去る10月20日に、77歳で亡くなった登山家・田部井淳子さん。
福島県田村郡三春町出身で女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる。
ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ(8848m)に女性世界初の登頂に成功。田部井さん35歳は、シェルパのアン・ツェリン とともに、ネパール側から世界最高…が登頂成功したのは1975年5月16日。実は、このころ国境をはさんだ中国側から中国隊も登頂を目指していた。この遠征に参加していた女性の潘多隊員が同月27日、同峰の女性第2登を果たした。
当時、中国登山界は秘密のベールに包まれていた。ネパール側から山頂を目指していた田部井さんたちは中国隊の細かい動向を知らなかった。それでも日本隊は中国隊の登山活動を察知し、上部キャンプの田部井さんとの無線連絡で暗号を使ったほどだった。世界で1番と2番。この差は限りなく大きい。
ネパール王国から最高勲章グルカ・ダクシン・バフ賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞、朝日体育賞。1988年、福島県民栄誉賞第1号、埼玉県民栄誉賞、川越市民栄誉賞、三春町名誉町民、エイボンスポーツ賞 その後、日本女性で登頂したのは難波康子さん(1996)で、21年後である。
折しもこの年は国際婦人年。女性の自立と解放の象徴的存在として女性初のエベレスト登頂者の田部井さんに、世界の注目が集まった。 だが、「女性初」を受け入れた後の田部井さんの非凡さは、世界の「ひのき舞台」に立っても気後れしなかったことだ。
エベレスト初登頂者のエドモンド・ヒラリー卿や世界的な登山家のラインホルト・メスナー氏と友人になり、対等の立場で意見を交わした。90年、ヒラリー卿の活動に賛同して山岳環境保護団体の「日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト」を旗揚げ。自ら先頭に立って富士山の清掃活動やネパールでのゴミ拾いなどに取り組んだ。1992年、1988年のマッキンリー、1991年のビンソンマシフに次いでエルブルス山に登頂し、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となる。文部省スポーツ功労賞。1995年、内閣総理大臣賞。
2000年3月、九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程修了(研究テーマ:エベレストのゴミ問題)
年7〜8回海外登山に出かけるかたわら、山岳環境保護団体・日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト、略称HAT-J(ハット・ジェー)の代表を務めた。2016年7月、東日本大震災被災者への支援活動として東北地方の高校生らとともに富士登山に参加、これが生涯最後の登山となった。
2016年10月20日、腹膜癌で逝去(77歳没)。
世界に日本の女性の偉業を伝えて、あきらめずに天井を目指して、打ち破っていけることを常に示した励ましてくださいました。敬意をこめて、心よりご冥福をお祈りいたします