2018年01月29日

歴男歴女、我孫子は物語の宝庫:「天気晴朗なれど、波高かるべし」

 民放シリーズTV番組「歴天」で、岡田武松と日本海海戦を取り上げていたのをたまたま、食い入るようにみてしまったのは、やはりわが街・我孫子のゆかりの人(気象学の祖。文化勲章)だからだ。

 振り返って明治末期、気象庁の予報課長だった岡田武松は、全国各地から集まった気象データを解析し、5月27日の対馬海峡の天気を予想する任にあたった。それが、「天気晴朗なれど、波高かるべし」であった。日本の連合艦隊は、ち密な情報収集を重ねてロシアのバルチック艦隊がウラジオストックに向かうことを掴んだ。その際に3つのルートを想定、@津軽海峡を通るルート、A宗谷海峡を通るルート、B対馬海峡を通るルートのうち、最も短いB対馬海峡を通るルートを選ぶと予測し、朝鮮半島の南に集結し、その時を洋上で待った。ついに偵察船が東シナ海の霧の中でバルチック艦隊を発見、その向かう航路は対馬海峡の東と見定めた。

 日露にとって歴史的な日となる1905年5月27日が、やってくる。岡田武松の予報通り、天気は晴れ、南西の風強く、東郷平八郎率いる連合艦隊は北東からバルチック艦隊に迫り、急旋回して、バルチック艦隊と並走して大砲を打ち合った。さらに、機転をきかせ南西からも残りの連合艦隊がバルチック艦隊に迫り、バルチック艦隊を挟むようにして砲撃したことが、決定的な勝利をえた。当時の世界にロシア艦隊ありと知られる数と装備で凌いでいた油断もあったろう、小国・日本が北海から世界を制する勢いのロシアを打ち破った瞬間に、日本の気象学の俊才・岡田武松の気象予測があった。

1905年5月28日は、低気圧は日本海を東に進み、対馬海峡一帯は高気圧に覆われ、晴れて見晴らしが良かった。連合艦隊はさらに、バルチック艦隊に砲撃を浴びせ、バルチック艦隊は20隻以上が撃沈される一方、連合艦隊は(40隻中)3隻が撃沈されるにとどまり、日本海海戦は日本の圧勝に終わった。この後行われたポースマツ条約で、日本はロシアから樺太の南半分と満州の一部を譲り受け、西欧に伍す一流国の仲間入りをした。同時に、それは欧州列強に圧迫されていた国々に希望を与え、トルコではTOGO(東郷)という名前を付けることが一時流行ったとされる。



posted by Nina at 22:51| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
カテゴリ
日記(3507)
ニオュ(0)
歴史(0)
chiba(60)