西日本から東日本にかけて出戻り梅雨前線が活発に活動を続け、記録的な大雨が6日になっても続いた。このため、京都府の女性が川に流されて死亡し、死者は兵庫、広島各1人と合わせて計3人となった。
奇しくもこの時期に、我孫子市議会の環境都市常任委員会は京都経由で兵庫県豊岡市に視察となっていた。通常5月に視察が組まれることが恒例だが、本年度は「議員定数削減の是非」を問う審議が大詰めであったため、7月に延期を見込んで6月に、視察地を選定して、相手市への申し入れを行っていた。決まっていた2市視察の一方が高槻市であったのが、最近の大阪北部地震の影響で予定市では災害対策本坊が設営となり見合わせて、両日とも豊岡市にて行うように変更されたばかりの事だった。
前日に気象予報を見ながら、傘持参となって8時過ぎに我孫子駅集合であった。海津にいなを含む委員会メンバー8人と市職員と出発、経由地の京都に予定通り到着。昼食場所に予約していた場所について、次の電車の出発時間をみながら急いで食事をとった。さて、山陰線の乗り場へ向かったところ・・・。そこからが、思わぬ展開であった。大雨の影響で乗るはずの電車の運転見合わせの掲示があって、一同、一瞬なんのことやら、戸惑った。予定の豊岡市に連絡すると災害対策本部を設置したというので、視察の受け入れは無理であると返事であった。
二転三転した委員会視察、我孫子市議会始まって初の中止を確認すると、それでも、めげない一行は塞翁が馬の如くの展開であった。結局、視察メンバーは一丸となって、予定変更で帰着するまでの時間でできる事は何か、災害対策よろしく、機転を利かせ、現地においてケーススタディー先の情報収集を行うなどした。その日のうちに無事に我孫子に戻ったが、8時だった、疲れた。