《子供の頃から自分は幸せ者だ、運のいい者だと深く思い込んでいた。その思いが私を根っからの楽天家にした。》(高橋是清)
幕末の絵師・川村庄右衛門の子として生まれた是清。 彼は2歳のとき、仙台藩の下級武士・高橋是忠の家に養子に出されます。その後、横浜の英語塾に通いはじめ、14歳のときに藩命でアメリカへと渡ります。ところが、頼っていった先で、だまされて奴隷になる契約書にサインをしてしまい奴隷になり、奴隷として売られてしまったのです。やっとのことで帰国すると、明治維新を経て仙台藩はなくなっていました。
やむなく大学教官の手伝いなどで働くも、酒や遊びが好きだったこともあり、仕事を失ってしまいます。
それから知り合いの紹介で官僚になるも、先輩の依頼でペルーの銀山経営に就くために辞職。それも大失敗に終わり、またまた、つてを頼り、日本銀行に就職することになりしました。
そこで、日露戦争に必要な戦費を調達するため、イギリス系銀行から現在の金額で4兆円を超える資金の借り入れに成功したのです。そこで、1911年に日本銀行総裁、1913年に大蔵大臣、1921年には総理大臣に就任したという経歴の持ち主に。 丸い顔と立派なひげから、「ダルマ宰相」とも呼ばれた波乱万丈な人生は、失敗しても起き上がる根っからの明るさが引き寄せたのかもしれません。
自分は運がいい、と心の底から思っている人は、どんな事態になっても、いつかは運を引き寄せてしまう。
なぜなら、運がいいと思っている人は、どんなに最悪な条件でも、運のいいことしか見ていないからだ。
逆に、運が悪いと思っている人は、どんなに最高に良い条件であっても、その中からうまくいかないことや失敗しそうなことを集め、不運にスポットライトを当て、不運や不幸しか見ていない。
「子供の頃から自分は幸せ者だ、運のいい者だと深く思い込んでいた」と楽天的に生きていく方がツキがあるということだろう。