成人の日、我孫子市の成人式式典は昨日行われた。平成8年(1996)4月2日から平成9年(1997)4月1日生まれの若人が参加できるが、新成人以外の方のホール内への入場は出来ない。もっとも、市議会議員などの来賓などは別だけれど。
ITやIOT化が日に日に進化している現代において、人間にとって最も必要な能力は創造力になっていく。 近い将来、相当の領域の仕事がロボットに取ってかわられると言われる。多くの職業や職種がなくなるということが考えられる。そんな時代に、必要とされる人たちとは、クリエイター、つまり創造力の豊かな人だ。これからの時代は、あらゆる職種において、センスや、発想力が必要となっていく。想像力を磨くには、
想像の基礎となる経験を積んでいくこと。自然は多分に想像力を掻き立てる要素がある、都会では感じられない五感を刺激するものがある。毎日同じ生活をするのではなく、人生のある時期に集中的に自然に触れて、いろいろな情景に感応する、自然を取り込む生活にチェンジしてみるといい。
中でも創造力が必要な人は、芸術家。 芸術家は、誰かの作品をマネたとたんに、その人の芸術家としての生命は終わる。両親に芸術家をもった岡本太郎は『孤独がきみを強くする』(興陽館)でこんな事を言っている。
《コンペイ糖のようにトンがれ》
どうも日本では、まるくなることばっかりを尊重するらしい。
「あの人は角がとれている」とか「練れている」ということが、ほめ言葉の味なものになっている。
どうもおもしろくない。
とくに、ほんとうに仕事をする芸術家の場合、対社会的にも、自分自身に対しても、ぜったいにコンペイ糖でなければダメだ。
仕事をしていて、いつも痛感するのだが…、だんだん調子がそろってくると、角がとれて、画面に充実した気分が出てくる。 抵抗がなくなってくる。
絵はいつでも安易に完成したがるんだよ。ぼくは逆に、それを危機と見て、まとまってくる絵をぶち壊してやろうと頑張る。そんなときは、自分で自分に喧嘩をふっかけるんだ。
コンペイ糖のようにトンがって、すでにできあがった自分自身とぎりぎりに対決する。
その緊張感が仕事を支える。対社会の場でも、そうだ。 自分の立場や信念を純粋につらぬきとおし、独自な仕事を創造的に進めていこうとすれば、とうぜん、たいへんな無理解にぶつかる。
右から叩かれ、左からこづかれ、うしろから突きとばされる。多くの作家はそういう抵抗に耐えかねて、無難な仕事のほうに逃げてしまう。
だれにでも肌ざわりのいいように、手ぎわよく作品をまとめ、ひたすらまるく。そいういう作品は少しも本質的な矛盾をはらんでいず、退屈でやりきれない。ぼくはそういう八方美人的態度を跳ねとばして、象徴的に、八方をがっかりさせるような態度をとり、満身に角を立てる。
ーーーそして、次のようにも言っている
《弱いなら、弱いままで進めば、勇気が出て来る》
憂鬱感や不安のない人間なんていやしない。
自分を大事にして、かばおう、うまくやろう、傷つきたくない、そう思うから不安になるんだ。
もし自分がヘマだったら“ああ、おれはヘマだな”と思えばいい。
もし弱い人間だったら“ああ弱いんだな”でいいじゃないか。
弱いからダメだとか、どうしてこう弱いんだろうと嘆いて、自分自身を責めることで慰め、ごまかしている奴が多いんだ。そういうのは甘えだよ。もっと平気で、自分自身と対決するんだ。こんなに弱い、なら弱いまま、ありのままで進めば、逆に勇気が出てくるじゃないか。
ITやロボットに対抗できる能力のひとつが「創造力」、それを高めるには様々な体験をつむこと、チェンジを恐れない勇気だと言えそうだ。