2020年東京オリンピック招致に向けた新国立競技場基本構想国際デザインコンペティションでは、若い日本人建築家の作品もファイナリストとして選出され、「宇宙船か古墳か」と評され大きな話題となった田根剛の作品もあった。一方で、最優秀となったザハ・ハディド案は後に白紙にされ、さらに先月に、突然の訃報が届いた。
田根剛については、実は高校在学中まで、ジェフユナイテッド市原のユースチームで活躍していて、頭角を現しながら、怪我によりプロサッカー選手を断念。そこから、北海道の大自然に憧れ北海道東海大学芸術工学部建築学科に進学。在学中にスウェーデンのHDKとシャルマス工科大学へ留学。大学卒業後はデンマークへ渡り、デンマーク王立アカデミーにて客員研究員となる。その後、ヘニング・ラーセン(デンマーク)、デビッド・アジャイエ(イギリス)の設計事務所に勤務。 2006年、パリを拠点にDGT.(DORELL.GHOTMEH.TANE / ARCHITECTS)をダン・ドレル(イタリア)、リナ・ゴットメ(レバノン)のパートナーと共に設立。
26歳で受賞した国際コンペ「エストニア国立博物館」で最優秀賞授賞し、国際的な注目を浴び、完成にこぎ着ける。さらには、新国立競技場の建築ファイナリストにも名を残していた。2008年、イギリス・ICON MAGAZINE誌より「世界の最も影響力ある若手建築家20人」に選出される。
一昨年、日本の時計メーカーシチズンのインスタレーション「LIGHT is TIME」を発表し、ミラノデザインアワードをダブル授賞。同年、青山にあるスパイラルにて凱旋展を開催し、7万2千人の来場者を記録。フランス国立グランパレ美術館では、史上最大規模の「北斎展」にて会場構成を担当。また、21_21 DESIGN SIGHTでは「建築家 フランク・ゲーリー "I Have an Idea"」展の展覧会ディレクターを務めるなど、多方面で注目を集め、成功を収める。
建築以外の分野でも、これまで指揮者・小澤征爾の舞台装置や、演出振付家・金森穣(Noism)、デザイナー・皆川明(ミナ・ペルホネン)、デザイナー・三原康裕などと携わって来た。日本の若き才能が、日本だけでなく、世界でその感性と実力を認められ時代になっている。人生を思いのままに、疾風満帆の三十代、注目される日本人建築家となった。このごろの日本人クリエイターは世界サイズに注目されて素晴らしい!
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