国際的な緊張や紛争を正しく認識するために地政学、つまり地理と政治や軍事との関係性によって俯瞰することが有効です。
最近では、Google Earthを使って、一般にもリアルに俯瞰することができるようになりました。その方法で、Google Earthで尖閣諸島を検索して、コンパスマークをダブルクリックしてナビゲーショングローブに切り替え、コンパスで回転して、中国から太平洋に向かう図にします。
今、日本と中国が緊張関係にある尖閣列島をフォーカスしてみましょう。
日本から見れば沖縄のはるか先の無人島です。ところが、中国にとっては、東シナ海から太平洋に出る唯一の水路であり、戦略的にどうしても無視できない島であることがわかります。中国は、近代に到るまで、戦略的にほとんど海軍をもつことはなく、太平洋に軍事力を展開することはありませんでした。
つまり、その昔の尖閣諸島は、中国には全く戦略的に意味がなく、古い地図では中国の領土に入っていませんでした。そこで、メルケル首相は習近平主席がドイツを訪問したとき、中国の地図には尖閣列島は入っていませんね、と古地図を示したこともありました。
しかし、野心的な現在の中国の目線で見ると、日本列島から沖縄列島は鎖のように太平洋への出口を封鎖している存在です。この尖閣列島の水路は、執拗に動く現中国海軍にとって唯一の出口である以上、今後も執拗に圧力をかけてくることになります。
続いて、Google Earthで“南沙諸島”を検索して、ゆっくりとズームアウトして見ましょう。すると、“西沙諸島”が見えてきます。フィリピン沖の“スカボオー礁”までは表示されていませんが、地図を見れば、南シナ海における緊張が、地政学的にみると容易に理解できます。
南シナ海の深海を、核ミサイルを積んだ潜水艦を潜航させる内海とするためには、フィリピンのスカボオー礁、南沙諸島、西沙諸島に軍事的な基地を確保することが、不可欠であることが理解されます。そして、台湾とルソン島の間の水路が、太平洋への出口になる配置です。この出口と尖閣列島の水路は、かつてロシアのバルチック艦隊が航行した水路でもあります。
南シナ海は、第二次世界大戦では日本海軍の制海権の下にありました。第二次世界大戦の初期、日本海軍が巡洋艦、駆逐艦、潜水艦の九隻からなるアメリカ、イギリス、オランダの連合艦隊を、インドネシア・ジャワ島東部のスラバヤの沖合で打ち破り、南シナ海の制海権を確立したのです。
ここまでのストーリーを歴史的に鳥瞰すると、海軍提督・柳楢悦は日本海軍の海津をつくり、これらの戦略的な把握を初めておこなった「海の伊能忠敬」とも言われる人であり、柳宗悦の御父君です。
敗戦とともに、南シナ海の領有権は国民党政権の蒋介石に移ります。したがって今でも、南沙諸島の一部を台湾政府が実効支配しているということです。中国が台湾の独立を決して認めない理由は、南シナ海の制海権を握るためにも必然なのです。
フィリピンの新大統領・ドゥテルテは、スカボオー礁内を双方の禁漁区にし、周辺部ではフィリピン漁民が自由に操業できるような提案をしています。これに対して中国は、スカボオー礁そのものを軍事拠点として確保できればいいので、周辺のフィリピンの漁船の操業に関しては、大目にみようとの政治的な決着をつけたようです。
参照:産業新潮
(産業新潮社:http://sangyoshincho.world.coocan.jp/)