2018年01月28日

『リーチ先生』講演会、申込みは三倍の競争率

28日(日)1時半から、ァビスタホールは、まだまで雪の残る中で、満員御礼の『リーチ先生』講演会で熱気だった。本年度は白樺100周年とする我孫子市では「手賀沼 我孫子」のリーチ、エッチングを購入する好機を得たので講演会に予算がつき、120名無料ですが、450名の申込みで抽選となって、抽選に外れたら 入場券は入手できませんでした。

年齢、電話番号、住所を申込み用紙にかいて郵送、またはアビスタ持参し、12月20日までが申込み締切、という過程をへて、厳選なる抽選で、当初予定の人数に30席を足して入場券を手にした人のみへの講演でした。

そこで、どんな内容だったか、会場に入れなかった残念組にも、当日の様子を御裾分けレポートします。
本作で新田次郎賞をとった人気作家の*原田マハ氏は、かいつまんで次のような話をされました。

1.先週、パリに居ました
・東京に大雪が降った頃、私はパリに居ました。次の仕事に関係して、ロダン美術館に行っていました。
・そこで、白樺派の話をしたら、向こうの学芸員から当然知っているという顔をされました。逆に、日仏文化交流の中で白樺派の位置は高いと改めて感じました。

2.正直に言って、我孫子には初めて来ました
・ということは、100%妄想で小説を書きました。
・先ほど、手賀沼を見て、白樺文学館に寄ってきました。リーチと柳の往復書簡を見て感動し、柳の英語力に感服しました。もっと早く来るべきだったと自戒しました。

3.旅の小説、アートの小説が自分の得意分野
・旅が好きで、47都道府県を回っています。「フーテンのマハ」を自称し、エッセイを書いてきました。春に本になります。
・森美術館で学芸員をやっていまして、アートには20年程関わっています。
・特に陶器が好きで、全国の陶芸の里を回ってきました。小鹿田(おんた)、鳥取、益子など行きました。そして、共通していたのが、バーナード・リーチで、皆「リーチ先生」と呼んでいたのが小説を書くきっかけでした。

4.リーチの仲間たち
・柳宗悦、浜田庄司、富本健吉、志賀直哉らがリーチと親しい仲間です。
・柳はすごい美の達人で、日本の美の礎を作った方です。
・志賀直哉はイケメンで、大好き。白樺派の方々はみんな素敵です。

5.白樺で紹介された西洋美術
・ゴッホ、セザンヌ、ロダン、ウイリアムモリス、アーツ&クラフト、ウイリアム・ブレークなどが同人誌「白樺」で紹介されました。
・日本人が印象派、後期印象派を好きなのは、白樺派が紹介したことが大きいのです。
・アジアには白樺派のような存在はありません。

6.白樺「ロダン号」
・1905年志賀直哉がロダンを見つけてきました。
・そして、ロダンに手紙を書き、浮世絵30枚を送り、返事が来るのを心待ちにしていたところ、1911年12月22日、横浜に彫刻3点が送られてきたのです。
・柳が横浜に出向き、引き取りました。その時の興奮を柳は書き残していて、ロダンの作品を抱きしめたと書いています。
・そして、武者小路のところに、持っていき、「オーイ、とうとうロダンが来た」と叫んだと言います。志賀も来て、みんなで大喜びしたと書かれています。

7.バーナード・リーチ(1887-1979)
・バーナード・リーチはイギリス領の香港で生まれました。母親はリーチを生む代わりに亡くなってしまい、リーチは一生それを背負って生きています。
・京都で英語教師の祖父母がリーチを引き取って、4歳まで日本で暮らしました。
・その後、イギリスに戻り、父親の希望で銀行員になりますが、やはり美術への思いは強く、ロンドンの美術学校に入り、高村光太郎に出会い、日本に来ることになりました。
・1909年、日本へ単身で渡航、光太郎の父の高村光雲の家に滞在します。
・1910年、柳ら白樺派のメンバーと出会い、一緒に活動するようになります。
・1917年、北京から日本に戻り、我孫子の柳邸で我孫子窯が完成、作陶を始めました。
・我孫子で、濱田庄司に出会い、1920年にイギリスに一緒に行き、セント・アイブスで作陶を行います。
・戦争後、再び日本に来て、陶芸の産地を回り、リーチのやり方を教えて歩きました。
・1977年、ヴイクトリア・アルバート博物館で陶器展をおこない、1979年セント・アイブスで没す。

8.「リーチ先生」
・最初は信濃毎日新聞、そのあとは神戸新聞に連載し、その後本になりました。
・リサーチに2年半、新聞連載に1年半、本にするのに1年かかりました。
・沖亀之助は実在していません。90%はフイクションです。
・新田次郎賞を頂いたとき、阿刀田審査委員長が色々調べたけど、亀之助は実在しないと結論づけたと言われました。

9.フイリップ・リーチ
・セント・アイブスで、リーチの孫のフイリップ・リーチに会いました。
・バーナード・リーチの本を書くと告白した時、フイリップはどうぞ書いてくださいと言って、19歳のリーチの肖像画を持ってきて見せてくれました。その肖像画からは、これから自分の作品によって世界を驚かせてやるという気概が感じられました。

*東京で生まれ、岡山で育つ。現在・茅野在住で、信濃毎日に「リーチ先生」連載で第36回新田次郎文学賞。森美術館(東京)、ニューヨーク近代美術館に勤務後、2002年にフリーのキュレーターとして独立。2003年にカルチャーライターとして執筆活動を開始。兄も小説家。


posted by Nina at 00:00| 千葉 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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