市川の市長選は、2期務める現職が8月に不出馬を表明し、新人5人が立候補して激戦となっていました。元衆院議員2人、元県議2人、元市議という地域に地盤看板があるであろう候補者がまたぞろであったはずが、26日投開票で最多得票の元衆院議員でも、法定得票数に1661票足りず、50日後に再選挙となりました。最近では、今年1月29日に行われた西之表市長選(鹿児島県)が同様のケースで再選挙となっています。
市川の場合、投票率は前回(2013年)を9.05ポイント上回ったものの、市民生活に直結した市長を決める選挙であるにもかかわらず、投票率30.76%でした。因みに、市長選と同時に市議補欠選挙も行われたので、2議席に対して6名の候補者も選挙カーで呼びかけたことになります。
伝えることの難しさを感じますが、海津にいな自身、2年前を振り返って、我孫子市長選挙が低投票率だったものの、震災復興、水害などの不安材料が立て続いた時期、正月明けの告示からスタートした1週間に、現職市長VS女性候補という二人による対決選挙でしたが、今回の市川の市長選に5人の新人男性候補での関心度よりは、投票率からすると高かったのを考えてみて、我孫子市民のお気持ちに応えて、市政に尽くす頑張りようがある! まちづくりの可能性を多角的に探っていかなくてはと再度、思ったところです。
ところで、過去の市長選での最低投票率の記録は、1979(昭和54)年の現職3選を目指した京都の市長選挙において、現職市長に日本社会党・公明党・民社党が推薦、自由民主党・日本共産党も支持するという立場をとったため、有力な対抗馬がなく、投票率は16.1%となった選挙がありました。そうした状況に「市民の首長選択権を奪うな」との声が出始め、現職市長の病気辞職後の選挙戦から30%台に近づく選挙に回復していきました。一方で、革新市政であった京都であっても無所属議員がほとんどなくなり、党推薦による候補者であることが当選への一歩となっていきました。予算審議と場面では、それまで必ず修正案がだされての予算可決であったのが、全会一致で可決に至っており、ともすると議会可否を予測することが非常に容易になったと言える状況だとの調査報告があるのです。
すんなり決まる議会を目指すのであれば、実のところ議員などはいらず、市長と職員とで研鑽していけばいいとの極論になります。ですから、議会において議論するとは「市民」目線で襟を正して、市民生活に過不足なく正当に機能するようにしていくため、知恵をこらすということです。現在、我孫子市議会の議員定数について議論が続いており、今月には市民アンケートも新聞折り込みにて全戸配布、無作為抽出での送付がされて、今月末が締め切りです。
下記の我孫子市議会ホームページからも、アンケートに答えることが可能です。
我孫子のまちがより住みよくなるためにも、市政への関心がけして少なくないと願ってやみません。
https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/shigikai/kaigi_unei/sigikaityousa.html