2017年04月21日

禅の教え

 東源寺の座禅会に参加してきた。東源寺は、志賀直哉の小説『十一月三日午後の事』にも出てくるお寺でもある。
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 禅宗には、主に二つの流れがあるのだそうで、それが臨済宗と曹洞宗だと連れて行ってくれた方から、教えて頂いた。40分ほどの座禅の指導で空の境地に近づこうとするが、なかなかそれが難しい。上空を下総基地に行きかう飛行機の音に気が惑う。そうこうするうちに、ふくいくたる抹茶の香りが鼻に入ってきた。なんとご住職が参加者にお茶をたてて下さる、新緑を眺めながら有難く飲み干す。般若心経とは、世界中のあらゆる宗派のあらゆるお経に書かれている仏典の神髄だとも初めて知った。というわけで、ご住職と一緒に参加者も読経。座禅の会終了、気兼ねなくご参加下さいとのお声にほっとする。ご住職は、連続してこられなくても、気兼ねなく参加して下さいと言われた。時々でもこうした時間を取ることはとても大事だと思った。

 そこで、禅について少し、紐解いてみた。
 坐禅を中心に行う仏教集団が「禅宗」と呼称され始めたのは中国の唐代末期からであり、坐禅そのものは古くから仏教の基本的実践の重要な徳目であった。そこで宗派として、その起源を求める声が高まり、さかのぼって初祖とされたのが達磨である。歴史上の達磨による直接的な著作は存在が認められていない。伝承上の達磨のもたらしたとする禅は部派仏教における禅とは異なり、了義大乗の禅である(WIKIPEDIA)。

 中国禅は唐から宋にかけて発展、征服王朝である元においても勢力は健在だったが、明の時代に入ると衰退していった。日本天台宗の宗祖最澄の師で近江国分寺の行表は中国北宗の流れを汲んでいる。臨済禅の流れは中国の南宋に渡った栄西が日本に請来したことから始まる。曹洞禅も道元が中国に渡り中国で印可を得て日本に帰国することに始まるが、それ以前に大日房能忍が多武峰で日本達磨宗を開いていた事が知られ、曹洞宗の懐鑑、義介らは元日本達磨宗の僧侶であった。中国から日本に伝わる禅の宗派に25の流れがある。

 日本に純粋な禅宗が伝えられたのは鎌倉時代の初めごろであり、室町時代に幕府の庇護の下で発展した。鎌倉時代以後、武士や庶民などを中心に広まり、各地に禅寺(禅宗寺院・禅林)が建てられるようになったのに加え、五山文学や水墨画のように禅僧による文化芸術活動が盛んに行われた。

 明治維新以降は、鈴木大拙により日本の禅が世界に伝えられた。1963年にノーベル平和賞の候補に挙がった。大拙と柳宗悦が学習院の頃の英語教師としての出会いから始まり、終生の師弟関係があった。大拙は、柳を後継にとの期待したほどで、柳が先に亡くなった時に非常に落胆した。大拙とは「大巧は拙なるに似たり」から採ったもので、『老子道徳経』と『碧巌録』が典拠であるという。

  良いことがあったときや、逆に悪いことがあったときにも、それは、その人の人間性や器が試されているとき。 偉そうになってしまったり、威張ったり、逆に、ガックリと落ち込んでしまったり、不機嫌になったり、まわりに当たったり。 「何か事があっても、それに囚われることなく、すぐに捨て、淡々と次に向かっていくこと」、凛とした生き方を教えるのが禅かもしれない、もっと知っててみたい。
つづき
posted by Nina at 13:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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