三笠宮寛仁さまは戦時中、旧日本軍の大本営参謀などを務め、軍紀の乱れや残虐行為をただす発言をしたことで知られる。戦後、東京大学文学部研究生として「古代オリエント史」を専攻。トルコなどで遺跡調査に携わり、東京女子大学や青山学院大学で「古代オリエント史」の講師などとして教壇に立った。
中東などを対象としたオリエント学者でもあり、中近東文化センターの名誉総裁を務めた関係で、トルコの遺跡発掘の協力から、トルコ、チャウルカン村の丘状の博物館のすぐ隣には、「三笠宮記念公園」がある。日本の桜が植えられ、錦鯉が泳ぐ緑豊かで広大な日本庭園が広がっており、ピクニックや結婚式など様々なセレモニーにも利用されてクルシェヒルの人々の憩いの場となっている。緑の少ない雄大なアナトリア高原の中のオアシスといった趣で、地元の人々は春の桜の頃や、秋の紅葉の季節には日本的な風情を楽しんでいる。