再び原発が動きだすこの日も、明確な言葉はなかった−。鹿児島県川内(せんだい)市久見崎町も出来た1号機は1984年,2号機は1985年に運転を開始。いずれも加圧水型軽水炉。そして、九州電力川内原発1号機が再稼働した8日、鹿児島県の三反園訓(みたぞのさとし)知事はその是非について最後まで判断を示さなかった。
7月の就任時に「県民が不安に思う原発はいったん停止すべきだ」と言い切った姿から事実上の原発運転容認。それは説明責任を尽くさぬままの「脱原発」政策の転換にも映る。知事の本心はどこにあるのか。反原発派には失望と憤りが広がる。運転再開が迫る同日夕、県庁で取材に応じた知事。
「運転しようがしまいが、原発はそこにあり続ける」。2度にわたり九電に即時一時停止を要請した人物とは思えない言葉だった。「私の記憶には定かでない」と言い放ち、物議
判断を語らない最大の理由は、安全性などを検証する専門家組織「原子力問題検討委員会」が未設置であること。「専門家に安全かどうか検証してもらい、私が判断したい。早くつくりたいが、県議会の承認が必要だ」という理屈だ。
その検討委も、当初から運転再開に間に合わせる意思があったのか。今月1日の県議会では「検討委は、運転再開どうのこうので設置するわけではない」と答弁。その後、反原発派の識者を入れるという反原発団体との約束について「私の記憶には定かでない」と言い放ち、物議を醸す。
.
この日、記者団から「本当に記憶に定かでないのか」と問われた知事は、こう説明した。「時代は流れているから。賛成反対ではなく公平公正という基準で選ぶことにした」
検討委設置で政策合意し知事選出馬を取りやめた反原発団体代表の平良行雄氏ら約30人はこの日、川内原発前で運転再開への抗議集会を開いた。「言い訳ばかりで判断から逃げたいだけじゃないか。無責任としか言いようがない」との声が響く。自らの言葉で再開の是非を語らない知事に平良氏は嘆くばかりだ。
=2016/12/09付 西日本新聞朝刊=