
第35回定期演奏会の曲目は、ベートーベン英雄、ロメオとジュリエット、軽騎兵
ネット検索したところ、指揮者にも変化があった。
初代常任指揮者の林紀人から2000年には、柳沢寿男となっていた。あの「ニューズウィーク日本版・世界が尊敬する日本人100」に選出された人物だ。バルカン半島紛争後混乱期の日本人指揮者の客演はTBSテレビ「筑紫哲也NEWS23」で採り上げられ大きな話題となり、以降多くのメディアが活動を日本に伝えるようになる。
民族共栄を願ってバルカン室内管弦楽団を設立し音楽監督を務めている。停電や断水の続くコソボで、ろうそくの明かりを頼りに楽譜を読むなど生活は不自由なもので、2011年11月には現地で盲腸にかかり、医師から12時間以内に手術が必要であると告げられるが、医療水準の低さ、充分でない医療器材、古い薬品類への不安から、瀕死の状態で自力でドイツのデュッセルドルフに移動し25時間も過ぎて手術を受け、九死に一生を得たと自身の著書の中で語っている。
そこにさらにトレーナーの嶋田講師を迎えた。それまでは、アマチュア楽団の宿命と半ば諦め気分でいた我孫子フィルも(特に弦楽器は)、何とか譜面通り引きこなせるようになった頃に本番になっていたのだというが、それが変わった。譜面をもらった初期練習の段階において弓使い、舞台上での気持ちの持ちよう等の指導に見違えるようになり、弦楽器奏者の曲に対する取り組み方がよい方向に変わった。
譜面通り音を演奏するという段階から、どうすれば聴衆に喜んでもらえる音色を届けることができるのかを目指すようになった。技術的なこと、メンタリティな部分様々な角度で上質な音楽を目標にするようになったという。
柳沢氏は、現在、コソヴォフィルハーモニー交響楽団常任指揮者、バルカン室内管弦楽団音楽監督となったため、2006年6月11日(日)第25回定期演奏会からは冨平恭平常任指揮者となっている。リラックスしながら、しかし、励ますように団員たちを見回して指揮棒をふる富平氏の指揮ぶりにも好感がもてた。「ブラボー!」の声援を送ったのがオケに聞こえただろうか。頑張れ、我孫子フィル、そんな気分になって、珍しくアンケートにコメントまで書いてしまった。
議会発言、委員会質疑を終えて、我孫子フィル後援会からチケットが来ているのを思い出し、久々に連れと出かけた。休憩後、ベートーベンの英雄は大曲も聴いていこうとなったのは、第一部が良かったからで、客席も結構な入りだった。
舞台の上にも、客席にも、こんな真摯な音を求める音楽好きの市民がいるのだから、我孫子市が約束した市民会館再建の夢は果たされるべきだなんだと思うところしきり。思いのほか、いい時間を過ごすことができた。
★http://www.geocities.jp/abikohall/index.html
我孫子駅南口の「けやきプラザ」のふれあいホールは550席しかないため、オーケストラ演奏など大きな規模の催しは困難です。市内の小中学校は、音楽祭を開催できなくなっており、成人式は午前と午後の2回に分けて、実施しているありさまです。あびこの文化レベルを低下させないために、千人規模のホールを早く再建してほしい。
★http://www.geocities.jp/abikohall/kaigi/20151128gijiroku.html
早期再建へ向けて、どういうプロセスが必要なのか。