2016年08月23日

オリンピックは国際スポーツ・メッセなのか

 日本政府がエリート選手の競技力向上のため、五輪関連予算を40%増の103億円に増やしたことはリオで実を結んだ。日本勢は今回、欧州諸国が強いカヌーと、世界的な人気種目のテニスでも銅メダルを1個ずつ獲得するなど、まんべんなく多くの種目でメダルを獲得した。バドミントン女子ダブルスで金メダルを獲得した日本の“タカ・マツ”ペアの監督は韓国人、卓球は中国人指導者を招聘した。逆に、欧米や南米諸国は、日本から柔道指導者らを招き入れ、レベルアップしていた。

 人口が日本の半分に満たない約4950万人の韓国だが、1988年のソウル大会以降、2004年アテネ大会を除いて韓国のメダルの数が日本を上回っていた。今大会でも“お家芸”のテコンドーで「金」を続出するなど、ゴルフ女子でも、朴仁妃が5打差の“ぶっちぎり”で金メダルを獲得。世界の最強ゴルファーが集まる米国の女子ツアーでも、韓国出身のゴルファーが上位を独占し、米視聴者が“TV離れ”を起こすほど強い。スポーツ予算をかけることは、如実に成果が表れるということだ。

 自らを高めたいトップ選手が、メダルの色にこだわる気持ちももっともだが、マスコミは自由と平等と平和をめざし個人と団体で純粋に競い合うスポーツの祭典の趣旨こそ、協調すべきだ。教育者・嘉納治五郎は百年前に命がけで、東京オリンピック誘致の活動にも成功し、IOC委員会より帰国する船上で急逝することになった。その後、歯車は狂いだし、日本は戦争一辺倒に傾き、スポーツ予算などはかけられないとせっかくの東京開催も反故にした。

 戦後、嘉納治五郎との友情を忘れないでいたブランデージがIOC会長になったこともあって、東京オリンピックが実を結ぶ。スポーツという国際舞台の場を得て、敗戦国日本は、ようやく若者たちの晴れやかな表情を世界に発信した。欧米中心のオリンピックが、それ以外の場で初めて開催された。本来、国家間のメダル争いの場ではないはずが、このところはメダルの個数を争い、スポーツ産業が製品を売り込むメッセの色合いが強くなった。お金がかかる選手育成がでもあるから、致し方ない部分だ。今回より、難民たちに参加のチャンスが与えられたのは、一縷の光ではあったが、それをどれあけとりあげたか、そこにも感動する場面や出来事があったはずだ。間もなく、パラリンピックが開催される。クーベルタンや嘉納治五郎が目指したスポーツの大儀を今一度ふりかえって欲しいものだ。国家間の優劣争いで終始するならモッタイナイお金のかけ方だ。




 
posted by Nina at 00:00| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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