいる松戸市の市会議員の中田さんをはじめ、市議や県議として今の政治を変えていこうと健闘されている2人の女性議員たちも参加(うち一人が海津)でしたが、残念ながらまだまだ「昭和の男性」たちが中心になっている地方政治の現実は変わってきたとは言えないのです。

女性市長のいる横浜市の行政職員が参加していましたが、市長が女性になったら変わってきたというお話がありました。
そういう意味では、女性議員が増えたり、首長に女性がついたりすることが、政治を変えていくことにつながっていくことはたしかですが、宇部市もそうやって女性市長になったものの首長だけでは限界があるのが見えてきました。しかも首都圏などの大都市部と地方とでは住民意識も違い、地方の政治体質はまだまだ変わっていないという話もでました。たしかに首長の力は大きいですが、それだけでは政治は変わらないでしょう。

「住民視点の政治」や「生活のための政治」を目指すのであれば、変わるべきは政治家だけではなく、住民の政治意識(生活意識)でなければいけません。その意味で、地域のしくみを決定する議会で女性が活躍できる状況をつくりだすことが不可欠です。そのためにも、住民の意識や行動が変わっていく必要がある。

男性が語る政治と女性が語る政治は、男性はすぐに安全保障とか財政赤字を話題にしがちですが、女性は生活の不安や家計の心配を問題にします。いずれも大事な問題で、深くつながっていますが、視点が全く違うのです。権力や統治という視点から考えるか、個人の尊厳や生活という視点で考えるかで、政治はまったく別のものになります。

そこで、サロンの主宰者が男女が同じテーマに向かいあえない気分になるのが、日本の「政治」の問題があるような気がすると指摘しています。女性にとっては「消費者」問題に取り組むのはたやすいが、「生活者」という意識はなかなか持ちにくいのかもしれません。「生活者」という言葉は、経世済民とつながるもので、経済の変質を考える上でもとても重要な切り口です。政治の世界もまた、生活とのつながりがとても重要だろうということです。政治家も、政治家である前に、生活者として説明しようと努力することがあって、生活と政治の溝が埋まっていくはずで、そのためにも女性が政治の場に出て行く必要があるのです。

戦争が起こったら、自らが戦場に行く覚悟も持ってそれを阻止するのか考える、あるいはオリンピックの予算が増えたら自分の家計から補てんしていくくらいの責任感をもって、つまり自らの生活とつなげて、憲法論議やオリンピック招致、あるいは海外支援を考えていくのです。
それも含めて、議員と住民の関係や首長と議員の関係、さらには地方議員と国会議員(政党)の関係など、政治のあり方を考える上では、そうした関係のあり方を考え直す必要があるように思います。税金は天引きされて、地域に配分されて使っているので、納税者としては「取られている」という気にさえなってしまいますが、どう使われるのか、決定するつもりで政治に目を向けていくといいです。


住民たちが話し合いながら、「女・子・高・生」のエネルギーを地方議会に顕在化させていこうという「運動型」の活動です。
政治は「議会」の中にあるのではなく、生活の場での日常生活の中にこそあるはずです。政治の構図を変えていくのは「生活者」としての意識をもつことなのだと改めて思います。



posted by Nina at 00:00| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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