2020年東京五輪の聖火リレーについて、ギリシャから運ばれる種火を東日本大震災の被災3県(岩手、宮城、福島)に運んでイベントを行った後、実際のリレーは沖縄県から始める方針を大会組織委員会が固めたことが4月5日に明らかにされた。競技会場がある千葉、埼玉、神奈川、静岡の7県では各3日が割り当てられる他、東京都は15日、それ以外の39道府県は2日ずつが割り当てられる見通しだ。関係者の間では「16年の熊本地震の被災地などにも配慮すべきだ」との声があり、日数は増減する可能性も残されている。組織委の森喜朗会長、東京都の小池百合子知事や全国知事会長らによる調整会議でリレーの大枠を話し合う。具体的なコースは各都道府県で実行委員会を設けて、決めていく予定となった。そこで、千葉県に申し入れるべく、東葛地区の首長会議では震災被災地として、聖火リレーに参加できるように協議して、意思を伝えている、そのため、リレー参加してはとの音頭取りになった我孫子市も今後の展開にも注目である。
初めて東京五輪が行われた1964年当時、沖縄の施政権は日本でなくアメリカにあった。
沖縄に行くことも、沖縄の人が日本本土へ行くにも琉球列島米国民政府(アメリカ政府が沖縄統治のために設置した出先機関)の許可を必要とした時代だった。パスポートを申請し、沖縄ではドル紙幣が使われていた本土復帰前だったため、自由に日本国旗を公けの場所に掲揚することも禁じられていた。
それでも沖縄では、日本の一員として東京オリンピックの感動を分かち合いたい、めて沖縄でも聖火リレーを実施をと多くの人々が願っていた。
1962年7月4日、聖火リレー特別委員会は、沖縄で聖火リレーを行うことを正式決定。1964年9月7日、沖縄はいよいよ聖火を迎え、米国旗と挟むよう日の丸を掲げた聖火台の中央にリレー搬送者の若者が点火した。那覇を出て南へ向かいました。糸満、具志頭を回ってから、富里―新里―与那原―西原と沖縄島東海岸を北上し、知花―安慶名―栄野比―石川―金武―宜野座を経て、久志村(現・名護市)嘉陽を目指した。「沖縄があたかも日本に『復帰』したかのような喜びにわきかえった」と報道されたように、重苦しい米軍支配での祝祭的5日間であった。聖火が沖縄に到着した日、コザ(現・沖縄市)センター通りの街灯柱に掲揚された日の丸を、米兵3人が引きずりおろし破って踏みつけ、現行犯逮捕されるという事件が起こっていた。この「器物損壊事件」を、沖縄教職員会や祖国復帰協議会は「日本国家への侮辱」だと、米軍に厳重な注意勧告を要請した。復帰協は聖火リレー以後、13件19枚の日の丸が盗難・破損されたと伝えた。
日程の遅れを取り戻すため、聖火を分火して鹿児島へ先発させた。沖縄に残った方の聖火は、予定どおり嘉陽から塩屋へ回って西海岸を南下、名護、恩納、嘉手納―コザ―普天間から一路首里へ。山川から下って国際通りへ、そして再び奥武山陸上競技場に戻した。11日午後、奥武山陸上球技場から那覇空港までの最後のリレーの後、聖火は空路で沖縄を離れた。247.1kmの聖火沖縄島一周のリレー走者の数は、正走者・副走者・随走者合わせて3,473名。沖縄戦から19年後に訪れた歓喜の5日間が終わったが、この時の沖縄の扱いは、外国最後の経由地としての場所だった。2018年こそが、本土復帰初、日本の沖縄として第一歩の地となる。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/event_information/past_exhibitions/929
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