天の半分を支えているのは女性なのに、どこの世界でも、戦争、災害で犠牲を強いられることになり、権力や社会に翻弄される状況が多いのは女性だ。権力を握る側、政治の世界に女性はほぼつけなかった点で、歴史は共通項をもっている、そして、現代も女性は政治の少数派だ。教育の機会が与えられず、政治参加の権利もないという、生まれながらに性差があった時代も長かったのだが、そうした不都合は忘れさられてしまっているのではないか。
参政権をあたり前と思っているけれど、私たちの先輩が世界中で苦難の末に手に入れたものだ。現在ではごく自然な当たり前になっていること、例えば、義務教育が終わっても、望めば高校や大学に進学できること、男女が同じ条件で職業に就けること、選挙の際に一票を投じることなどは、実は過去には当たり前ではなかった。そうしたことが、勇気ある先人たちによって勝ち取られてきたことすら知らない世代が多くなったのではないだろうか。
映画「未来を花束にして」が27日に公開された。原題の「サフラジェット」(女性参政権論者という意)が示す通りイギリスの女性参政権の獲得運動を描いた作品だ。本作に出演した名女優メリル・ストリープは「すべての娘たちはこの歴史を知るべきであり、すべての息子たちはこの歴史を心に刻むべきである」と評するヒューマン・ドラマだ。『未来を花束にして』などという邦題にせず、『サフラジェット』にするべきだった。甘ったるい活動ではなかった、花束どころではない、投石、ダイナマイトも手にしてvote for women!!と政府とも激しい闘争を続けたからだ。20世紀初頭、ヨーロッパは人権に目覚めて、フランス革命が起きるが、それでも女性には何の権利もない時代。女性たちが運動を起せば、社会だけでなく家庭、夫が彼女たちにツブテをなげる。身を咲かれる辛い別れを経験しながら権利の為に闘いを起したのは英国の女性たちだった。
映画は運動の中心になったエメリン・パンクハーストではなく、洗濯工場で働く無名の女性が映画の主人公だ。母親も洗濯女で自身も10歳にもならない頃から同様に洗濯をして働いてきた。当時は児童労働禁止などもない。しかも女性は男性よりも長時間労働をするが、賃金はずっと低い。参政権に関心のなかった彼女だが、運動の展開を横目に、ふと自分にもそして、子どもたちにも違う人生が望めるのかもしれないと思うようになる。しかし、しかも主人公の女工がけなげにも、参政権運動に加わりると、 郵便ポストや建物を爆発させる過激派運動に手を染める過程も描かれて怖い。おかげで逮捕されたり、ハンストに加わるなどもあって、子どもとも分れなければない。女性が男性と同等の権利を得るには、厳しい命がけともいえる闘いの連続だったことを努々忘れてはならないと教えている歴史映画だ。
日本も明治の末から「女性にも参政権を」との運動は起きていた。ようやく実現したのは、第2次大戦の敗戦後だ。全国の女性たちの意識の高揚で、初の女性国会議員となったのは、日本の政治史で最高で39人だ。現代の少子化の問題ひとつとっても女性の視点や能力がもっと政治に活かされなくてはならないが、政治の現場はそうではない。雇用機会均等法ができても組織と女性のシャドウワークのあり方が変わらない限り女性は働き続けにくい。ヒラリー・クリントンは米国初の女性大統領の座を逃したが、日本ももちろんもっと政治の世界を変えていく必要がある。