2016年11月30日

山本七平賞の受賞者に加藤達也氏

韓国ギャラップが11月11日発表した世論調査によると、朴槿恵大統領の支持率は若年層では支持率0%。不支持率は前週から1ポイント増加し、過去最高の90%となった。

 そんな中、第25回山本七平賞(PHP研究所主催)の贈呈式が11月29日、帝国ホテル(東京都千代田区)で開かれ、 産経新聞の加藤達也社会部編集委員(50)に、表彰状と賞金300万円などが贈られた。

贈呈式で加藤編集委員は「大変栄誉ある賞をいただき光栄です」と感謝を述べた。受賞作「なぜ私は韓国に勝てたか 朴槿恵政権との500日戦争」(産経新聞出版)で描かれている韓国での司法や検察にも政治の力が及ぶ現状を紹介し、「日本人の韓国への理解を助ける一助になれば」と締めくくった。

 加藤編集委員は平成3年に産経新聞社に入社し、社会部、外信部などを経て23年にソウル支局長。平成26年、朴大統領の名誉をコラムで傷つけたとして韓国検察に起訴されたが、翌年末に無罪が確定した。同書は、当事者の視点から、裁判の内幕や韓国社会の実情について分析した手記になっている。

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2016年11月29日

物語りの溢れる街、血脇守之助

Eテレで、血脇守之助が野口英世の大恩人であることを、取りまとめていましたが、我孫子の人だったから惚れ込んで、尽くしてしまうという事があったのかと思ってみてました

彼自身「ナポレオンにできたのだから、私にもできる」と宣言。3時間しか睡眠を取らないで勉強したから驚きです。一方で、野口には放蕩好きな浪費家という困った側面もありました。恩師や友人を巧妙に口説いて再三にわたり多額の借金を重ねました。

野口は放蕩好きで、その度にピンチを救い続けたのは血脇守之助です。1896年に野口が借金して上京したにも関わらず、放蕩三昧ですぐにお金がなくなった時に、住むところを提供したのは血脇でした。

語学学習のための月謝4円を工面したのも血脇、日本医科大学へ通うために月15円のお金を工面したのも血脇さん。その上、この15円を一遍に渡すと野口が無駄使いする(遊興に使う)ため5円ずつ渡したというみっともないエピソードがあります。

1899年には、ペストの現地調査を行うために清に行く、そのための支度金96円(大金です!)を放蕩三昧で使い果たしました。これを救って清へ渡航させてやったのも血脇さん。このごろ、野口はアメリカへの留学を望んでいましたが、お金がありません。

そこで、斉藤ます子という女性と婚約してその持参金300円(!)をせしめ、そのお金で1900年にアメリカへ留学しました。野口は結局斉藤ます子と夫婦となるつもりはなくアメリカから戻りません。1905年、血脇が斉藤家に持参金を戻し、婚約は破棄されました。

野口は1900年にアメリカへ渡航してから28年に没するまで一度しか日本に帰国していませんが、そのたった一度の帰国は、年老いた母と再会を果たすためだったと言われていますが、自分でも海外での名声と裏腹に借金踏み倒し常習犯で、なかなか帰りにくかったのかもしれません。婚約した娘さんを5年も放置して、米国人の女性と結婚している、野口英世は「偉くなるのがあだ打ちだ!」と言ったと言われています。目的のためには手段を選ばずに何でもやる人だったのでしょう。

それでも、1922年(大正11年)、 血脇がアメリカを訪れたとき、野口は連日つきっきりで案内し、 血脇が講演する際には「私の大恩人の血脇守之助先生です」と紹介。大統領にまでも会わせました。

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2016年11月28日

キューバの革命家、カストロ逝く

 希代のカリスマ革命家フィデル・カストロがついに26日、90歳、死去された。

 米フロリダ半島まで約150キロと目と鼻の先の小さな島国キューバで社会主義革命を成し遂げ、米国と対峙したフィデル・カストロ氏。暗殺未遂事件は600回を超える。革命政権を維持しつつ、天寿を全うしたこと自体、驚異的だった。

「歴史は私に無罪を宣告する」。カストロ氏が生前残した数々の情熱的な演説の中で最も有名な言葉だ。1953年、親米のバティスタ政権による圧政に抵抗し、若き弁護士カストロ氏は同志らとモンカダ兵営襲撃を敢行した。失敗し拘束されると、自らを裁く公判で類いまれな弁舌を発揮。法廷を「革命プロパガンダ」の舞台に変えた。多くの同志を束ねる求心力、人を引き込む雄弁と情熱。国際社会でも比類のない存在感を持つ指導者だった。

 反米の旗手として、中南米を中心に世界各地の左翼勢力の精神的な支えだった。盟友の故チャベス・ベネズエラ大統領ら強硬な反米左派だけでなく、ブラジルなど穏健左派政権にも多大な影響を与えた。「米国の制裁には100年でも耐えられる」と豪語して制裁を耐え抜き、アフリカへの「革命の輸出」を進めて、非同盟諸国をけん引した。

 圧倒的な指導力で推し進めた革命には副作用もあった。中南米では珍しく非識字者がほぼ皆無という高い教育水準、海外に「輸出」できるほど高度な医療サービスを実現したものの、1991年のソ連崩壊後は、東側陣営への砂糖輸出に頼っていた単一的経済が悪化。経済は長く低迷し、閉塞感の強まったキューバからは亡命・脱出者が続出した。後を継いだ実弟ラウル・カストロ現国家評議会議長は立て直しに向けて、米国との国交回復や、市場原理を部分的に導入する経済の段階的自由化を余儀なくされた。

 政界引退後も、国営メディアを通じて国際情勢を精力的に論じ、「帝国主義」に対抗する姿勢が色あせることはなかった。「革命か死か。勝利の日まで」のスローガンに象徴される強烈な革命思想。その精神は、欧米の影響下に入るのを嫌う人々の心を今も鼓舞し続けている。 
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2016年11月27日

時代と友情

このところ、韓国大統領の支持率が歴史的な最低レベルになったと報道される

そういう韓国人が日本人を追慕して1922年に建て、独立後の韓国で現存の日本人記念碑があるという。
乗松雅休は、日本各地を伝道するが、何の動機によってか、日本人の関わった朝鮮王妃・閔妃(ミンビ)虐殺事件のため反日気運うずまく半島に、その翌年の明治29年(1896)年12月33歳で朝鮮に渡る。明治32(1899)年恒子と結婚し、二男二女を生み 明治41(1908)年水原で没す 享年33歳。翌年、幼児の為にと、後添え・和子を紹介され再婚。

彼は朝鮮家屋に住み、朝鮮の服をまとい、朝鮮式の食事をし、その子息にすら日本語を教えなかったという。大正3(1914)年雅病気静養のため小田原に帰るも、大正8(1919)年の3・1独立運動の直後に朝鮮に渡り 朝鮮人信者の安否を気遣いながら、大正10(1921)年2月12日遂に永遠の眠りについた。その現地での伝道ぶりが地元の人々の心に残った。しかし彼の朝鮮伝道の期間は15年で、病をえて小田原に帰り 大正十年(1921 )に没する間には、独立運動の制圧で水原教会付近の堤岩里教会の焼き討ち事件もありながら、朝鮮の信徒が、度々小田原にまで見舞いにやってきた。日本人は外地で死んでも骨は日本へ持ち帰るのに、日本で死んで骨を朝鮮に埋めた乗松は、いかに朝鮮を愛したことかと当時の人々を驚かせ、人間として生まれて、これだけ敬慕されて死ぬのは名誉も財産も要りませぬな、と言わしめたという。

遺骨は、遺言により翌年朝鮮に運ばれた。水原の地に運んだのは乗松の長男・由信と、伝道者・宇津木勢八、そして白洋舎創立者・五十嵐健治らであった。

在主 故乗松兄姉 記念碑文
    
 生為主死為主始為人終為人其生涯忠愛己帯主使命而舎
     其一切所有夫婦同心伝福音於朝鮮数十年風霜其苦何如
     心肺疼痛皮骨凍飢手足病敗其於朝鮮犠牲極矣然動静惟
     頼主甘苦不改楽其生涯祈祷与感謝也得我多兄弟同会于
     主主名得栄其生涯苦而亦栄矣臨終口不絶朝鮮兄弟願遺
     其骨於朝鮮此所以為我等之心碑而至於主再臨之日也与


(この碑文の読み下し。藤尾正人)

生きるも主のため、死ぬるも主のため、始め人のため、終わりも人のため、その生涯忠愛、おのれ主の使命を帯びて、その一切の所有を捨て、夫婦同心福音を朝鮮に伝う、数十年の風霜、その苦しみいかにぞや、心肺疼痛し、皮骨凍飢し、手足病敗す、その朝鮮における犠牲きわまりぬ、しかるに動静ただ主に頼り、苦に甘んずるの楽しみを改めず、その生涯 は祈祷と感謝なり、わが多くの兄弟を得、会するに主を同じくす、主の名は栄を得、その生涯苦にしてまた栄なり、臨終の口に朝鮮の兄弟のことを絶たず、その骨を朝鮮に遺さんことを願う、これわれらの心碑となすゆえんにして、しこうして主の再臨の日に至るなり。

墓石の質は大変にいいもので、貧しい人々が喜んで出し合って、いかに朝鮮の兄弟の愛が深いかを示している。朝鮮式の葬列で朝鮮信徒に担がれた

「キリストの言葉に活かされ、朝鮮の人々を慰めにいき、朝鮮人になり切って死んだのです」
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2016年11月26日

発墳するとは

『白洲次郎 一流の条件』(牧山圭男監修)宝島社
《力をつくって今に見てろという気魄(きはく)を皆で持とうではないか》白洲次郎


勝負に勝ち負けは付きものである。

どんな男でも百戦百勝とはまず行くまい。

とすれば、人生で大切なのは、実は勝ち方以上に負け方ではないか。


負けて折れてしまうのか、それとも悔しさを忘れずに、それを発奮のエネルギーへと転化して捲土重来(けんどちょうらい)を期すのか。

「コンチクショウ」というセリフをよく使ったという次郎は、間違いなく後者である。


「力をつくって今に見てろという気魄(きはく)を皆で持とうではないか」

には次のような言葉が続いている。

「弱い奴が強い奴に押さえ付けられるのは世の常で致し方なしとあきらめもするが、言うこと丈(だけ)は正しいことを堂々と言って欲しい。

その時のくやしさも又忘れぬがよい。

力が足らんからなのだ」(プリンシプルのない日本)


言い分が通らなかったとしたら、それは力が足らなかったから。

だからこそ、「今に見ていろ」という気迫(気魄)を持つ。

負け犬根性とは真逆のこの気迫こそ忘れてはならないものだ。


次郎にとって生涯最大の負け戦は、日本国憲法制定をめぐるGHQとの戦いだったと言われる。

できうる限りの駆け引きと手を尽くし、最後の一瞬まで戦いながら、結果から言えば、GHQの手による憲法改正案を日本政府による改正案として公表し、新憲法が制定される。

その時の感慨が「白州手記」として残っている。


《興奮絶頂ニ達シ正午頃ヨリ総司令部モヤツット静マリ、助カルコト甚ダシ。其ノ如クシテ、コノ敗戦最露出ノ憲法ハ生ル。「今にみてゐろ」ト云フ気持抑ヘ切レス。ヒソカニ涙ス》


また、東北電力会長に就任した際には、社内報の挨拶で次のように呼びかけている。

「(前略)敗戦の結果日本の國は破産しています。國民も又皆んな貧乏です。この貧乏から立ち上がって立派に目的をやりとげることは又仕甲斐のあることではありませんか。

こんなことで敗けるものかという気持ちが一番大切なことと思います」


悔しさを忘れぬこと。

そして反骨の精神こそ前進する力となる。

「憤(ふん)の一字は、これ進学の機関なり。

舜何人(しゅんなんぴと)ぞや、予(われ)何人ぞやとは、まさにこれ憤なり」


江戸末期の大儒学者・佐藤一斎が書いた「言志四録」の中の言葉だ。


「発憤するということは、学問を勧めるためには最も肝要なことである。

孔子の最高の弟子といわれた顔淵(がんえん)が舜(中国古代、理想の帝王といわれた聖人)も自分も同じ人間ではないか。

なろうという志さえ立てれば舜のような人間になれる、といったのも、まさに発憤ということになる」(井原隆一)


昨今、発憤という言葉を聞かない。
困難を乗り越えるには、「なにくそ負けてたまるか」「今に見ていろ」という公憤が必要だ。
発憤とは公憤であり、私憤ではない。 公憤とは、正義感から発する、公のための憤りであり、私憤とは、個人的な恨みや、怒り。
発憤には、反骨の精神がある。
「負けるのは、力が足らんからなのだ」
「なにくそ」という「憤」の一字を忘れずにいたい。
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2016年11月25日

アジア未来史観へ

元台湾総統、李登輝は、『熱誠憂国』毎日新聞出版の中で、日本の自虐史観を乗り越えよと、書いている。

台湾人は「日本精神(リップンチェンシン)」という言葉を好んで用いる。
これは日本統治時代に台湾人が日本人から学んだ、勇気、誠実、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、清潔といった諸々の美点を指す言葉である。

日本人がこの「日本精神」を失わない限り、日本は世界のりーだーとして発展していくことが可能だと私は信じている。 日本は敗戦の結果、何よりも経済発展を最優先せざるを得なかったが、敗戦による苦難を耐え忍びながらも、日本の伝統や文化を失わなかった。

日本国内では、「いまの日本の若者はダメだ」という声も聞かれるが、私は決してそうは思わない。
日本人には戦前と同様の美徳がまだまだ残っている。
確かに表面的には緩んだ部分もあるだろう。
 けれどもそれは、かつてあった社会的な束縛から解放されただけで、ほとんどの日本人はいまも社会規範を遵守し、モラルに従がって行動している。

日本人の智慧やモラル、そして技術など、これほど素晴らしい国はない。
台湾も、その他の国々も、もっと日本を見習うべきと思っている。

さらに私が感じるのは、日本人の国家や社会に対する態度が少しずつ変わってきたことだ。
一時期は「自分さえよければいい、国なんか必要ない」という考え方に傾くのではないかという懸念もあったが、最近はそれが大きく変わり始めたことを感じる。かつての素晴らしい精神は失われていなかったし、それが改めて高く評価されつつあるのではないだろうか。

ただ、いまの日本の若い人たちが可哀想なのは、「昔の日本は悪いことをした。アジアを侵略した悪い国だった」と一方的な教育を受けていることである。 日本は世界各国から批判されてしかるべきだと思い込み、自信を失っているが、そんなバカなことはない。

昔は昔、いまはいま。どちらも大切である。
昔がなければ現在もない。そういうところから教育を始めていかなければならない。
日本を批判しているのは中国と韓国だけで、それもまったく身勝手な、自分たちの都合によるものである。

いま、日本人は一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならない。
そのために日本人はもっと自信を持ち、かつての武士道という不文律を築き上げてきた民族の血を引いていることを誇るべきである。そうして日本人としてのアイデンティティをしっかり持つことで、初めて日本は国際社会における役割を担うことができると思う。


たしかに、中国人が書けば中国中心の歴史になり、アメリカ人が書けばアメリカ中心の歴史になるに決まっている。それが世界のありようで、男中心を非常識だという人もいなかったのが普遍的だ。
そんな中で日本人は、戦後の長い間、自虐史観に縛られてもいた。
李登輝元総統の言うように、戦後の自虐的価値観から解放し、正視していこうとの姿勢が必須だ。

文芸評論家の谷沢永一は、 「歴史の叙述が始まった遠い昔から、歴史観は例外なく自国中心であった。
ヘロドトス以来、司馬遷以来、各地を遍歴したりするものの、いざ記述に際しては、特に国際環境の抽出では、自国中心の歴史観に固執している。それ以外は展望する方法は他になかった。

今もない。自国中心の歴史観を捨てて、それで立派な歴史を書いた人が、一人でもいたら挙げてみよ。
歴史観の問題は言い掛かりである」と言っている。

過去を忘れず、未来を前向きにみる事、情報リテラシーを心掛け判断する事ではないか



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2016年11月24日

働き方 

福聚寺住職、玄侑宗久
世界でもまれな気質だと思うのですが、日本人にとって働くことは決して苦役ではありませんね。
欧米や他の国々の「ワーク」は、ノルマや義務を意味することが多いのですが、日本人には、生きている限り働くことは当たり前で、寝食と何も違わないのです。

一方、西洋の労働の起源は、ギリシャ神話に出てきます。
シジフォスという男が山の頂上に岩を運び、やっと運び終わるとその瞬間に岩が転がり落ちて、また運ぶことの繰り返し…この不条理が、仕事の原型として描かれています。

でも、日本の神話では、神様が田んぼを作り、機織(はたお)りもする。
仕事は神様もなさる尊い行為なのです。

スサノオノミコトが狼藉を働き、太陽神であるアマテラスオオミカミが、天の岩戸に閉じこもって世界が真っ暗になったその時、アメノウズメノミコトが外で神懸かりになって歌い踊っていると、タヂカラノミコトが怪力で岩戸を開け、その隙間からアマテラスオオミカミが外を覗きこみます。
すると「みなの顔(面)が光で白く見えた」という物語が『古事記』にあります。

これは諸説ある「面白い」の語源の一つですが、日本人というのは、困った状況の中でみんなの力を合わせ、そこに光明が差してきた状況をうれしく有難く感じるのです。

東日本大震災で避難してきた人々に、一世帯で二人まで一時帰宅が許されるようになったときのことです。
テレビのリポーターが、息子と家に戻るという七十代の女性に「帰ったら何をしますか?」と問うと、次はいつ帰れるのか先が見えないのに、「二人で掃除をします」と答えていました。
もし帰宅できるのが一人だけなら、あれこれ迷いながらも何をしていいかわからず、時間だけが過ぎてしまったかもしれません。でも二人になった途端に「困った状況でも、力を合わせて働く」という日本人のDNAにスイッチが入るのです。

頭で考えたり、不安になって悩んでいる毎日より、働いている時間のほうが落ち着くはずです。
これからも、焦る必要はまったくありません。立ててあった人生の計画が予定通りにいくことが、幸運とは限らないでしょう。遠回りをしても、もっとはるかな遠い着地点を心に描いて、大きな流れに沿っていってほしいのです。それで大丈夫ですから。

『流れにまかせて生きる』PHP

「働く」とは、「傍(はた)楽」(傍を楽にする)のこと。
楽にするとは、喜ばせること。 仕事を通じて人が喜んでくれることが、人間にとって最高の喜び。
働くことが面白い、と言える人は幸せだ。
遊ぶように仕事ができるからだ。
それが、「無門関」に出てくる禅語の「遊戯三昧(ゆげざんまい)」。
趣味も、仕事も、プライベートもすべて、「遊び心」を忘れずに考え、行動する。
ただひたすら、目の前にきたものを、楽しみ、面白がる。
つまり、流れにまかせて生きるということ。


流れにまかせて生きると、面白おかしく生きることができる。


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2016年11月23日

LaborThanksgiving Day in Abiko

Labor Thanksgiving Day, which falls on November 23rd, is a national holiday when Japanese people show their gratitude for each other for their labor and celebrate the year’s production.

Labor Thanksgiving Day originates from a ceremony named shinjosai or niinamesai. This ceremony is held at the Imperial Court for the Emperor to offer new rice to the gods of heaven and earth. The Emperor also eats the new rice at the ceremony.
It has taken places annually on November 23 since 1873. The feast day for people to give their thanks for the rice production and celebrate the rice crop of the year is now Labor Thanksgiving Day. Rice is the main staple of the Japanese diet, and so the labor to produce rice can represent many different kinds of labor in Japan.

Kaizu Nina enjoyed lunch at Suzuki-ya,today. And ask the rest of rice bowl to bring back,which she could not eat there, thanking farmer.

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Suzuki-ya, a classic style Japanese restaurant in Abiko, Chiba.
From Abiko Sta. 564m
11:00〜19:30(L.O)
Anyday without New Year's day - Jan5 are closed.
12月27日から31日はおせち料理の準備のため、通常の営業はしておりません。

【お車では】柏方面からは@国道6号線久寺家交差点を右折A直進し、つきあたりが県道356号BそのT字路の信号左側が店舗CパーキングはT字路を直進した大きな欅の木のあるスペース
【JR常磐線我孫子駅からは】南口を出て手賀沼方面に階段を降り、眼前の建物けやきプラザ、アビシルを目指して取手方向へ線路沿いを徒歩6分。隧道に突き当たった向かいのこんもりと木が茂る塀が当店です。



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2016年11月22日

韓国、朴政権以前の激動の韓国史

ボブ・ディランがの「風に吹かれて」はベトナム戦争の反戦歌として支持をうけた。

 南ベトナムを支援するため、朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦)の後の韓国は、軍事特需も意図して、1964年から1973年まで派兵したと言われる。医療部隊から始まり、猛虎、白馬、青竜と、勇ましい名前の精鋭部隊が次々と送られ、その規模は主役のアメリカに次ぐ。ベトナム中部を中心にのべ約32万人。兵士以外にも、軍関係の仕事で出稼ぎに行き、故郷に立派な家を建てた人も少なくないという。

 ソウルの戦争記念館は、制服姿の軍人らでにぎわっていた。そこでは、ベトナムへの派兵について「共産侵略者と戦う自由ベトナムへの支援は、集団安保のための国土防衛策の一環だった」と説明されている。洞窟(どうくつ)に潜んでいる「ベトコン」(南ベトナム解放民族戦線)をいかに掃討したかを、図入りで誇らしげに示している。

 「ベトコンは米兵とは戦ったが、韓国兵を見たら恐ろしくて逃げたんだ」。高校生を引率した教師の声が聞こえた。

■名分は米国に恩返し、実は特需狙い

 それにしても、遠く離れ、自国の安全保障とは一見、無縁に見える戦争に、32万人もの兵をどうして出したのだろう。

 ベトナム参戦が韓国経済にもたらした影響を研究している静岡大の朴根好(パク・クノ)教授(45)はアメリカの外交文書を詳しく調べ、「韓国の派兵は大義名分と実利が結びついたものだ」と結論づける。「大義名分」とは、朝鮮戦争で米国が韓国側とともに戦ってくれたことの恩返しだったという。

 では、「実利」とは?

 当時のブラウン駐韓米大使は、ハンフリー副大統領に、韓国の派兵が「一石三鳥プラスアルファ」の効果をもたらすと報告していた。三鳥とは、韓国の経済発展、韓米関係強化、韓国軍の戦闘能力向上だった。

 61年5月のクーデターで権力を握った朴正熙(パク・チョンヒ)・国家再建最高会議議長(後の大統領)は11月にアメリカを訪問し、ケネディ大統領にベトナムへの派兵を持ち出した。アメリカの歓心を買い、軍事政権の正統性を認めてもらうことが重要だったからだ。実際の派兵は、ジョンソン大統領に代わってからだ。64年9月、まず医療部隊とテコンドーの教官を送った。

 「朴大統領ら政府首脳は、日本が朝鮮戦争の特需で戦後復興を成し遂げたことをよく知っていた。韓国もベトナム戦争に積極的に加わり、特需により経済発展を遂げようとしたのです」と、朴教授は説明する。

 当時の韓国は、米国の援助も減り、外貨不足が深刻だった。じり貧を脱出する手だてが、ベトナム参戦による米国からの特需や援助と、65年に実現した日本との国交正常化に伴う経済協力資金の導入だった。

 朴教授によると、韓国は65年から72年まで米国からのベトナム特需で潤い、その総額は10億2200万ドルにのぼる。うち72%が、労働者や軍人の送金、道路建設、浚渫工事、輸送など貿易外だった。「韓国は売る物がなく、労働力を提供するしかなかった」と朴教授は言う。現代(ヒョンデ)、韓進(ハンジン)、大宇(デウ)、三星(サムスン)と限られる。後の大財閥は、ベトナム特需で発展の基礎を築いた。「ベトナム行きのバスに乗り遅れるな」を合言葉に兵士も労働者も企業も戦場に向かった。

 ベトナム戦争は、75年の「サイゴン陥落」で終わる。朴大統領はその4年後に暗殺されたが、以後も全斗煥(チョンドゥファン)、盧泰愚(ノテウ)と軍人出身の大統領が登場する。しかも2人ともベトナムで指揮官として活躍した。戦争の負の側面を公然と語るのは、その時代では監獄行きを覚悟しなければならなかった

■韓国軍による虐殺、民主化で明らかに
 99年、韓国の「ベトナム戦争」観を揺さぶる出来事が起きた。

 主要な週刊誌である「ハンギョレ21」が「韓国軍が、ベトナムで老人や子ども、女性をたくさん殺していた」との記事を掲載したのだ。

 記事を書いたのは、ベトナムに留学中だった歴史専攻の大学院生、具秀セイ(ク・スジョン)さん(41)。韓国は92年にベトナムと国交を正常化し、具さんは翌年に留学した。97年暮れには、長いこと軍事政権によって弾圧されていた金大中(キムデジュン)氏が大統領に当選。こうした状況でパンドラの箱が開けられた。

 ホーチミン市で今も事件の調査を続ける具さんに会った。きっかけは、韓国軍による民間人虐殺を調べたベトナム当局の内部文書を入手したことだったという。「妊婦や子どもを殺したという内容に驚いた。生き残った人から話を聞き、文書の内容が間違いないことを確認した」。具さんは、自らの聞き取りをもとに虐殺の被害が少なくとも9000人に及ぶとみる。

 かつて韓国軍が駐屯していたビンディン省。タイビン村では、アヒルや鶏が小道を横切り、水田では水牛が遊んでいた。

 「この傷を見てくれ」。グエン・トン・ロンさん(56)は、突然、ズボンを下ろして足の傷を見せた。手榴弾の破片が体中に残っている。痛みに耐えられないときは、酒を飲む。この日も赤い顔をしていた。

 事件は66年2月に起きた。朝9時過ぎ、集落に入ってきた韓国兵が、村人68人を1カ所に集め、うつぶせにさせた。一斉に銃撃し、手榴弾を炸裂させた。12歳だった妹のフォンさんは頭をやられ、母は両足を一瞬にして失った。そこまで語ったロンさんが、目を真っ赤にして泣き出した。「母は死ぬ直前、助けてと叫んだ。私も足をやられ、動けなかった。母に何もしてあげられず申し訳ない」。村で生き残ったのはロンさんら3人だけだった。

 犠牲者の名を刻んだ慰霊碑の脇に壁画がある。虎のマークをつけた猛虎部隊の兵士が、手榴弾を手に村人を追い立てる。家を燃やされ、泣き叫ぶ住民たち。ロンさんは、壁画を指さしながら「パク・チョンヒ軍は本当に怖かった」と言った。

 ベトナムでは、虐殺事件のあった省の博物館が実態調査を進めている。「生後数カ月の子どもや老人が殺されている。赤ん坊や年寄りが武器を持っていますか。無抵抗です。本当にひどい」。フーイエン省の調査の責任者、グエン・ティ・キムホア副館長(47)が、虐殺の場所と犠牲者の数をまとめた報告書を読み上げた。省内で33カ所679人の犠牲を確認したという。

 なぜ、武装していない人をたくさん殺したのか。聖公会大の韓洪九(ハ・ノング)教授は、朝鮮戦争との関連を指摘する。「兵士たちは、朝鮮戦争を体験した。共産主義者は人間ではない、殺されなければならない、という反共イデオロギーの中で成長した。『アカ狩り』への心理的な準備が整っていたのです」

 韓国では、日本と同様に国家はともかく、具さんの記事によって市民たちが動いた。民主化運動の担い手も多かった。「ハンギョレ21」で告発キャンペーンを展開した高ケイ兌(コギョンテ)記者(40)は「私たちは、ベトナム戦争でも兵士が枯れ葉剤を浴びるなど、あくまで被害者だと思っていた。しかし虐殺が明るみに出て、加害者だったことがさらけ出された」と話す。

 読者たちの募金でベトナムに慰霊公園ができた。韓国の市民団体が慰霊碑を建て、被害者に生活費を支援したり家を修理したりした。韓国人医師がボランティアで村の人たちを診察し、若者が現地でキャンプをして歴史を学ぶ。市民による謝罪と和解の行動は今も続いている。こうした動きに押されるかのように韓国政府も、学校や病院の建設を援助している。

 98年、金大中大統領はハノイを訪れ、ベトナム戦争についてこう述べた。

 「過去の一時期、不幸な時期があったことを遺憾に思う」

 この言葉に対し、ベトナムのファン・バン・カイ首相は「過去に区切りをつけ、未来を見つめよう」と述べただけだった。共産党独裁のもと、ドイモイと呼ばれる改革開放で経済発展を進めるベトナムにとって、韓国は重要なパートナーだ。そうした配慮もうかがわれる。

 韓国軍は虐殺について、きちんとした真相調査をしていない。「包括的な過去の清算」を掲げてきた盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は、軍事政権による人権侵害の調査などを進めてきたが、なおこの問題に手をつけるまでには至っていない。

   ×   ×   ×


 一方、送り出された韓国人兵士たちは米軍が枯れ葉剤をまいた地域で戦い、10万人以上が後遺症とみられる病気に苦しむ。過酷な経験から精神を病んでいる者もいる。

 ソウル市内に住む金泰根(キム・テグン)さん(62)は、65年から2年間、猛虎部隊の一員として派遣された。帰国してまもなく、頭が痛くなり意識を失った。入退院を繰り返し、仕事もできない。枯れ葉剤の影響で左足が細くなり、マヒして歩けない。「国のために戦争に行ったのに、こんな体になってしまった。治療法がないのがつらい」。世話をしてくれた妻に先立たれ、国からのわずかな傷病手当でひとり暮らしをしている。

 ベトナム戦争は現在も、韓国の人々に重い影を落としている。

◇多くの国が派兵

 ベトナム戦争は、冷戦下で多くの国がかかわった国際的な戦争だった。社会主義を掲げる北ベトナムには、中国が防空作戦部隊や道路建設部隊など、旧ソ連も軍事顧問らを派遣、北朝鮮も空軍パイロットを派遣している。

 アメリカは東南アジアにおける共産主義の拡大を阻止するため、54年に軍事同盟である東南アジア条約機構(SEATO)を結成した。南ベトナムにはアメリカ、韓国に加え、台湾やスペイン、SEATO加盟国のオーストラリア、ニュージーランド、フィリピン、タイも派兵した。

 日本は戦闘には参加しなかったが、アメリカの要請もあり南ベトナムに経済援助を行った。72年までアメリカの占領下に置かれた沖縄の基地からは、米軍がベトナムに出撃した。日米安保体制のもとで横須賀や佐世保など本土の米軍基地も補給や修理など重要な役目を担い、ベトナムでけがをした米兵は日本で治療を受けた。

 60年代後半には、アメリカやヨーロッパで反戦運動が高まった。日本でも作家の故・小田実氏らが65年に「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」を結成し、反戦運動をリードした。

出典: 
http://www.asahi.com/international/history/chapter08/02.html(朝日新聞/桜井泉)
つづき
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2016年11月21日

食品ロス

食べられるのに捨てられる「食品ロス」。世界では毎年、生産される食料の3分の1にあたる13億トンが捨てられているそうです。朝日新聞デジタルのアンケートの声と、自治体の取り組みを紹介していました。

食品ロス、半分は家庭
 京都市が2012年秋に実施した食品ロスの調査では、マスクと手袋をつけた市職員らが、家庭からのごみ袋をブルーシート上でほどき、種類を書いたラベルを貼ったバケツに分けました。

 重量で見ると、捨てられたごみのうち4割が生ごみで、さらにその39.4%がまだ食べられる、「食品ロス」にあたるそうです。最も多かったのは野菜類で、肉類、魚介類、パン類、ごはんなどが続きます。手つかずのまま捨てた「直接廃棄」が半分あり、残りは食べ残しでした。

 直接廃棄のうち、おいしく食べられる時期を示す賞味期限が読み取れるものを調べると、3割は賞味期限前に捨てられ、期限後2週間以内も3割ありました。

 京都市ごみ減量推進課廃棄物企画係長の新島智之さんは「『高齢で買い物の頻度が減り、まとめ買いが増えたので食品が使い切れない』といった悩みや『子どもが自立し、料理の適量が分からない』という声をよく聞きます」と言います。
     ◇
 〈むきすぎ・手つかずも〉 食品ロスの調査は、長野県松本市も実施しています。13年秋から冬にかけて計7日間、100戸の家庭から出された生ごみの内容を調べました。食品ロスは、生ごみのうち3割。皮むきなど調理の時に食べられるのに捨ててしまった部分が14.5%、ごはんやおかずなどの食べ残しが11.1%。手つかずの直接廃棄は4.5%で、このうち賞味期限つきが56.6%で、期限を過ぎたら食べない方がいいとされる消費期限つき食品28%の2倍ありました。

 賞味期限つきのうち半分近くは、期限前か、期限後1カ月以内に捨てられていました。松本市環境政策課主任の丸山祐太郎さんは「同時期に行ったアンケートでは、『消費期限と賞味期限の違いを知っている』という答えが80%だったが、正しい理解が広まっていなかったかもしれない」と言います。
 京都市と松本市の数字の違いは、「過剰除去」の扱いといった統計の取り方の違いによるところが大きいようです。
     ◇
 〈「使い切る日」呼びかけ〉 環境省は16年3月、家庭から出る食品ロスについての初めての全国調査を発表しました。食品ロス量を把握するための調査を実施している市区町村は全体の3%でした。環境省は、この調査を元に国内の家庭からの食品ロスを、全食品ロスのほぼ半分の302万トンと推計しています。
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2016年11月20日

韓国も変わる

韓国世論は「反日」一色では決してなく、年代、支持政党、政権評価によって大きく分裂している、と浅羽祐樹教授は話す。年代、支持政党、政権評価によって政策争点に対する評価が割れる現象は、対日外交政策に限らず、朴政権下で一般に確認されている。情報のリテラシー、一方的に広報されてきたものがどの媒体からなのか、背景をも読み解いて考えなくてはいけない。つまり日韓「慰安婦」合意や北朝鮮による核実験、南シナ海をめぐる米中対立など東アジア情勢は転換期を迎えている。日韓関係も二国間関係としてのみ捉えるのではなく、国際社会や世界史の中で開いていくことが問われているのである。そのためには、まず、市民レベルでも、通説・俗説にとらわれるのではなく、情報を読み解く、自分の目や耳や頭をつかうこと。文字面を読むだけでは情報に踊らされることになる。市民(国民)が、徹底的に検証する、コミットするのが時代の鍵である。

 たとえば、19歳(韓国では2006年から19歳も投票できる!)と20代では、日韓合意を「評価する」はわずか9%だが、年代が上がるにつれ高まり、60代以上では54%で、「評価しない」を上回る。また、与党セヌリ党を支持していると、50%が合意を評価している反面、「再交渉すべきだ」と主張している最大野党の「共に民主党」支持だと7%にすぎない。政権評価でも同様で、朴政権に肯定的だと54%が合意も評価している反面、否定的だと7%しか評価していない。

理由として「元慰安婦の女性の意見を聞かなかった」(34%)が、「謝罪が不十分/明確でない」(12%)、「金で解決しようとした」(9%)「『不可逆的』とされた」(1%)などを圧倒しているが、これは朴政権に対して就任以来提起されてきた最大の批判である「国民との意思不通」と全く同じである。朴大統領は「事前に当事者や支援団体の意向を聴取し、合意に十分反映させた」と年頭記者会見で強調したが、自国世論による同意に苦心している。

 とはいえ、手立てはある。

 3大テレビ局の一つであるSBSが日韓外相会談直後に実施した世論調査では、日韓合意を「評価する」が53%で、「評価しない」の40%を上回っている。年代や支持政党(政権評価については尋ねていない)別の傾向は、韓国ギャラップと同じである。

 注目したいのは、尋ね方である。

世論調査では、尋ね方や選択肢の数によって結果が左右されるため、報道機関としての威信が試される局面である。日本でも、たとえば安保法制に関する各社の世論調査について、設問まで含めて比較してみると面白い。賛否の2択か、「賛成」「やや賛成」「やや反対」「反対」の4択の上で2つずつまとめるのか、「どちらともいえない/分からない」が含まれているのかによって、結果が異なってくる。

 SBSの場合、次のような「誘導」を行ったとして、批判を受けた。
                            
「 韓国と日本は、外相会談を通じて、日本政府が慰安婦問題に対する責任を認め、安倍総理が被害者にお詫びし、日本政府の予算で名誉回復と傷の癒やしのための事業を行うことにしました。その代わり、韓国政府は日本が合意を履行する場合、慰安婦問題を再論しないことにしました。今回の合意をどのように評価しますか.」
                           
確かに、日本政府の措置は詳述している反面、少女像の移転については一切触れておらず、予断を与えるものであると言わざるをえない。

 それはともかく、こうした「誘導」が効くのであれば、日本政府としては、パブリック・ディプロマシー(広報文化外交戦略)の可能性が出てくる。「評価しない」理由の第1位は「日本の法的責任と賠償問題が明示されなかったから」とされている反面、「評価する」理由の第1位も「慰安婦問題に日本軍が関与し、日本政府が責任を認めたから」とされる。要は、どのようにフレーミングされるか次第だ、ということである。その意味で、マスコミの影響と責任は甚大である。読者も、リテラシーが問われている。

 20年前に、アジア女性基金で「妥結」しなかったのは、「頭(minds)」だけでなく「心(hearts)」も勝ち取るという「PR」戦略に欠けていたからでもある。だとすると、いま重要なのは、韓国民だけでなく、広く国際社会という「パブリック(Public)」とどのような「関係(Relations)」を築きたいのか、について明確な国家ビジョンを持つことである。同じことは韓国側にも当てはまり、少女像の移転や財団への拠出も、その中で自ずと「解」が導き出されるだろう。


RE:浅羽祐樹(あさば ・ ゆうき)
 新潟県立大学大学院国際地域学研究科教授。北韓大学院大学校(韓国) 招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。1976年、大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学大学院修了(政治学博士)。専門は、比較政治学・国際関係論。著書に『徹底検証 韓国論の通説・俗説』(中公新書ラクレ、共著)などがある。
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2016年11月19日

「ガラスの天井」

「私たちはいまだ、最も高く、硬い『ガラスの天井』を破ることができていません」。と、ラリー・クリントン氏は、初の女性大統領誕生が幻となったことをこう表現した。米国は、女性国会議員も決して多くないし、今回の大統領選でわかるように保守的なお国柄です。

翻って日本はというと、世界経済フォーラムが10月に発表した報告書では、男女格差の比較で144カ国中111位(米国は45位)。国会議員の女性比率の低さや女性首相が出ていないことが足を引っ張り、女性の活躍を阻む「ガラスの天井」はさらに分厚い。2016年1月時点で、日本の国会議員717人のうち女性は83人(衆議院45人、参議院38人)。野田氏が指摘するように、シングルマザーが大半を占めるひとり親世帯の相対的貧困率(2012年)は54.6%にものぼり、先進国の中でも最悪の水準だ。今年(2016年)は、日本の女性が参政権を獲得してから70周年です。100年前には女性が参政権を持つなんて誰も思っていなかったし、それを変とも思わなかった。

結局、国会ではいろんな法案審議が行われますけど、優先順位というのは「重要度」より「関心度」なんですね。国会議員が関心を持たない限り、法案そのものが動かない。「塩漬け」になっている代表例が、選択的夫婦別姓ですよね。9割以上は女性が姓を変える話だから、男性議員が9割の国会ではほとんど話題にものぼりません。自分たちの痛みになっていないから。出産・子育てに関しても同じ。とにかく女性議員の数を増やさないことには、重要な問題であっても、先送りが続くばかりです。

日本はどうかというと、女性総理が出るチャンスがあるとしたら、経済が落ち込んで、これまでの男性目線中心の政策が間違っていたと気づくときでしょう。日本が他国と比べてはるかに遅れているのは、女性という素晴らしい社会資本を活かしきれていないこと。女性がトップになって活躍を「見える化」することができれば、相当日本は変わると思います。

女性が「初」と評されるうちは、期待ゆえに失敗したら失望もまた大きいと思うんです。「女性は」に続く言葉が「やっぱり」「これだから」となる。男性の場合は、失敗するのも成功するのも普通のことですから言われないですよね。

似たようなことは、女性の国会議員が増えない背景にもあります。女性が立候補して残念な結果になり、再度立候補しようとすると、その方の周りが「まだやるのか」という意識を強く持つ。女性政治家希望者に対する視線が、男性が失敗することよりもはるかに厳しいんです。

それ以前の事情もあります。政治家になってもらいたい女性とお話をして、実際手を挙げていただくのにご本人が最も戸惑われるのは、結婚していたら夫の説得です。次は夫の両親で、その次は夫の親族。結婚して自分の生まれ育った地域ではない場所にいる方は、特に、です。皆さん相当悩まれ、それで立候補を断念した方もいます。


参照:http://news.yahoo.co.jp/feature/437つづき
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2016年11月18日

韓国、秋の受験シーズン

17日、韓国では日本のセンター試験にあたる「大学修学能力試験」が行われている。朴槿恵大統領の友人にからむ不正入学疑惑への批判が強まる中、受験生たちからも、怒りの声が聞かれた。

午前7時、まだ薄暗い中、試験会場の前では、大勢の生徒たちが、受験生の応援を行っていた。
「大学修学能力試験」は、学歴重視の韓国社会では、人生が決まるとも言われる現代韓国の天王山となっている。兵役拒否と教育の不正は同じ罪深い行為だとされる。

そのため、受験問題を製作する学者たちは、34日間もの缶詰め状態にされる、外と連絡が取れない。水も漏らさぬ態勢。合宿所の窓には外に紙を投げて、漏洩したりしないよう、網が張られて、ごみも捨てられない。

約1050ヶ所の受験会場に分かれて、前日に受験場所が送られてくるため、警察も動員して学生を送り届ける。
11月の第三木曜は、重要な試験で、国全体で受験生を支援する。受験の時間は車はクラクションを鳴らしてはいけない。国内、国際線は待機モードで八革新の音を立てないように厳戒態勢さながら。小学校高校休み 始業時間をずらす。分っている人はこの日は韓国に行かない。

この朝も、遅刻しそうになり、パトカーで送ってもらう受験生の姿が見られた。
ところが、朴大統領の友人・崔順実(チェ・スンシル)容疑者の娘・チョン・ユラが大学に不正入学した疑惑が持ち上がる中で実施され、受験生らも、怒りが露わになってきた。崔容疑者の20歳の娘は高校在学時期に16日しか、出席せず、名門女子大学に入学。母親の捜査が進むのを知ってなのか、ドイツからインターネットで退学届けを出していた。そこで、入学を取り消す処置にすべきだとの声までも上がっている。崔氏は大学入試情報や自分が所有している土地周辺の開発情報まで入手していたとの疑惑も出てきた。

韓国の受験戦争は厳しい。受験生は、いよいよの時期になると学校では朝6時から学校、夕方6時まで授業が続く、10時まで学校の自習となったのは過激になる塾競争を終わらせるためだった。が、それでも余裕がある家庭では塾に行かせ、家庭教師をつけて、最近では塾のそばにいざというとにのアパートを借りるなどのサービスもある。学生たちは、勉強していて、こんな社会なのか、これだけ頑張っても半数は就職が出来ない。2016年は、いつもと違い学生たちは、受験そっちのけで、デモに行く学生たちが増えて、韓国始まって以来の異常事態になっているのだ。

獄大統領のセウォル号沈没事故などへの対応の誤り、空白の時間が取りたざされ、国論の分断を招いてきた。今回は、スキャンダルに発展して、韓国社会に長きにわたる混乱をもたらしそうなのは避けられまい。

受験生は、「わたしは、数年苦労してやっと大学に行くが、あの娘は何の努力もなく入学したことが、本当に腹が立つ」「(土曜日の集会は行く?)できれば行きたい」などと話した。韓国の大学進学は7割、日本は5割弱なので、高校生の人口では日本が多いが、韓国の受験生が数を上回っている。それに対して若者が正規に就職できるのは6-7割、対して日本は97.3%であるので、最近の若者たちは七放世代が、いよいよは八放時代になったのかと落胆、自殺者も増える状況が問題になっていた。大学受験は、国民の一大事で、大統領が激励のメッセージをするが、そんな状況にはない。

不満が積もり積もって、受験日にかさなっている。
受験生は、今週末も行われる朴大統領退陣を求める抗議集会に、学生たちも参加すると話した。.
この一日は、全国の親たちは神社で受験の無事を祈って一心不乱に額づいている


参照 フジテレビニュース 11/17つづき
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2016年11月17日

選挙という民主主義

米インターネットメディア「クック・ポリティカル・リポート」によると、8日に行われた米大統領選の開票で、民主党候補だったクリントン前国務長官の得票数でのリードが15日、100万票を超えた。民主党内では、選挙結果は民意を反映していないと批判し、大統領選挙人制度の見直しを求める声が出ている。

 米大統領選は全米50州と首都ワシントンに割り当てられた計538人の選挙人のうち、過半数の270人を獲得した候補が当選する仕組み。ただ、選挙人の割当数は完全には人口に比例しておらず、2州を除いて、得票1位の候補がその地区の選挙人を総取りするため、得票数と獲得選挙人数の逆転が起きることがある。

 同リポートの集計では、クリントン氏は15日夜の時点で6231万8079票を獲得している。これに対し、共和党候補だったトランプ次期大統領の得票数は6116万6063票。しかし、獲得選挙人数ではトランプ氏が290人で、232人のクリントン氏を上回っている。

メディアによると、得票数と獲得選挙人数の勝者が食い違ったのは史上5例目。開票作業はまだ続いており、クリントン氏のリードは最終的に200万票を超えるとの推計もある。

 民主党のボクサー上院議員は15日、声明を発表し、「選挙人制度は時代遅れで、非民主的だ」と強調。選挙人制度を廃止し、得票数で勝者を決められるようにする憲法改正案を上院に提出した。ただ、共和党内で賛同する声は出ておらず、成立の可能性は極めて低い。 

(2016/11/16-14:37)
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2016年11月16日

Brixit、そして米国の分断

次期米大統領に選出されたドナルド・トランプ氏の名がつく高層アパートから、「トランプ」の名前が外されることになった。地元で不人気なトランプ氏の名称がつく物件に住むのは恥ずかしいとして、居住者からクレームが出ていたという。名前が変更されるのはニューヨーク市ウエストサイドにある「トランプ・プレイス」と呼ばれる3棟の高層マンションで、物件を所有するエクイティ・レジデンシャルが発表。

 同社は住人に対してメールで変更を通達し、今後は住所をもとにした「140リバーサイド大通り」などの「中立な」名称にすると伝えた。また、名前を変更することで「現在の居住者にも将来住むことになる人にも気に入ってもらえる」と同社の通達には記載されている。

 富豪であるトランプ氏が開発した他の物件と同様、トランプ・プレイスの正面には「トランプ」の文字が大きく飾られ、アパート内のカーペットや従業員のユニホームにも「トランプ」と書かれている。居住者たちは大統領選の投票が行われた8日まで「トランプの名前を外せ」運動を展開し、数百の署名を集めていた。

 トランプ氏の予想外の勝利でニューヨーク市民は失望したが、その中でもマンハッタンでは数多くの反トランプ集会が開かれるなどしていた。名称が変更されるトランプ・プレイスの居住者であるケビン・デュモントさんはエクイティ・レジデンシャルの判断について「先週のこともあったから、ちょっとした達成感はある」と話す。

 一方、トランプ一族のファミリー企業である「トランプ・オーガニゼーション」もこの件に関して声明を発表し、名称変更は何年も前に同意し決まっていたものだと主張。「双方の同意によって」名前が取り外されることになるとした。「しかし政局に巻き込まれる懸念があったため、大統領選が終わるまでは待とうという結論だった」と話す。
 今年の大統領選は勤務時間中に話題になることが多く、企業の生産性に影響を与えているという。投票日の翌日の業務について悩む会社もあった。米国を真っ二つに分断している今年の大統領選が、支持する候補によって同僚社員たちが対立し、その仲裁役に上司がかり出されるケースも増加した。今やヒスパニック系住民を侮辱したり脅したりする「権利を与えられたと人々は感じている」と話す。

 ハドソン川沿いの開発プロジェクトはトランプ氏が率いるベンチャーと香港の投資家らが1990年代に共同で開始し、2005年にエクイティ・レジデンシャルに売却した。

 トランプ氏は自らの名前を製品などのブランドとして利用し、冨や名声のイメージを作り上げようとしてきた。しかし選挙期間中に移民政策や女性に関する過激な発言を行ったことでさまざまな企業が「トランプ」名義のビジネスと距離を置くようになり、数十年にわたって続けてきた戦略が裏目に出る場面もみられた。

 今年初めにはトランプ氏が所有するホテル会社が同氏の名前をつけない新たなブランドを展開することを決定。テクノロジーに精通したより若い世代をターゲットにしたチェーンは、サイオンと名付けられている。
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By PETER GRANT
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2016年11月15日

韓国、いろいろ

韓国メディア・SBSは、フランスで“韓国企業を批判的に扱った本”「彼らはクレイジー、韓国人たち!」が発刊された。著者は2003年から12年までの10年間、LG電子のフランス法人に勤務し、法人代表まで勤めたエリック・シュールデジュ(Eric Surdej)氏。

筆者のシュールデジュ氏はSBSに対し、本書執筆の理由を3点挙げた。一つは韓国企業での勤務は西洋人からすれば奇想天外なものだったので、その記録のため。二つ目は数十年前の韓国の中小企業が今日のグローバル企業に成長するまで、「明確な目標意識と信じられないほどの勢い」を持っていたことをフランス人に伝えるため。そして三つめは「韓国企業がグローバル企業として安定した成長を遂げるためには、地元の人、文化と調和すべきだと言いたかった」。デジュ氏は「現地と融和しない韓国のビジネスモデルは、製品の革新が継続されているうちはいいが、革新性が落ちた瞬間に問題が表面化する」と指摘している。SBSが紹介したエピソードは以下のようなものだ。

「出勤初日、突然本社の代表がフランスを訪問するという通知が来た。パリを訪問した副会長がホテルで地元幹部と食事した際、職位に応じて厳密に席次が決められた。副会長よりも先に座ったり立ったりすることは禁じられ、食べながら声をかけてはいけないなどと注意された。ある役員が携帯電話で副会長を撮影したところ、翌日、その役員を解雇しろという指示が届いた」

「1日10〜12時間仕事をした。休憩はランチ、ディナーの40分。土曜日も働いた。日曜日には情報交換と称してゴルフ。個人の生活は考えていなかった。会議で議論はほとんどなく、実績の数字だけを取り上げ、効率と結果だけを重視していた。韓国人従業員は仕事中に椅子を投げたこともある。個人の性格や感情は無視された」

「法人代表になった後、韓国で研修を受けた。終了後、真冬の氷点下12度の中で爆弾酒を飲んでパーティー。飲んでまた飲む。これが企業の最高幹部なのだろうか」

「会社の売上高が減ると、海外支社長が韓国に呼び出された。別の地域の支社長が先に会長に報告に入ったが、怒鳴り声が聞こえてきた。その時、待合室を見ると3人の従業員が水とコーヒー、頭痛薬を用意していた」


この報道に対し、韓国ネットユーザーからは様々なコメントが寄せられていた。



つづき
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2016年11月14日

韓国大統領退陣を求める100万人超のデモ

韓国ソウル市は13日、ソウルの中心部で12日に行われた朴槿恵大統領の退陣を求める大規模集会に地下鉄を利用して参加した人の数が約126万人に上るとの推計を発表した。.

 周辺駅の利用客数を基に計算した。集会には地方から貸し切りバスで来た人も多く、参加者はさらに多かった可能性がある。聯合ニューステレビが報じた。.

 一方、集会参加者の一部は13日未明まで大統領府近くで抗議のシュプレヒコールを上げた。警察の機動隊が午前2時半(日本時間同)ごろ、デモ隊の強制排除に乗り出し、5時ごろまでに車道から立ち退かせた。.

 参加者の規模について、主催者は約100万人、警察は約26万人との推計を発表していた。警察発表は実態とかけ離れており、朴政権に配慮したのではないかとの見方が出ている。.

 デモ隊と機動隊のもみ合いなどでデモ参加者56人と警察官8人が手当てを受けたが、重傷者はいない。警察の強制排除の際、現場にいた千人以上のデモ隊は座って腕を組むなどして抵抗し、23人が連行された。.

 12日の集会は、朴氏の親友、崔順実容疑者の国政介入疑惑が朴氏本人の国政私物化の様相を呈していることで、怒った市民が多数参加した。.
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2016年11月13日

日台、観光で友好ムードを

日本統治時代に建設され、周囲を穀倉地帯へと変えた烏山頭ダム(台南市)と、同ダムの設計などに携わり、没後70年以上が経った今も現地で慕われ続けている八田與一技師。八田氏の名は台湾で広く知られており、国民党の馬英九前総統も任期中その功績をたたえている。

2011年には記念公園もオープンした。日本では2008年に氏を描いたアニメ映画「パッテンライ!!〜南の島の水ものがたり〜」が上映されている。さらに、昨年日本でも公開された台湾映画「KANO1931海の向こうの甲子園」では、俳優の大沢たかおが八田氏を熱演するなど、日本でも知名度が高まりつつある。

この「日台の絆」を日本人観光客の増加につなげようと、11日から3日間、市内でボランティアガイドの養成講座が開かれている。台南市台日友好交流協会などが開催するこの講座は、烏山頭ダム風景区で実施。観光客誘致のアプローチなどについて話し合う12日の国際シンポジウムには、八田氏の孫、修一氏も招かれ、祖父の人生哲学や台南の歴史遺産を語った。最終日の13日には、ガイドの実地研修や烏山頭ダムの放水施設について学ぶワークショップが行われる予定。

参照: 中央社フォーカス台湾 11/12(土)
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2016年11月12日

日本女性が最高峰を目指し、世界最初の記録を作った人

 去る10月20日に、77歳で亡くなった登山家・田部井淳子さん。
福島県田村郡三春町出身で女性として世界で初めて世界最高峰エベレストおよび七大陸最高峰への登頂に成功したことで知られる。

ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ(8848m)に女性世界初の登頂に成功。田部井さん35歳は、シェルパのアン・ツェリン とともに、ネパール側から世界最高…が登頂成功したのは1975年5月16日。実は、このころ国境をはさんだ中国側から中国隊も登頂を目指していた。この遠征に参加していた女性の潘多隊員が同月27日、同峰の女性第2登を果たした。

 当時、中国登山界は秘密のベールに包まれていた。ネパール側から山頂を目指していた田部井さんたちは中国隊の細かい動向を知らなかった。それでも日本隊は中国隊の登山活動を察知し、上部キャンプの田部井さんとの無線連絡で暗号を使ったほどだった。世界で1番と2番。この差は限りなく大きい。

ネパール王国から最高勲章グルカ・ダクシン・バフ賞、文部省スポーツ功労賞、日本スポーツ賞、朝日体育賞。1988年、福島県民栄誉賞第1号、埼玉県民栄誉賞、川越市民栄誉賞、三春町名誉町民、エイボンスポーツ賞 その後、日本女性で登頂したのは難波康子さん(1996)で、21年後である。

 折しもこの年は国際婦人年。女性の自立と解放の象徴的存在として女性初のエベレスト登頂者の田部井さんに、世界の注目が集まった。 だが、「女性初」を受け入れた後の田部井さんの非凡さは、世界の「ひのき舞台」に立っても気後れしなかったことだ。

 エベレスト初登頂者のエドモンド・ヒラリー卿や世界的な登山家のラインホルト・メスナー氏と友人になり、対等の立場で意見を交わした。90年、ヒラリー卿の活動に賛同して山岳環境保護団体の「日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト」を旗揚げ。自ら先頭に立って富士山の清掃活動やネパールでのゴミ拾いなどに取り組んだ。1992年、1988年のマッキンリー、1991年のビンソンマシフに次いでエルブルス山に登頂し、女性で世界初の七大陸最高峰登頂者となる。文部省スポーツ功労賞。1995年、内閣総理大臣賞。

2000年3月、九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程修了(研究テーマ:エベレストのゴミ問題)
年7〜8回海外登山に出かけるかたわら、山岳環境保護団体・日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト、略称HAT-J(ハット・ジェー)の代表を務めた。2016年7月、東日本大震災被災者への支援活動として東北地方の高校生らとともに富士登山に参加、これが生涯最後の登山となった。

2016年10月20日、腹膜癌で逝去(77歳没)。

世界に日本の女性の偉業を伝えて、あきらめずに天井を目指して、打ち破っていけることを常に示した励ましてくださいました。敬意をこめて、心よりご冥福をお祈りいたします
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2016年11月11日

どう返すべきか、国民一人あたり借金(試算)837万円!?

 財務省は10日、国債と借入金などの残高を合計した「国の借金」が9月末時点で1062兆5745億円だったと発表した。

そんな事情を抱え、安倍首相は17日、米大統領選で勝利した共和党のトランプ氏に面談を予定する。日露関係の進展に関してだけ言えばトランプ氏が大統領になったことで年末のプーチン大統領との会談はやりやすい。またトランプ氏が米軍基地についても撤退を示唆しているという意味でも、就任前に話す重要性が増したのだろう。今9月訪米のおりに、クリントン氏にのみ面談して、トランプ軽視とみられるのに先手を打ったが、就任前の人物との会談(?)は異例。19日からペルーで開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席する安倍首相が「ニューヨークを(政府専用機の)給油地にできる」と持ちかけると、トランプ氏は「17日にニューヨークにいるようにする。食事でもしようか」と応じ、すぐさま日程調整が進んだという。

トランプ勝利となった9日の金融・資本市場は、米政策の先行き不透明感が意識され、東京市場では日経平均株価が919円安と急落、円相場は1ドル=101円台まで急伸した。今後の日米関係や相場にどのような影響が出るのかの不透明感からの影響だが、10日の日米株式相場はともに上昇。アベノミックスの名のみになりつつある状況を打開したいのが内情だ。

 財務省は、国の借金が6月末時点から9兆1069億円増え、過去最高を更新したと伝えている。10月1日時点の人口推計(概算値1億2693万人)を基に単純計算すると、国民1人当たりの借金は約837万円になる。急速な高齢化で社会保障費が膨らむ中、不足する税収を賄う国債の発行額が増えた。厚生労働省は2017年度予算の概算要求で高齢化に伴う社会保障費の自然増を6400億円と見込んでおり、国の借金は今後も増加する傾向にある。

 国の借金は16年度末に1119兆3000億円まで膨らむ見通しで、各地方への交付金などが縮小される可能性が以前より強まっている。 


時事通信11月10日
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2016年11月10日

トランプの勝利の陰で

大統領選開票の結果、より多くの選挙人を獲得して勝利を収めたのは共和党のドナルド・トランプ氏だったが、一般投票の得票数では民主党のヒラリー・クリントン候補がやや上回っていたことが明らかになった。

9日夕方の時点で、クリントン氏の得票率は47.7%だったのに対し、トランプ氏は47.5%だった。

CNNの集計(開票率92%)によれば、クリントン氏の得票数は5975万5284票で、トランプ氏は5953万5522票だった。開票数が1億2000万票近いことを思えば約22万票は僅差と言っていい。不在者投票なども加わるため、全体の数字はこの後変動する。ただ、獲得した選挙人の数はトランプ氏が290人、クリントン氏が232人となっている。

ヒラリー・クリントン氏(69才)は、大統領選の敗北宣言をする際に「憲法に基づく民主主義」について、一言加えたえた。

「憲法に基づく民主主義は、私たちの参加を求めます。4年に1度の選挙のときだけではありません。常に参加を求めているのです。だから、できることをやりましょう。私たちが大切にしている理念や価値を前に進めていくために。私たちの経済を富裕層だけでなく、みんなのものにするために。私たちの国を、私たちの地球を守るために」

選挙戦中に、移民やイスラム教徒や女性に対する蔑視発言が目立ったトランプ氏。クリントン氏はこう語った。「この国は私たちの予想より遥かに深く分断されている」と語り、「アメリカン・ドリームは大きい。誰もが夢見て良いほど大きい。全ての人種、全ての宗教、全ての男性と女性(ここで声を大きくして強調した)、移民、LGBT、障害者。全ての人たちのものです」とも語った。

真剣な表情で、これまでの演説に比べると、やや口調が早い。
さらに、オバマ大統領夫妻や、民主党関係者、家族らへの賛辞が続く。

選挙戦では演説中も満面の笑顔を浮かべていることが多かった。それが不自然に映ることもあった。選挙後、それが素顔に近いように感じられた。クリントン陣営は、トランプ氏の女性蔑視発言などを攻撃材料として、CMなどでも散々たたいたが、「そんなことを言う男性には慣れている」「男なんてそういうもので、目くじらを立てるものでもない」という女性も少なくなかった。一部の人々にとっては、酒に酔ってくだを巻く男の与太話程度でしかなく、それに比べて、私用メール問題などを抱えるクリントンの方がよほど悪質に見えた。

敗北宣言のスピーチで、大きな拍手が送られたのは、若者を鼓舞するメッセージを送ったときだった。

「皆さんに、特に若い人たちに聞いて欲しいんです。私は、自分が信じるもののために、生涯をかけて戦ってきました。勝ったことも、負けたこともあります。辛い思いもしました」

「あなたたちも、勝つこともあれば、負けることもあるでしょう。負けることは辛い。でも、決して、信じることをやめないでください。正しいことのために戦うことは、価値のあることです。やるべき価値のあることなんです」

彼女がこの言葉を繰り返すと、会場から大きな拍手が起きた。その様子をゆっくりとうなづきながら見渡す目には、涙が光っているようにも見えた。そばに立つ夫の目にも。

少し間を置いて再び話始めたクリントン氏は、女性の社会進出を阻む「ガラスの天井」についても、若い女性たちにメッセージを送った。

「私たちは最も高い『ガラスの天井』を打ち破ることはできませんでした。でも、いつか誰かが打ち破るでしょう。そのときが、今、私たちが考えている以上に早いことを望みます」

そして、全ての少女たちに聞いて欲しい、と言葉を続けた。

「あなたは、価値がある存在で、しかも力強い。あなたの夢を実現する機会を追い求めるに値するんです。そのことを、決して疑わないで」、そう、女性たちは男性より価値がないとその母親たちが暗に教え示した、そのことにヒラリーは奮起したと話していた。それを聴いて、私も同じ感想をもった、自分に価値があると母親が娘に伝えるようになる時、勇気をもって進みだす人が増えるだおう。

 結果はともかく、勝つこともあれば負けることもあるのが人生だから、この言葉も多くの人を勇気づけるはずだ。

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2016年11月09日

朴大統領の妹は韓国の親日家

 「私たちは親日をしなければ」。韓国の朴槿恵大統領の妹、槿令(クンリョン)氏の発言が韓国で大バッシングを浴びたことがあった。日本のインターネット番組に出演し、靖国神社参拝や慰安婦問題について日本を擁護する主張を連発したからだ。

 韓国でタブーとされる「親日」という言葉をあえて使い、批判覚悟で発言した真意はどこにあったのか。彼女には、韓国民が本来立ち向かうべき“敵”の存在があった。

 「元慰安婦の方々に対しても、私たち(韓国民)がもっと配慮しなければならないのに、日本ばかりを責めてきた。そんなニュースが何度も流れたことについて申し訳なく思う」と、朴槿令氏は4日にネットサイト「ニコニコ動画」の特別番組でインタビューに応じ、日本人ネットユーザーらに向けてこうメッセージを送った。

 インタビュー冒頭から、「韓国人も日本から学んでほしい」と日本のマナーのよさを持ち上げた。50年前に父の朴正煕(チョンヒ)元大統領が成し遂げた日韓国交正常化に伴う日本からの援助が「韓国の経済発展の原動力になった」とたたえた。

 朝鮮半島に対する日本による過去の支配についても、天皇陛下がかつて韓国の大統領に「痛惜の念」を表明されており、「日本の首相が替わるたびに謝罪を求め、隣人を責めるのは、恥ずかしいことだ」と語った。

 靖国神社参拝についても、「子孫として父の墓を参るのを拒むことはできない」と理解を示した。「安倍晋三首相が靖国参拝をして、再び戦争を起こしたいという気持ちがあるとは思っていない」とし、「そう思う人はおかしい」とまで述べた。日本の政治家の靖国参拝をたびたび非難する自国の外務省に対しても「内政干渉になる」とたしなめた。

 極め付きは、「独立前の『親日』と国交正常化した後の『親日』の概念は全く変わっている」と強調した上で、「私たちは、親日・親米をして、国を発展させなければならない」と言ってのけたことだ。

 韓国では、「親日=売国奴」と認識されており、日本に好意的な人物でも自分が「親日派」と名指しされることを絶対に避けようとするにもかかわらずだ。

「仲良くなるのを邪魔する人がいる」

 槿令氏の発言に対しては、韓国内で当然といえるほど、大反発が巻き起こった。

 インタビューは2015年7月末に収録されたもので、ソウルの空港で帰国を待ち構えていた韓国の報道陣に、槿令氏は、番組で語った内容と同様の主張を繰り返し、韓国メディアを刺激したということがあった。
実妹とも袂を分かつ朴大統領には、韓国社会の不信感が募るようになっていたが、いったい何があったのか・・・。



 出典:http://ironna.jp/article/2284
つづき
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2016年11月08日

知られすぎた人

シカゴの早熟な15歳の少女とキング牧師が握手した、これがヒラリー・クリントンにてつもない影響を与えたと話している。

そして「正義のための戦いに参加しなさい、世界が自分の周りで変わっていくのに居眠りしていてはいけないと、この牧師が訴えかけてくる。それを私は身を乗り出して聞いていました」と振り返った。

その集会に行くようクリントンを促したメソジスト教会のドン・ジョーンズ牧師も、クリントンに深い影響を与えた。一貫してメソジスト派のクリントンは、ジョーンズ牧師が2009年に死去するまで、親交を温め続け、追悼式では「行動する信仰という言葉の意味を教えてくれた」と牧師をしのんだ。

ヒラリーの政治信条は大学で変わった。

「頭は保守で心はリベラルというのは可能でしょうか?」 ヒラリーは当時、ドン・ジョーンズ牧師に尋ねたという。

女子大ウェルズリー大の卒業式で、卒業生代表として同級生や教師たちを前に答辞を述べたヒラリーは、主賓のエドワード・ブルック上院議員(共和党)が学生による政治的抗議運動を批判したことに、即興で情熱的に反論し、全国的に注目された。

イェール・ロースクールに入学すると、アーカンソー州出身の若いリベラル、ウィリアム・ジェファソン・クリントンと出会う。のちに大統領となる未来の伴侶となる人だ。その頃のヒラリーはすでに、若いころの保守主義を離れ、民主党支持者となっていた。

ヒラリーが友達の母親にビルを紹介した際には、「何があっても手放しちゃだめよ。男の子と一緒にいてあなたが笑うの、初めて見たわ」と耳打ちされたそうだ。

夫ビルが、州司法長官から州知事となり、政治的野心を実現していく傍らで、ヒラリーはローズ法律事務所に職を得て、ただちにパートナーに昇格した。州知事の年収は上限3万5000ドルと定められていたため、稼ぎが多いのはヒラリーの方だった。

地元出身ではなく、旧姓ロダムを使い続け、法廷弁護士としてのキャリアを持つヒラリーは、典型的な政治家の妻ではなく、それゆえに注目を集めた。

この間、クリントン夫妻は商品取引に投資して成功し、古くからの知人ジム・マクドゥーガルから不動産を購入した。これが、のちに大問題になる。

ビルは州知事として1980年に再選を阻まれたが、1982年にまた選ばれた。実家の姓を名乗り続ける事をやめ、ヒラリーは、「ヒラリー・ロダム・クリントン」と名乗るようになる。自伝「リビング・ヒストリー」でヒラリーは、「自分の旧姓を残すことより、ビルがまた知事になる方が大事だと決心した」と書いている。

アーカンソー州のクリントン政権で、ヒラリーは活発に活動した。任期終了を前に、ビルは大統領に出馬した。若い魅力的な二人は、夫婦というだけでなく、政治的なパートナーでもある関係が、マスコミの注目を浴びた。

夫妻に最初の危機がやってきたのは1992年1月、CBSテレビの報道番組「60ミニッツ」に出演して釈明している。ビルは、12年間の不倫は否定しつつも、夫婦関係を傷つける問題行動はあったと認め、その横でヒラリーは、「私は(カントリー歌手)タミー・ワイネットが歌うみたいに、ただ自分の男を支え続ける可愛い女としてここにいるのではなくて、私はこの人を愛して尊敬しているから、そしてこの人と私たちが一緒に乗り越えてきたことを尊重するから、ここにこうして座っているんです」と主張した。

11月3日にジョージ・H・W・ブッシュ大統領(ジョージ・W・ブッシュ大統領の父)を破り、ビルは大統領に当選。そして、ヒラリーはファーストレディになった。

そして、その後ファーストレディ経験者として初めて、公職に当選したのだ。「あえて挑戦するんですよ、ミセス・クリントン。あえて挑戦するんです」と、自伝『リビング・ヒストリー』でヒラリーは若い女子学生のバスケットボール選手の言葉をきっかけに、自分は出馬を決めた経緯を、ヒラリーはここでも書いている。

「これまでで何より決断するのが大変だったのは、ビルとの結婚を続けるかどうかと、ニューヨークから上院に出馬するかどうかだった」。

さらに、その知名度と野心によって、初の大統領候補として名前が浮上するようになった。しかし、女性であることへの抵抗と1990年代に相次いだスキャンダルが全国レベルでの評判に影を落とし、当時の世論調査では61%がヒラリー・クリントンは信頼できない、もしくは正直ではないとの反応に傾いていった。2008年、民主党候補者決定の際は接戦ではあったが、希望と変化を呼びかけるオバマのメッセージが人々の気持ちをとらえた。ヒラリーはこの時、61才になっていた。

オバマの大統領就任後、国務長官のポストに乞われ、固辞するも最終的に受諾、政治家としての手腕をふるった。オバマ政権の二期目、2016年に米国初の女性大統領候補として正式決定し、ヒラリー最後の大統領選に臨むことになった。






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2016年11月07日

ヒラリー・クリントン氏のメール問題、再度訴追なし

大統領選の民主党候補ヒラリー・クリントン前国務長官の私用メール問題について、米連邦捜査局(FBI)のコミー長官は6日、訴追を求めないとした当初の判断を維持すると議会に伝えた。

議会宛ての書簡で、コミ―長官は新たに発見された電子メールの捜査が完了したことを明らかにし、クリントン氏の問題に関して「7月時点の結論に変更はない」と説明した。コミ―長官の書簡によると、FBIのチームが別の事件に関連して押収した端末から入手した大量の電子メールを捜査。当時国務長官だったクリントン氏とのやり取りを点検した。

コミ―長官は1週間以上前、クリントン氏の私用メール問題に絡み、新たに浮上した電子メールを調査していることを議会に報告していた。クリントン陣営の広報責任者、ジェニファー・パルミエリ氏は「問題が解決して何よりだ」と述べた。

新たな電子メールは、クリントン氏の側近であるフーマ・アベディン氏の別居中の夫であるアンソニー・ウィーナー元下院議員が起こしたわいせつ事件をめぐる捜査で発見された。
つづき
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2016年11月06日

安心・安全、美味で楽しい食事を学ぶ

楽しく美味しい、秋の味わい(10/29)でした。

アビべジという新企業体が新たな我孫子の食の在り方を追求していこうと、農家さんが主体になって立ち上がりました。そこに、川村学園女子大で栄養学のエキスパートとして活躍した女性教授が参画、市民ボランティアの企画運営が連なって、素敵なテーブルが演出され、けやきプラザの一室で実際に食の体験もしながら、アンケートの試みがされました。新たな農業拠点施設において、我孫子の生産農家が食のプロデュースをして、タニタ食堂ならぬ、我孫子の食の伝統をつくりたいと日夜研鑽を積んでいます。皆様の秋の体験と重ねて、ご意見やヒントをご提供ください。

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皆さまも是非、次回12月の企画にお申し込みになり、ご意見下さいませ 

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2016年11月05日

築地市場の市民視察

築地市場の通常定休日は水曜日なのですが、今月は間に祝日があるため、参加者の都合と勘案して2日に市民視察となりました。以下が、現地で撮影してきた写真です。
波除神社には卵塚、魚の供養塔などがあります。
お昼に美味しいマグロをと事情通のお店の方にきいたら、「2時間前後は並ぶ覚悟しないとね」と言われてしまい、並ばないで入るところはそれなりだよと言われてしまいました。刺身やちらし寿司などは2000円は下りません、そこで、それぞれに好みに分かれ、海津にいなはネット情報で見つけた、藤鳥という、しかし、行列のないお店に入りました。千円でおつり、お値段なりのお味、でも早い!?

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やっぱり、老朽化がひどいことは明らかでした。女性からは、特にトイレが言語道断、やり玉にあがりました。本来は、市場内の業者、利用する関係者にしっかりと意見交換を行い、半分を大田市場への仮設するなど転換しながら「築地」のブランドを移転でなく再構築するなどが出来たはずだったのに、都庁と建築業者とが上滑りして、無責任体質がこのような結果と招いたのではと、千葉県人ではありながら、世界の「築地」となった観光拠点でもあり、早期の解決を臨みたいと、一同感慨深く思いました。
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2016年11月04日

公開フォーラムご案内

■公開フォーラム「わたしたちの声は政治に届いているのか」のご案内(転送歓迎)

私たちの声は政治に届いているのか。
日本は国民主権の民主主義国家といわれているが、本当にそうなのか。
1983年11月19日、第16代アメリカ大統領、エイブラハム・リンカーンはペンシルベニア州ゲティスバーグにある国立戦没者墓地の奉献式において、「人民の、人民による、人民のための政治」を呼びかけました。
有名なゲティスバーグ演説です。
以来、世界は、「人民の、人民による、人民のための政治」に向かって進んできていますが、必ずしも多くの人が満足する段階には至っていないばかりか、むしろ最近の日本では、逆行しているのではないかというような状況さえ生まれています。

そうした思いから、私たちは、日本の現実をできるだけ民主主義に近づけていこうという活動に取り組むために、公開フォーラムを、11月19日に開催することにいたしました。急なお誘いですが、ぜひ多くの人に参加していただき、どうしたら、私たちの声を政治に届けられるのかを、みんなで考えたいと思っています。

ちなみに、リンカーンクラブは、特定の政治団体につながるものではなく、政党活動を展開するものでもありません。その活動自体も、民主主義の理念(個人の尊厳を尊重すること)にしたがって、さまざまな意見を大事にしながら、主権者である私たち国民一人ひとりの声を、できるだけ政治に反映していくにはどうしたらいいのかを考えていこうと思っています。私たちの社会を、私たち自身が納得できるものにしていくために、
また、子どもたちの未来を豊かにしていく社会にするために、ぜひ多くのみなさまに参加していただき、一緒に考えていきたいとと願っています。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

◆日時
2016年11月19日(土曜日) 午後2時〜5時(1時20分開場)
◆テーマ
政治に声を届けることをあきらめていませんか。
つながることで、できることがまだあります。
◆プログラム
第1部:講演(次の3人の専門家から問題提起していただきます)
小林節(憲法学者:慶應義塾大学名誉教授)
伊藤真(弁護士:伊藤塾塾長)
武田文彦(リンカーンクラブ代表:究極的民主主義研究所所長)
第2部:参加者による話し合い
講演者と参加者が一緒になって、話し合いたいと思います。
◆会場
AP品川7階(東京都港区高輪3-25-23 京急第2ビル)
JR・京浜急行線・品川駅高輪口前の第1京浜を新橋方向に徒歩2分右側
http://www.cdit.or.jp/o_lecture/ap-shinagawa.pdf
◆定員:100名
◆会費:3000円(学生2000円)
◆主催:リンカーンクラブ
http://lincolnclub.net/
◆申込先:リンカーンクラブ事務局
  佐藤修 info@lincolnclub.net


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2016年11月03日

ジャパン・バード・フェスティバル(JBF)の開催

 国内最大級の鳥の祭典「ジャパンバードフェスティバル」が11月5、6日、千葉県我孫子市の手賀沼周辺で開かれる。当日は市内の「鳥の博物館」が入館無料になるほか、いつもは、入れない山階鳥類研究所も公開講座を開きます。

「山階鳥類研究所紹介」はスライドやビデオを使って研究所の活動を紹介する講演です。研究所全体の見学は行いませんが、玄関ロビー内と一部廊下のポスター展示は整理券なしでもご自由にご覧いただけます。

山階鳥研見にレクチャー8
【日程】
2015年11月5日(土)9:30〜16:00(最終入場15:30)
2015年11月6日(日)9:30〜15:00(最終入場14:30)
【場所】山階鳥研講堂
【内容】鳥研所員による研究紹介・研究所紹介
【入場】無料
【ご注意】
※ 各回講演時間25分、定員40人(一斉入場、一斉退出)
※ ご入場には整理券が必要です。定員に達しましたら整理券の配布は終了致します。
※ 整理券は当日分のみを9時20分より山階鳥研の玄関で配布致します。
※ 整理券はお一人様5枚までの配布となります。一度に複数回の整理券はお出しできません。複数の講演をご希望の方は、お持ちの整理券の回が終了してから次のご希望の回の整理券をお取りください。
※ 駐車場の用意はありません。なるべく公共交通機関をご利用ください。

■千葉県我孫子市鳥の博物館では、企画展「我孫子の鳥図鑑」が無料で入館
市内と手賀沼で見られる市の鳥・オオバンをはじめ、オオヨシキリやムナグロ、ヒバリなど約270種の標本と生態写真を、水辺▽農地▽林▽台地の環境と季節ごとに展示。環境省指定の絶滅危惧種オオセッカやタマシギなども紹介している。11月6日まで。

■鳥学講座「コアジサシ保全活動の現場から」
【日時】2016年11月5日(土)13:30〜15:00(開場13:00)
【場所】アビスタ(我孫子市生涯学習センター)ホール(千葉県我孫子市若松26-4)
JR我孫子駅南口から「アビスタ・市役所経由」のバスで「アビスタ前」下車すぐ
地図(外部サイト)
【講師】北村 亘(NPO法人リトルターン・プロジェクト代表/東京都市大学講師)
【参加費】無料 【定員】120名(事前申込不要・先着順)
【主催・問合せ】我孫子市鳥の博物館(電話04-7182-2212)
(公財)山階鳥類研究所(電話04-7182-1101)
(公財)山階鳥類研究所(電話04-7182-1101)

■湖畔・船上バードウォッチング
時刻表( 受付:手賀沼親水広場桟橋前).
11月5日 (土) 10:30 / 12:30 /14:30
11月6日 (日)10:30 / 12:30 /14:30

■「フォトコンテスト」では全国の492人が撮影した鳥の写真約1200点を展示。このほか鳥の彫刻展や子ども工作教室、などがある。

問い合わせは実行委員会(04・7185・1484、イベント当日は070・1076・3599)。
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2016年11月02日

九州場所でGO!

大相撲秋場所で全勝で初優勝した大関豪栄道(30)=本名・沢井豪太郎、大阪府寝屋川市出身、東京都足立区の境川部屋は、11月13日初日の九州場所(福岡国際センター)で豪栄道が綱とりに挑む。

 前場所では、負け越せば大関から陥落するカド番で迎えていた。「勝ち越さないと、というプレッシャーはあった。勝ち続けると精神的に余裕ができて、逆にそれが集中力につながった」という。横綱白鵬が足のけがで休場し、綱とりの稀勢の里が早々に優勝争いから後退すると、代わって主役に躍り出た。相手を一気に持って行く持ち味に磨きがかかり、初優勝の重圧は「プロやからね。注目されなければ意味がない」と強気な発言ではねのけた。11日目の稀勢の里に続いて鶴竜、日馬富士の両横綱を破り、殊勲につなげた。大阪出身力士として86年ぶりに優勝し、初の栄冠を手にした。綱を手にする九州場所が期待される。


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2016年11月01日

百才、三笠宮の業績偲ぶ

三笠宮寛仁さまは戦時中、旧日本軍の大本営参謀などを務め、軍紀の乱れや残虐行為をただす発言をしたことで知られる。戦後、東京大学文学部研究生として「古代オリエント史」を専攻。トルコなどで遺跡調査に携わり、東京女子大学や青山学院大学で「古代オリエント史」の講師などとして教壇に立った。

中東などを対象としたオリエント学者でもあり、中近東文化センターの名誉総裁を務めた関係で、トルコの遺跡発掘の協力から、トルコ、チャウルカン村の丘状の博物館のすぐ隣には、「三笠宮記念公園」がある。日本の桜が植えられ、錦鯉が泳ぐ緑豊かで広大な日本庭園が広がっており、ピクニックや結婚式など様々なセレモニーにも利用されてクルシェヒルの人々の憩いの場となっている。緑の少ない雄大なアナトリア高原の中のオアシスといった趣で、地元の人々は春の桜の頃や、秋の紅葉の季節には日本的な風情を楽しんでいる。
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