2016年08月16日

日本政府の抵抗にあった女性の権利、GHQが押し切って立法

憲法9条についてはマッカーサーの押しつけではとの憶測が晴らされてきて、日本の政治家たちが反省を込めて、新憲法に武器の放棄と平和を主張したことが立証されてきました。むしろ、外の力が加わらなければ、日本国憲法第24条に女性の権利を尊重する男女平等は書き込むことはならなかったでしょう。それほど、日本、というかアジア、欧米でも女性の権利を憲法の条文に書き入れることは画期的でした。

憲法第24条は、「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」について述べています。知る人ぞ知るであったが、秘されていたのが、近年の男女共同参画の意識から女性たちの認識が進み公的にも知られるようになって、若い研究者であったベアテ・シロタ・ゴードンさんの尽力が知られてきたのです。

日本国憲法の成立とベアテさんの草案

日本の敗戦後、1946年に、ポツダム宣言に従ってGHQから憲法改正を命じられた時、日本政府が大日本国憲法とほとんど変わらない案を出したので、民主的な内容に変えていくようにGHQが草案を作り提示したことが知られてきました。

特にベアテさんは、幼いときから日本の女性の抑圧された状況を見聞して、日本語も十分に理解していたので男女平等の条項を任されました。教育も選挙権もない、日本女性を無能との規定におさめていた事情もよく知っていました。彼女は「女性と子どもが幸せにならなければ、日本は平和にならないと思った」と懸命に調査をして女性が不利にならない状況をつくろうとしたのです。

大日本帝国憲法(明治憲法)下の家制度と女性の無権利状態

大日本帝国憲法下の明治民法では、「戸主」を頂点とする家制度が定められていました。戸主権は長男が相続し、女性と長男以外の男性は差別されました。結婚は家と家の間のもので、決められてしまう事も珍しくありませんでした。結婚した女性は、一切の決定権を持たない「無能力者」として扱われ、自分の財産も持てず、選挙権もありませんでした。妻妾同居も資産家の主にはあたりまえの観さえ世間にはありました。子どもへの教育権もなく、学校では、ですから母親が来るのに「父兄会」と言っていました。母親は父や兄(長男)の代理にすぎなかったからです。

女性の権利条項に反対した日本政府

日本政府は平和条項についっては突合せが進みましたが、むしろ日本政府が最も強く反対したのが、国体と言われた象徴天皇と、控えめであるべき女性に権利の付与などしては、日本の伝統慣習を壊してしまうと強い抵抗がおきました。日本政府は「日本には、女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない。日本女性には適さない」と政府は抵抗したが、GHQによってベアテさんの書いた第24条が支持されて女性の権利が書き込まれました。

日本国憲法草案が新聞で発表されると、日本国民の多くはこれを歓迎しました。そして戦後初の普通選挙で、立候補する女性も出て、初の投票権を得て女性議員を含む国会となっての審議がされる、日本国憲法は成立しました。

第24条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
@ 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
A 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 「婚姻は両性の合意のみに基づ」く。それは、戸主同士の合意によって成立した戦前の結婚と180度違う規定でした。また、家族の尊厳と両性の平等が規定されたことにより、男性と女性、長男とそれ以外の子どもも平等となりました。この条項は、法の下の平等を定めた第14条と並んで、男女の平等を保障するものとなりました。しかし、その後の長引く民法改正論議に見られるように、選択的夫婦別姓や、婚姻外の子どもの平等など、未解決の問題はまだ残されています。

参考文献:1945年のクリスマス ベアテ・シロタ・ゴードン 柏書房
posted by Nina at 18:03| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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