ブルーマンデーなどという言葉があるけれど、あーあ、休みが終わって、一週間働かなくちゃ・・・と、鬱な気分になることをいう。
それでも、なぜ一部の人はいつも、ウキウキしている幸運に恵まれる人もおり、つまらない事ばかり立て続くのかという人もいる。そういう「運」を呼び込む人と、運に見放されたような人と違いがあるのか、研究した人がいた。イギリスの著名な心理学者リチャード・ワイズマン博士は、次のような結論に達した。
「運というものに科学的な根拠はない。唯一の違いは、自分は幸運だと思うか不運だと思うかである。言い換えれば、自分にいいことが起こると予想するか、悪いことが起こると予想するかである」
これは非常に含蓄のある言葉であり、肝に銘じる価値がある。ワイズマン博士はどうやってこんな結論に達したのだろうか?ある研究で、被験者たちに新聞を通読し、掲載されている写真の数を数えるように指示した。
自分は不運だと思っていた人たちは答えを出すのに平均2分かかったが、自分は幸運だと思っていた人たちはほんの数秒で答えを出した。なぜなら、その新聞の2頁目に大きな字で「この新聞には43枚の写真が掲載されている」と書かれていたからだ。その答えはあまりにも明白だったが、自分は不運だと思っていた人たちはそのメッセージを見落とし、自分は幸運だと思っていた人たちはそれを見た。
さらに、博士は新聞の中ほどに「実験者に『これを見た』と言えば250ドルが当たる」という別のメッセージを書いておいた。やはり、自分は不運だと思っていた人たちはチャンスを見落とし、自分は幸運だと思っていた人たちはチャンスをつかんだ。このように、幸運か不運かは、いいことが自分の身に起こることを予想しているかどうかという問題にすぎない。
つまり、ネガティブな物の見方をしているかぎり、脳はチャンスに気づかないのだ。 物の見方がポジティブなら、脳はチャンスを見つけてつかむことができる。そして私たちの予想が現実をつくり出すのである。
よい結果を予想するなら、脳はそれにいち早く気づくことができる。
上記は、マーク・レクラウ 『習慣を変えれば人生が変わる』(ディスカヴァー)からの紹介です。
小林正観 『神さまに好かれる話』(三笠書房)では、人との「出会い」や「つき合い」を大切にしていくかどうかで、自分の将来が決まっていく、ということに気がつかなければいけないといいます。一人ひとりを大切にしている人(社会的な地位や身分というものには関係なく、人間一人ひとりを本当に大切にしている人)は、「幸運」がやってくるという。これは、金銭的経済的にプラスになるということではなく、目に見えない「運の良さ」につながっているということです。
また、茶道に「一期一会」という言葉がある。
一生にもう二度と会う機会はないのだ、と言う気持ちで、その場その場の出会いを大切にする、ということを意味しているそうだ。
そして、心理学者のタル・ベン・シャッハーは、「幸運な人は幸運が訪れるのを待つのではなく、創意工夫して自分で幸運を創り出す」と言っている。
また、松下幸之助翁の『啼かなくていいホトトギス (中経の文庫)』には、
「商品を運んでいる少年時代に、路面電車のレールに自転車のタイヤが滑ってしまい、転んでしまったそうです。 路面電車はすぐに気がつき急停車し、体の前で止まってくれました。電車も止まってくれたし、まわりの人も商品を拾って集めてくれて、わしは運が強い」と言い続けたそうです。さらに、大阪湾内で、夏の日に海に落ちたこともありました。この時も船が気がついて、松下少年は事なきを得たのですが、このときも「わしは運が強い」と言い続けました。「もし冬の日だったら、病弱な自分は助からなかっただろう。落ちたのが夏でよかった。わしは運が強い。運が強かった」と言い続けたそうです。 本当に運があれば、自転車で転ばなかっただろうし、海に落ちたりはしない。しかし、その起こったできごとをどう捉えるかで運命は変わる。
坂村真民さんに「二度とない人生だから」という詩があるが、その中にこんな一節がある。
二度とない人生だから
一ぺんでも多く便りをしよう
返事は必ず書くことにしよう
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