キャシー・トランさんの「女子力」についての記事が1月 22日付朝日新聞に掲載されました。現在は日本で会社員として働くキャシーさんが、 ハーバード大での卒論のトピックに選び、その論文が野間・ライシャワー賞をえました。下記に、キャシーさんの意見を紹介した記事とその後、この言葉のもつ意識調査をおこなったアンケートがされて、外国人の目から見ても未だに男女間への意識格差は大きいことが認識されました。
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米国育ちですが、子どもの頃からアニメなど日本文化が大好き。留学もしました。2013年12月、日本人の男友達数人と食事をした店で、テレビから「女子力」という言葉が何度も聞こえてきました。
「女子力って何?」。尋ねても誰も答えられず、携帯電話の辞書を引くと「girl power」と出てきた。「自立した女性」をイメージしますが、テレビに映る女性たちの様子はどうも違う。ふと友人のグラスが空になっているのに気づき、水を注ぐと「それが女子力だよ!」。混乱しました。「女子力」という言葉が持つ意味、広まった背景を知りたくて、論文のテーマに選びました。
若い男女200人に「女子力が高い女子とはどんな人か」を尋ねたり、「女子力アップ」を掲げる雑誌の特集を検証したり。インタビューした女性の半数は、「女子力」という言葉があまり好きではないと答えました。見えてきたのは、「女子力」にはゴールがなく、女性たちは「限界のない高みを目指す」ことを強いられているということ。「ある」か「ない」かで語られる「○○力」が多い中で、女子力は「高い」か「低い」かという程度を問われてしまう。だから、きりがなく、しんどいのです。
米国には「女子力」に相応する言葉も考え方もありません。「女性だから」より「自分だから」と個性を重視する。日本の女性たちは「女性はこうあるべきだ」という考えに縛られて、「これが私」「私はこうありたい」という気持ちを抑えてしまっていると感じます。
一方で日本の女性たちにシンパシーを感じる部分もある。難民として米国に渡ったベトナム人の両親から私も「女の子は勉強よりお手伝いをしなさい」と言われて育ちました。その言葉にのみ込まれずにすんだのは、学校の先生が性別など問題にせず「キャシーならできるよ」と挑戦を後押しし続けてくれたからです。
:::::::::アンケートへの意見::::::::::::
http://www.asahi.com/opinion/forum/039/
かなり多くの意見が寄せられており、その中からピックアップしました。
相対的に、人として発揮する能力より、「女らしさ」という固定観念が求められていることへの反発を感じてい意見が多いもの傾向でした。
ーその1−
「女子力」を高めることに余念がない友人女性の結婚式で、「新婦は細やかな気配りのできる清楚で控えめな女性で、まさに純白のウェディングドレスがよく似合う理想の花嫁です」という上司(大学教員)のスピーチを聞いた。新婦は素直に誉め言葉と受け取ったらしいが、知識人と言われる立場の人の差別発言に唖然として、結果的にマイナスの意味で「忘れられない」結婚式になってしまった。(埼玉県 女 30代)
ーその2−
女子力?人間としての評価よりメスであることを評価するのかな。真っ当な大人になれない女性の力にどんな価値があるのでしょうね。女性を制御したいが為に使われるばかばかしい流行語のひとつに過ぎない。この言葉を使う人の知性や見識を信用出来ない。(千葉県 女 40代)
ーその3−
初等・中等学校や大学に在籍する者を指す用語として女子を使うことには抵抗ありませんが、成人女性を女子と呼ぶことに前から疑問を持ってきました。成人男性を男子とは呼びません。そもそも女子には「おんな・子ども」という意味合いがあり、一人前の人間ではないというニュアンスがあります。したがって、女子力という言葉には社会人・職業人としての女性のもつ能力や資質ではなく、伝統的な性別分業に基づくおんなの役割という意味がこめられがちです。現に男子力という言葉は存在しません。男性の資質が社会の規範であり、女性はそれを補う存在であるという意味で女子力という言葉が使われていると考えます。男女差別を助長する問題用語です。(長野県 女 50代)
ーその4−
最近では家事を得意とする男性も「女子力高い」と言われていると感じます。(栃木県 男 30代)
ーその5−
そもそも「女子」という言葉が好きではありません。「男子」は主に10代にしか使用せず、20代以降は「男」「男性」「男の人」なのに対し、女性は「女」「女性」「女の人」に加えて「女子」という呼称が残っていることに、女性は大人にならなくても良い、ならない方が良いというような意識を感じてしまいます。従って「女子力」というものにも、女らしさと未成熟を求められている感覚があり、気分が悪いです。(沖縄県 女 20代)